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★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

闇夜に対する

2020-08-12 23:40:05 | 文学


アマテラスがスサノオの横暴にあいそをつかし、洞窟に籠もってしまった。世界から光が失せた。――にしては、神々は活動的である。

常世の長鳴鳥を集めて鳴かしめて、天安河の河上の天の堅石を取り、天の金山の鉄を取りて、鍛人天津麻羅を求ぎて、伊斯許理度売命に科せて鏡を作らしめ、玉祖命に科せて、八尺の勾たまの五百津の御須麻流の珠を作らしめて、天児屋命、布刀玉命を召して、天の香山の真男鹿の肩を内抜きに抜きて、天の香山の天の波波迦を取りて、占合ひ麻迦那波しめて、天の香山の五百津真賢木を根許士爾許士て上枝に八尺の勾たまの五百津の御須麻流の玉を取り著け、中枝に八尺鏡を取り繋け、下枝に白丹寸手、青丹寸手を取り垂でて、此の種種の物は、布刀玉命、布刀御幣と取り持ちて、天児屋命、布刀詔戸言祷き白して、天手力男神、戸の掖に隠り立ちて、天宇受売命、天の香山の天の日影を手次に繋けて、天の真拆をかづらと為て、天の香山の小竹葉を手草に結ひて、天の石屋戸にう気伏せて蹈み登抒呂許志、神懸り為て、胸乳を掛き出で裳緒を番登に忍し垂れき。爾に高天の原動みて、八百万の神共に咲ひき。

最後の青少年育成条例違反的なダンスのところに注目しすぎて、しばしばわたくしも、このお祭りがたくさんの手順を踏んでいることを忘れていた。長鳴鳥はどうやら鶏のことらしいが、コケコッコーが鳴いたくらいでどうにかなるもんでもないのは、神々でなくても分かる。次に鏡をつくらせる。鏡に映して魂を呼び込もうという作戦であろうか。我々は、毎日鏡に向かっていますが、我々の心が虚無なのは、そのためだったのでしょう。――そういえば、油断していましたが、もう鉄鋼の技術もあったらしいのです。我々は神々の痴話げんかに目をとられすぎました。次いで、玉づくりです。勾玉をたくさん集めて玉飾りをつくります。玉は太陽を誘い出すらしいのです。 ここまでくると、さあそれをつり下げて光を当てよディスコだ、となりそうですが、そのまえに鹿の方骨で占いです。

で、踊りの前に(←しつこい)、榊とか勾玉とか鏡とか幣とかをなんかいろいろして祝詞を唱えます。

あとは青少年育成条例違反です。

思うに、スサノオが暴れたりして世の中がおかしくなると、こういう祭りをやると称して「やった感」を出していたのでしょう。いまでも、GOTOHELLキャンペーンをはじめ、人々がやたら外に出てはしゃいでおりますが、おそらく上のお祭りなのです。「やった感」を批判する方々は、民衆のこのお祭りまで否定する勇気がなければならぬ。

坂口安吾「戦争と一人の女」の映画版にも、女が下半身を太陽にあてて消毒する場面があったが、案外上の場面の変形かも知れない。そのかわり、戦争は男と女と関係なく進行して破滅した。

 戦争は終つた。
 戦争の間だけの愛情だといふことは、二人の頭にこびりついてゐた。敵の上陸する日まで、それは二人の毎日の合言葉であり、言葉などの及びもつかぬ愛情自体の意志ですらあつた。その戦争が終つたのだ。
 女はほんとに一緒に暮したい気持があるのかな、と、野村は考へてみても信じる気持がなかつた。
 淫蕩の血が空襲警報にまぎれてゐたが、その空襲もなくなるし、夜の明るい時間も復活し、色々の遊びも復活する。女の血が自然の淫奔に狂ひだすのは僅かな時間の問題だ。止めようとして、止まるものか。高めようとして、高まるものか。
 終戦になつてみると、覚悟はきまつたやうだ。なに、女だつて、さうなのだ。野村に食つてかゝつた女は、二人の愛情の永続を希むやうな言葉のくせに、見様によつては野村よりも積極的に、すでに二人の破綻のための工作の一歩をきりだしたやうなものだ、と野村は思つた。
 女はいつでも良い子になりたがるのだ、自分の美名を用意したがるものなのだ、と、急に憎さまでわいてきた。
 女は一泊の旅行にでも来たやうな身軽さでやつて来たのに、出る時はさうも行かないものなのか。なに、しばらく淫蕩を忘れて、ほかに男のめあてがないから今だけはこんな風だが、今にこつちが辟易するやうになるのは分りきつてゐるのだ、と野村はだんだん悪い方へと考へる。女のわがまゝを見ぬふりをして一緒に暮すだけの茶気は持ちきれないと思つた。
「もう、飛行機がとばないのね」
 女は泣きやんで、ねそべつて、頬杖をついてゐた。
「もう空襲がないのだぜ。サイレンもならないのさ。有り得ないことのやうだね」
 女はしばらくして、
「もう、戦争の話はよしませうよ」
 苛々したものが浮んでゐた。女はぐらりと振向いて、仰向けにねころんで、
「どうにでも、なるがいゝや」
 目をとぢた。食慾をそゝる、可愛いゝ、水々しい小さな身体であつた。
 戦争は終つたのか、と、野村は女の肢体をむさぼり眺めながら、ますますつめたく冴えわたるやうに考へつゞけた。


こういう情景を生み出しただけでも、近代は意味があった。