ハリックの診断即治療&虹彩と、Kenさんの経済学&スケッチ

虹彩には、体質や、現在、過去、未来、のデータが秘められています。虹彩学による虹彩分析を針灸、巨針、食事療法の指針に!

両肩が痛くて、横を向いて寝ることができない (5/27の臨床実践塾)

2018-05-15 12:18:33 | 診断即治療と虹彩学
この「診断即治療」は、 FC2ブログ にも転載しています。

見ると極端な変化ではありませんが、痛みは取れました。

ビフォー                   アフター
 

 



「腰も痛いし、肩が両方痛いので、横向けに寝ることができない」という方が来られました。
これを七星論で考えると、
腎→腰痛→頚椎→肩関節という流れが考えられます。
そして頚椎の異変は肩関節にも影響するので、腎と頚椎を整えれば、腰痛も肩の痛みも解決できることが想像できます。

ですから本来なら、腰椎や仙腸関節を整えてから頚椎を動かしたほうがいいのですが、肩がかなり辛そうで下ので、肩から治療することにした。
治療前後の変化を本人にも知ってもらう必要があるんで、腕を挙げてもらい、肩関節の可動域から調べてみました。

それが上の左列の写真で、ビフォーになります。
それから、最近開発しているテクニックを使って、左右の前腕に各1本ずつ鍼をしてその変化を調べた。
それが上の写真の右列で、それがアフターになります。

検査から治療までは、わずか1~2分の治療ですが、それなりに可動域が広がっているのがわかります。
それから横向けに寝れるかどうかを確認してもらったら、横向けに寝て、痛みを確認して いました。
そして、反対側の横向けも確認してから、半分笑うような感じで、
「寝れますねー」と、ぼそっと言った。

しかし、それだけで終わると、根本的な原因と思われる「腎」の治療をしてないので、多分すぐに再発してしまします。
ですから、その後に「腎」の治療で巨鍼を使わせてもらった。
伏臥になり、右膈兪から大腸兪、左比喩から大腸兪までの巨鍼です。

巨鍼が済んでから、腰痛や肩の痛みを確認してもらいました。
どちらかと言うと無口な方でしたので、多くは語りませんでしたが、
「いいみたいですね」と、ぼそっと言っていました。

治療としては簡単な治療でしたが、個人的に言わせてもらえば、肩関節調整のテクニックは大いに役立つし両方だと思いました。

何故かと言うと、普段なら頚椎の調整もするのですが、今回は特に頚椎を調整しなかったのです。
と言うことは、新しいテクニックを使うことで、頚椎まで調整できていると考えることもできます。
つまり、多くの治療師が苦労する「頚椎調整」が自動的に行われると考えることもできるわけです。

しかし、巨鍼で腰椎を調整したので、その影響で腎が整い、腎を関係の深い頚椎まで調整されたと考えることもできますので、安易に「頚椎まで調整できる」とは言えません。

5月27日の 臨床実践塾で、 このテクニックを公開しますので、それを参加者の皆さんがン章で使ってもらい、その後に皆さんからの報告を集積して「新テクニックのご報告」をしようと考えています。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

米中貿易戦争懸念後退、NYダウ8営業日続伸、ドル買い戻され1ドル=109円後半へ、一方、ガザ地区でパレスチナ人50人以上が死亡(学校で教えてくれない経済学)

2018-05-15 10:10:33 | 経済学
中国通信大手ZTEへの米国の制裁緩和を示唆する内容をトランプ米大統領がツイートしたとして米中貿易懸念が後退、週明け14日のNYダウは68ドル高24,899ドルで取引を終えた。15日朝放送の中国CCTVは「アメリカ政府のZTE制裁解除へ向けた動きを歓迎すると陸報道官は話した。15日から中米貿易交渉が再開される。」と伝えた。NY外為市場ではアルゼンチンペソが対ドルで売られた。また、イタリア政局不安からユーロ売りが出た。米国債が売られ10年物米国債利回りが3%台を復活、再びドル買いの流れから、1ドル=109.67円、1ユーロ=130.83円で取引された。アメリカ大使館のエルサレムへの大使館移転に伴う反対派デモ鎮圧で50人以上が死亡、多数のケガ人が出た。中東不安からNY原油(WTI)は買われ、バレル770.96ドルで取引された。NY金はオンス1,318.20ドルへ小幅反落した。

15日朝放送のNHK/BS「ワールドニュース」で英BBCは「駐イスラエル米大使館のエルサレム移転式典が14日開かれクシュナー補佐官、イワンカ補佐官、ムニューシン財務長官など米高官が出席した。ネタニエフイスラエル首相はトランプ米大統領を英断と評価した。トランプ米大統領は選挙公約実行を果たした。一方、パレスチナ、アッバス議長はアメリカは中東の秩序の破壊者だと非難した。アメリカ大使館のエルサレム移転に対するイスラエル軍による反対デモ鎮圧で死者55人、2000人以上が負傷した。」と伝えた。15日朝放送のカタール、アルジャジーラはイスラエル、ガザ地区東部でのパレスチナ住民とガザ地区封鎖を進めたイスラエル軍・警察と対立、少なくとも52人が死亡、2,500人以上が負傷した。」と伝えた。一方、英BBCは「英国のEU離脱を来年3月に控えて、英国の北アイルランドとアイルランド国との国境問題は棚上げ状態のまま全く進展していない。」と伝えた。

15日朝放送のフランスF2はフランス鉄道によるストが180日目に入った。14日予定の大学試験が急遽中止されたと伝えた後「イラク国民会議選挙が14日行われた。シーア派がリ-ドしている。」と伝えた。15日朝放送の豪ABCは「イラク議会選挙が14日行われた。野党グループ、サドル師率いる政党連合が優勢。現職のアバディ首相派が苦戦している。サドル師グループは、現政権の汚職を攻撃する一方、低所得層を中心に地盤強化を進めていた。」と伝えた。

