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★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

成りませる神の名は、天照大御神

2020-08-08 22:28:47 | 文学


ここに、左の御目を洗ひたまひし時に、成りませる神の名は、天照大御神。次に右の御目を洗ひたまひし時に、成りませる神の名は、月読命。次に御鼻を洗ひたまひし時に、成りませる神の名は、建速須佐之男命。

どうもアマテラスというのは、日本で尊敬されているのか分からないところがあり、大日如来にされたり、――空海がその化身だという本まであるのだ。いまでも農家などに限らず、伊勢神宮の判子が押してある天照大神の掛け軸が床の間に大仰に懸けられているが、その前を毎日我々は行ったり来たりしているのであって、まさにお守りに近い。

このまえ夕陽を眺めていたら、おの夕陽にさっと雲がなびいて光が弱くなった。たよりない神様で、確かに、目の穢れを拭ったという不安定な状況のお方なのである。

そういえば、わが木曽山脈のいちばん南の山である恵那山は、アマテラスが降臨して、その胞衣(えな)が埋められた伝説がある。御嶽と木曽駒に挟まれて育ったわたくしは恵那山など低すぎてバカにしておったが、神話レベルでは、太陽神が降臨しヤマトタケルが拝んだ山である。

こんなところに、リニアなど通して大丈夫なのか?

葉山嘉樹の小説には恵那がたびたび出てくる。

太陽は、ゆっくりと中央アルプス連峰の方へ、歩いて行った。まだ日は高かった。
 が、何かしら、大きな仕事を成し終えた時のような、安堵の心とうつろな魂の疲れが人々を捕えた。
 川下に死体を探しに行った、堰堤の方の人々は、まだ帰らなかった。
 川舟が上り、雨が降って、眠れる天龍が、起こって雲を呼び、雨を降らし、川底の石を転がすようになっては、死体の捜索は困難というよりも、至難になるであろう。


――葉山嘉樹「山谿に生くる人々」


ほとんど神話の世界に突入している葉山の世界であった。