★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

「問答師の憂鬱」の憂鬱

2019-01-05 23:49:40 | 文学


保田與重郎の若書きの小説「問答師の憂鬱」は昔読んだことがあったはずだが、今度読み直してみたらなかなか面白かったので反省した。昔読んだときは、渡辺和靖氏の97年の論文のように、のちの保田の評論のスタイルがもうあらわれているとしか思えなかったのである。和辻哲郎の『古寺巡礼』の影響とそれへの批判も、渡辺氏が言うように感じられたが、和辻のその本は――、ヘッセからマルクスへ、よくありがちな転回をしかかっていた中学生のわたくしに向かって、和辻の本を薦めてきた国語教員がいやで、真面目に読まなかった。で、あんまり比較しようとも思わなかったのである。

いま和辻を読んでみると、浄瑠璃寺の章で、その立地に感動し、自分はかつて桃源郷に住んでいた、われわれはかつて子どもだった、みたいなことを書いている彼は、かなりぶっ飛んでいる奴だと思うし、桃源郷を赤の広場に変えれば共産主義者になりそうな感じもあるっ。神社巡りをやってみてわかったが、和辻は知を扱う者として、何かわたくしとは全く違う、嫌らしい生々しい軸を持っているようだ。

保田は、和辻みたいな思い切った投身に抵抗する。彼は少年時代から慣れ親しんだ奈良を、病を得てうろつく。「安静と不安といり代わり襲ひかかつてきた。」ここで、梶井の「檸檬」みたいな劇的な展開に至らないのは、このあとすぐさま「冷静とさわやかさを生々と感じると、いつかその瞬間に、穴ぐらのような不安が追々とのしかかってきた」と最初の「安静と不安」という軸が流産して行ってしまうからである。彼の書きぶりは、いわば、ショスタコーヴィチの交響曲第4番の第3楽章のような、異なるテーマの走馬燈が統一性を持つかどうか、みたいな表現である。

主人公「僕」は、阿修羅像に作者・問答師の「憂鬱」を自分が見るということはどういうことか、最後までうじうじと考えている。主観と客観の対立を西田哲学やらマルクス主義、――保田が勉強したところでいえば「美学」や「美術史」が、巧妙に乗り越えてしまった。「僕」も作品を「享けいれるより、自分の気分の中で作品を素材として別の新しい作品を創り出そう」といったんは結論をだしてみる。しかし、彼は病気であり、「憂鬱の帰納にまよってしまう」。そこから、「社会の制約や因習」を考えはじめたり、――しかし疲れると、少年時代から思慕する叔母に関連させて「問答師の憂鬱」を「自分の憂鬱に浄化しようと企てゝいた」。ここで、小説の本文は終わりだが、このあと、附記があって、「興福寺濫觴記」が群書類従から書き抜かれて、なんだか学術的な考察までくっついている。

小林秀雄が「Xへの手紙」で言ったように、鏡の前でかっこつける世代がデビューしてくる時代なのであるが、確かに、この保田の浪漫主義的?逡巡も鏡の前でのポーズじみているといえばいえる。小林はあんまり若者たちの憂鬱に同情的とはおもえない人であるが、もう少し同情的であれば彼らが絶望を深めることもなかったような気がする。だいたい、戦争や結核であと数年しか生きられないかもしれないと思っている二十代の絶望を当時の年配の大人たちは舐めすぎなのである。

とはいえ、保田與重郎のむにゃむにゃした書き方は、わたくしは拒否したいところだ。彼は書いててよけい憂鬱になっているに違いないじゃないか。