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伊邪那岐大御神、速須佐之男命に詔りたまひしく、「何由かも汝は事依させし国を治らさずて、哭きいさちる。」とのたまひき。ここに答へ白ししく、「僕は妣の国根の堅州国にまからんと欲ふ。故、哭くなり。」とまをしき。ここに伊邪那岐大御神、大く忿怒りて詔りたまひしく、「然からば汝はこの国に住むべからず。」とのりたまひて、すなはち神逐らひに逐らひたまひき。故、その伊邪那岐大御神は、淡海の多賀に坐すなり。
イザナキの禊ぎのとき鼻から生まれたのがスサノオで、海を治めることになっていた。最近の子どもはものすごい勢いで泣く子がいてどうなってるのかと思うが、――スサノオの場合は、母恋し、なのであった。此の部分の前は、
各々依さしたまひし命の随に、知らしめす中に、速須佐之男命、命させし国を治らさずて、八拳須心の前に至るまで、啼きいさちき。その泣く状は、青山は枯山の如く泣き枯らし、河海は悉に泣き乾しき。ここをもちて悪しき神の音は、さ蝿如す皆満ち、萬の物の妖悉に発りき。
であって、スサノオのギャン鳴きのせいで、山は枯れ、海は涸れ、悪霊が夏蠅の如く轟きわたるのであった。たぶん猛烈台風と日照りが一夏に来たような感じで、屍体にたかる蠅が空を覆っていたに違いない。スサノオは海洋系のふつうの王さまだったに違いないが、こんな災厄の象徴にされてしまったのであろう。出雲神話系を組み込むためのスサノオの登場だとも言われているが、彼を追放した後、イザナキが淡路の多賀神社に祀られています、というのはやはり唐突に見える。スサノオに淡路島まで追い詰められてころされたのかもしれんが、どうでもいいか……。
坂口安吾が新日本地理で言っているように、八坂神社の多さからスサノオの人気ぶりを想定すべきかもしれないが、――わたくしは、スサノオがやたら泣いていることが気に掛かる。古事記の作者は、我が風土にある泣く文化の一端について語ろうと思ったのかもしれない。そんな泣く男は、母の元へ、死の国へ行きたいと泣いている。それが消極的なものではなく、すごく積極的な何かなのだ。
写真をうつしてしまふと、お猫さんはトボトボとお家へ帰つて来て、鏡を見ました。涙がホツペタを流れて、顔中の毛がグシヤグシヤになつてゐました。
「これぢやあ、一等どころかビリツコだ。」と思ふと、又もや涙が流れて出ました。
「あひるさんのリボンを買つてかへすにもお金はなし……」と思ふと、又もや涙が流れ出ました。ところが、あくる日、おそるおそる新聞を見ますと、
「泣いてゐるお猫さん。一等」と大きな活字で書いてありました。お猫さんはとびあがる程よろこびました。そして写真屋さんへ行つて一円五十銭もらひました。
――村山壽子「泣いているお猫さん」
泣いていると母親が何かしてくれるので、我々は何かを学ぶ。しかし、それが直截的な因果関係でなくとも、泣いていると何かが起こったりすることがあるものだ。