★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

仁義なき神神の闘い

2020-08-17 22:19:09 | 文学


兎申さく、『僕、淤岐ノ島にありて、この地に渡らまく欲りつれども、渡らむ由なかりし故に、海の鰐をあざむきて言ひけらく、「吾と汝と族の多き少きを競べてむ、故に汝は其の族の在りのことごとに率ひ来て此の島より、気多之前まで、皆並み伏し渡わたれ、吾其の上を踏みて走りつつ読み渡り、ここに吾が族と何れが多きといふにとを知らん。」かく言ひしかば欺かへて列伏せりし時に、吾、其の上を踏みて読み渡り来て、今、地に下りんとする時に、吾「汝は吾に欺かへつ。」と言終れば、即ち最端に伏せる鰐、我を捕へて、ことごとに我が着物を剥ぎ、これによりて泣き患ひしかば、先だちて行てませる、八十神之命もちて、海塩を浴みて、風に当り伏せれと教へ給ひき。故に教への如くせしかば、我が身ことごとに傷えつ。』と申す。

かの兎であるが、オオクニヌシに語ったところによると、鰐さんたちあちらの岬までずらりと並んで下さい。私がその上を踏んで走りながら数えて渡ります。私たちとあなたたちとどちらが数が多いか分かるからあ、と言ったら、並んでくれたので、渡った。で、さいごの一匹の所で「やーいダマされたな」と言ったら、毛の着物を剥ぎ取られたんです。で、さっきのおじさんたちが、私に、塩をつけて風に当たれと……。

前日は、お兄さんたちがゴミクズ、いやザコのように書きましたが、兎も性悪だったのです。そりゃ、鰐さんも怒るわ、毛を剥ぐわ……。

当時は、どうせ、ヤクザ同士の戦争ばっかりで、鰐一族と兎一族のどちらが正しいなんて事はありません。通りかかったヤクザも悪だし、――どうしようもないですね。

しょっつるのあの少しえがらっぽいようなうら悲しい味は、粗塩を使うところからきているもののように、私には思われる。少なくもドーヴァーの塩を使ったら、ああいう味にはなるまい。しょっつるはそううまいものではないが、あのわびた味の底には、われわれの遠い祖先のためいきがある。そしてこの日本の国は、しょっつるをなめながら、激しい勤労をしていた、名もなき民の力によって、できあがってきたものである。

――中谷宇吉郎「塩の風趣」


四国にも塩に関係する神社がものすごい数存在しているが、――よくわからんが、鰐一族かオオクニヌシのお兄様たちは、兎一族を塩つけて食おうとしていたのかもしれない。勝手な妄想であるが、日本人が人を食っていなかったとなぜ言えるか。

近代文学にもいくつか人を食べた話があるし、最近のサブカルチャーでも時々食っている。