今日は病院の待合で長い時間があったので、「雨あがり」「「マサン」の菓子」「ふたつの石」など、『コギト』所収の小説を読み飛ばした。「ふたつの石」だけが肥下恆夫のもので、あとの二つは松田明(「マサン」の菓子」のときの筆名は柊木一)である。
肥下は創作からいずれ遠ざかってしまう人だが、「ふたつの石」なんか結構面白い。最後の一段落は余分であるような気がしたが……。薄井敏夫の短篇もそうだが、彼らの小説は、いまだったら『ビックコミック』に載るような短篇の趣がある。ある意味で、このようなセンスは、戦後の「ちょっと品のいい文芸的娯楽作品」の系統にどこかで繋がっている気がする。保田とかがそういうものを抑圧していたのかもしれない。
松田明の二つの小説は、構造が似ていた。ブッキッシュな浪漫派がいるというより、浪漫派はブッキッシュであることが実感される。「「マサン」の菓子」というのキリシタン文書にでてくる智慧の実(リンゴ)のことであるが、これが物語上の事態を説明すると同時に現実離れ(ある種の救い?)をも起こすものとして機能し、「雨あがり」では、「冥途の飛脚」の歌舞伎版である「恋飛脚大和往来」がそうであった。
それにしても、えらく夢心地な知のありようである。文学部エリートの抵抗が「さぼってやるぜ」みたいなふわふわしたものになっていることが原因だったような気がする。昨日、高田里惠子氏の講演録「学校の勉強なんかしない : 男の特権?」を読んだからそう思ったのかもしれない。わたくしは勉強不足でしらなかったが、藤村操というのは、そういう「勉強なんかしない」といった態度の走りだったらしく、決して漱石に怒られて病んでしまった人ではなかったのだ(かどうかは分からんとは思うけど……)。哲学では、西田幾多郎とか田邊元の周囲を含めて大学で勉強する意味をちゃんとつくった。おそらく西田の経歴によるコンプレックスのパワーがそれを実現した。が、文学の場合はホントのエリート漱石なんかが大学を見捨てたせいで……。
つまり、われわれ文学の教師の使命は、学生が不良の志を秘めたガリ勉をしてくれるようにがんばることのように思われる。松田明みたいな小説を書いてきた学生がいたら訓詁注釈の訓練で再教育すべきだ。
――とか思っていたら、名前が呼ばれたので、いそいそと診察室に収容されるわたくしであった。