思ふこと言はでぞただにやみぬべき我と等しき人しなければ
光孝天皇の狩りのお供をし――「翁さび人なとがめそ」云々と詠んだら、若い人や天皇から恨まれてしまった昔男である。歳をとると、なにか言葉が上手く機能しないのだ。伊勢物語は、言葉少なに昔男の死に向かって進んで行く。上の歌なんか、もう思ったことはいわないほうがいいな、自分と同じ人なんかいないんだからさ、と言葉による楽しさを放棄し、自分の人生を道連れに生きてゆこうとする姿勢であって――、こうなっちゃおしまいである。よく知られているように『大和物語』の業平は最後まで女と遊んでいたらしいが、やっぱりそういうひとは特殊で、だいたい最後は自分と自分の人生の対話の方が重要になっていくものではなかろうか。
保田與重郎の「花と形而上学と」は小林秀雄の「Xへの手紙」と同時期に書かれていて、保田自身も二つを並べて何か言っていたように思う。改めて並べて読んでみたら、小林のものすごい頭の良さというか、歌うように理屈を述べてゆく加速に圧倒される。しかし考えてみると、小林の、沈黙してた方がいいのは俺も分かってるぜ、という啖呵が、なんでこんなに饒舌を生んでいるのか本当のところはよく分からない。
――考えてみると、この「俺」という言い方が、独特なのだ。これだから「女は俺の成熟する場所だった」とか言えるのである。これが「女は僕の成熟する場所だった」とかだったらウワッという感じだし、「女は儂の成熟する場所だった」とかだったら、何か谷崎的に許せる感じだし、――いっそのこと、「俺の」を抜いてみたら
「女は成熟する場所だった」
→もう少しで安部公房である。
それはともかく、虚無も種類があるんだよ、少女の愛にもいろいろあるよ、若紫は好きだよ、世之介は嫌いだよ、プラトーの花に憧れるよ、とかぐずぐず言っている保田の方が、われわれの脳内と世界とをなんとか糸で繋げようと頑張っているのだ。小林はそれに比べると、読者への演説だ。小林はもはや自分の姿なんか本当は見ていない。そこを、演説をしながら自分の心の中の姿見を凝視し続けているのが吉本隆明である。それに比べると、江藤淳というのは、優しい親父だ(一応文章上では)。言うまでもなく、彼らのすごさは、他人と自分の区別がちゃんとついているところにある。その点、コミュニケーションが若い頃上手すぎて、いまさら「我と等しき人しなければ」とか言うとる昔男は、まさに遅れてきた青年としか言いようがない。
附記)最近の「対人論証」好きのタイプは、要するに、自他の区別が苦手なタイプなのである。だから最終的には役職や職業を根拠に持ってくる。これはケンカの最終手段であって、普段からつかっているのはただのナルシストである。だからもちろん自分の意見の他者性に気づくこともない。