妙な話だが、私は七歳のとき、腸カタルで三人の医者に見離された際(その時分から私は食道楽気があったものか、今や命数は時間の問題となっているにもかかわらず)、台所でたにしを煮る香りを嗅ぎ、たにしを食いたいと駄々をこね出した。生さぬ仲の父や母をはじめみなの者は異口同音に、どうしましょうと言うわけで、不消化と言われるたにしを、いろいろとなだめすかして私に食べさせようとしなかった。しかし、医者は、どうせ数刻の後にはない命である、死に臨んだ子どもがせっかく望むところだから食べさせてはどうかとすすめた。そのおかげで骨と皮に衰弱しきっている私の口に、たにしの幾粒かが投げ入れられた。看護の者は眉をひそめ、不安気な面持ちで成り行きを見つめていた。
するとどうしたことか、ふしぎなことに、たにしを食べてからというもの、あたかも霊薬が投ぜられた如く、七歳の私はめきめき元気が出て、危うく命を取り止め、日ならずして全快した。爾来何十年も病気に煩わされたことがない。それかあらぬか、今もなお、私はたにしが好きだ。
――北大路魯山人「田螺」
わたくしは、美食マンガも美食番組も嫌いで、――なぜかというと人間が食う姿に子どもの頃からなんとなく嫌悪感があるのである。おまえも食ってるじゃないかといわれればその通りであるが、自分の姿は幸運にも見えないのである。ついでに、美食の文章も嫌いで、バルザックだかなんだかが、食事の風景を細かく書いているのを読んでうんざりしたし、魯山人もいやなやつだとしか思えないが、上の田螺の文章は面白いと思う。
今日、田んぼの田螺を一生懸命観ていたら、上をカラスがあたかもわたくしを狙っているかのように、数羽旋回しているのだ。
まわりを見渡すと、田螺の死骸がそこら中に散らばっていた。