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故爾に、各天の安の河を中に置きて宇気布時に、天照大御神、先づ建速須佐之男命の佩かせる十拳の剣を乞ひ度して、三段に打ち折りて、奴那登母母由良に天の真名井に振り滌ぎて、佐賀美に迦美て、吹き棄つる気吹の狭霧に成りませる神の御名は、多紀理豐売命。亦の御名は奥津島比売命。次に市寸島比売命。亦の御名は狭依豐売命と謂す。次に多岐都比売命。三柱。速須佐之男命、天照大御神の左の御美豆良に纏かせる八尺勾潴の五百津の美須麻流の珠を乞ひ度して、奴那登母母由良に天の真名井に振り滌ぎて、佐賀美に迦美て、吹き棄つる気吹の狭霧に成りませる神の御名は、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命。亦右の御美豆良に纏かせる珠を乞ひ度して、佐賀美に迦美て、吹き棄つる気吹の狭霧に成りませる神の御名は、天之菩卑能命。亦御鬘に纏かせる珠を乞ひ度して、佐賀美に迦美て、吹き棄つる気吹の狭霧に成りませる神の御名は、天津日子根命。又、左の御手に纏かせる珠を乞ひ度して、佐賀美に迦美て、吹き棄つる気吹の狭霧に成りませる神の御名は、活津日子根命。亦、右の御手に纏かせる珠を乞ひ度して、佐賀美に迦美て、吹き棄つる気吹の狭霧に成りませる神の御名は、熊野久須豐命。五柱。
たくさん子どもができちゃいましたが、産んだ子どもで相手が潔白かどうか確かめるみたいなことをやっているわけである。そんな馬鹿なと思うわけであるが、そうでもないかもしれない。
多くの夫婦が子どもの教育方針でもめて離婚しているらしい。本当は、教育方針ではない。子どもにお互いの欠点をありありとみて心底腹が立つのである。この餓鬼の性格の悪さ、頭の悪さ、どこかで見たことあるな、と思ったら、あいつだ、となるわけである。本当は自分の要素もやや入っているのであるが、どこかしら共通点を見出して結婚している二人であるから、逆にその辺は自分なのか相手なのかよく分からなくなっているわけである。
今日も夕立があった。
風がごうっと吹き雨がしゃこしゃこ降って土に吸い込まれ、草木がもりっと元気になると、太陽がこれでもかと光を浴びせる。確かに、生命は、上の二人が吹き出した「気吹の狭霧」(風と雨)を元としているような気がするのであった。過剰に性的にとらなくとも、自然の描写のような意味で、――それらは生命の仕組みに見えたのではなかろうか。
しかしまあ、どちらが生命の起源的なものか、つまり親かというと、子宮であるのか精子であるのかわからないように、どうにもならない議論に突入していくほかはなく、ここでもスサノオが勝手に勝利宣言して、乱行を働き始めるのは周知の通りである。可愛そうなのは、周囲である。
僕のなかには大きな風穴が開いて何かがぐるぐると廻転して行った。何かわけのわからぬものが僕のなかで僕を廻転させて行った。僕は廃墟の上を歩きながら、これは僕ではないと思う。だが、廃墟の上を歩いている僕は、これが僕だ、これが僕だと僕に押しつけてくる。僕はここではじめて廃墟の上でたった今生れた人間のような気がしてくる。僕は吹き晒しだ。吹き晒しの裸身が僕だったのか。わかるか、わかるかと僕に押しつけてくる。それで、僕はわかるような気がする。子供のとき僕は何かのはずみですとんと真暗な底へ突落されている。何かのはずみで僕は全世界が僕の前から消え失せている。ガタガタと僕の核心は青ざめて、僕は真赤な号泣をつづける。だが、誰も救ってはくれないのだ。僕はつらかった。僕は悲しかった、死よりも堪えがたい時間だった。僕は真暗な底から自分で這い上らねばならない。僕は這い上った。そして、もう堕ちたくはなかった。だが、そこへ僕をまた突落そうとする何かのはずみはいつも僕のすぐ眼の前にチラついて見えた。僕はそわそわして落着がなかった。いつも誰かの顔色をうかがった。いつも誰かから突落されそうな気がした。突落されたくなかった。堕ちたくなかった。僕は人の顔を人の顔ばかりをよく眺めた。彼等は僕を受け容れ、拒み、僕を隔てていた。人間の顔面に張られている一枚の精巧複雑透明な硝子……あれは僕には僕なりにわかっていたつもりなのだが。
――原民喜「鎮魂歌」
原爆――スサノオのような風を受けると、人間は妊娠するどころか、ふきさらしの人間となる。人間は強くない。