
若山隆「ある兄弟の話」(『コギト』5)は、没落する「家」のなかでの兄弟の心理劇である。兄は気楽な学生をやっているふりをしながら自分を「轉落する石の一つ」とみている。で、高校受験を前にしている?弟を激励しようとする。「家」のためにも……。弟の方は、兄の学費捻出にも苦労してきた家のことを考え進学をあきらめている。弟は兄の心がわからず、本当にお気楽な学生だと思っているふしがないでもないが、兄の方も、弟が進学を断念しているところまでは分からない。
「上の学校なんか行かなくたつて、兄さんはそりや愉快に今の生活を送つたらいゝでせう。兄さんは僕よりも頭もいゝし、いゝ友達も沢山あるし……」
[…]
兄は弟の言葉の調子から鋭い皮肉をかぎつけた。
たぶん、この二人は学業になにかを見つけられなかったに違いない。何かを見つけられなかった連中が、家族や国を楯にして何かを見つけた連中の足を引っ張る。このような兄弟のいざこざは本当はどうでもいいのである。このような心理にとらわれると、本当は何が問題だったのか分からなくなる。
例えば、これが兄弟ではなく、韓国人と日本人という組み合わせだったらどうであろう。本当は、兄弟でも同じ事なはずだが、そういう対照性で考えた場合に問題が解けるような気がしてしまうのは危険である。その場合、こんどは自分たちの心理が分からなくなるのだ。