15日朝放送のロシアテレビは「14日、ユーラシア5国経済連合会議がソチで開病院をかれ、経済、エネルギー、安全保障問題を協議した。対ロシア制裁措置に対抗することを確認した。モルドバがオブザーバー国として参加した。」と伝えた。ロシアテレビは「アメリカの6国イラン核合意離脱発表を受けて、英、独、仏、中国、ロシア5国、アメリカ抜きで合意事項を継続することを確認したとラブロフ外相は語った。」と伝えた。15日朝放送の米ABCはトップニュースで「ファーストレディ、メラニア夫人が腎臓手術のため急遽入院した。トランプ大統領は見舞いに訪れた。詳細については発表されていな。」と伝えた。(了)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「山口誓子と西宮」、米田恵子氏大いに語るat西宮文化協会講演会(スケッチ&コメント)

2018-05-15 06:46:55 | スケッチ


米田恵子氏大いに語るat西宮文化協会講演会

江嵜企画代表・Ken



「山口誓子と西宮」と題して神戸大学山口誓子記念館、米田恵子先生を講師に招き、西宮文化協会で5月11日(金)午後1時半から講演会が開かれ楽しみにして出かけた。会場の様子をいつものようにスケッチした。山下忠男会長は「出かけるとき、家内に、今日は山口誓子氏に関するお話をお聞きすると、話したら、教科書を通じてよく知られている、著名な方ですね、と話した。先月は辰馬章夫様にくだけたお話をお聞きした。ひょっとしたら今日は固い話になるかもしれません。」と、冒頭挨拶された。

米田恵子先生は「ただいま固いお話と、伺いました。」と受けた後「山口誓子の俳句は、ほとんどの教科書に載っている。40,50,60代以上の方にはなじみがあります。ただ、今の子供たちに、山口誓子について知っているかと聞いても「どんな人かようわからん」と言いますので、がっかりです。」と話を始めた。山口誓子は、昭和3年(1928)ごろから、水原秋桜子「馬水木」、高野素十、阿波野青畝「かつらぎ」、山口誓子、4人のうちの一人として4Sと称されるようになった。

山口誓子と西宮との関りは昭和28年(1953)から苦楽園での生活が始まり、深まった。山口誓子は、平成6年(1994)3月26日に亡くなるまでの40年余りを苦楽園にある300坪の豪邸で暮らした。亡くなった翌年、平成7年1月17日、阪神・淡路大震災で旧宅は全壊した。平成9年(1997)3月26日に苦楽園旧居跡に句碑が建てられた。虹の環を以て地上のものかこむ(誓子),毛糸編む来世も夫にかく編まん(波津女)の2句が刻まれた。

「本日の講演のテーマは「山口誓子と西宮」である。「特筆すべきことだが山口誓子は西宮文化協会で昭和46年(1971)4月3日「生活の中の俳句」と題して講演した。このたび西宮文化協会で講演する機会に恵まれたが、感慨深いものがある」と話した。米田恵子先生は「これが西宮文化協会でのオリジナルの講演原稿です。」と会場でかざして見せた。要約すれば「日本人は、昔から自然を生活に取り入れて楽しみ、生活を豊かにした」と話をした。誓子はまた西宮球場と甲子園球場のナイターの句、「光ただなるぬナイターの区域過ぐ」(昭和30年)を残した。

山口誓子は「俳句は何のために作るのか」と問いかけ「私達は自然を眼で見て大きな喜びを感じるのであるが俳句はその喜びの記録として残すのだ。生きている喜びの証拠を残すのである。生活の中の俳句は、さうやって生(せい)の證(あかし)になるのである」と書いた。また、誓子は「季語」と「五七五」が基本だと譲らなかった。俳句は自然の刺激によって感動する詩」という言葉も「我が主張・我が俳論」(昭和45年(1970)に書き残した。

山口誓子の生い立ちは厳しかった。「誓子は、明治34年(1901)11月3日、京都市上京区で生まれた。誓子の両親は不仲だった。誓子が2歳の時、母方の祖父母のもとに預けられた。8歳の時、外祖父と共に京都から東京へ転居、10歳の時に、母親は自殺した。」

「11歳の時に外祖母と樺太に渡る。大正6年(1917)に京都に帰国、三高に入学、三高俳句会に出席、「ホトトギス」に投稿を始めた。大正11年(1922)東大、法学部ドイツ法律科に入る。大正15年(1926)住友本社入社。その頃詠んだ句に「学問のさびしさに堪え炭をつぐ」 大正13年(1924)がある。

「山口誓子は、昭和3年(1928)、浅井梅子(波津女)と結婚する。山口誓子は世にいう逆玉。波津女、浅井家縁者が支援した。大正13年(1926)結核で大学を休学。昭和10年(1935)芦屋に転居療養、昭和15年(1940)病状悪化、昭和16年(1941)に当時は風光明媚だった空気のきれいな四日市、鈴鹿と転居が続く。そんな生活も、昭和28年、台風13号で被害を受け破綻、苦楽園に転居した。「療養と転居の繰り返しだった妻、波津女は「妻にして母、主婦にして看護婦」と評された」と話した。

米田恵子先生は「誓子と書」をテーマにして、10月9日~19日期間、神戸大学百年記念館で特別展を開く。書を通じて誓子を新たな視点から眺めなおしてみたい。波津女の文字と違い、誓子は誰にも教わったことがない自己流の字である。興味深い。」と話され、1時間半の講演を終えた。貴重な機会をご用意いただいた西宮文化協会の皆様にひたすら感謝である。(了)


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする