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ここに詔りたまはく、「佐久夜姫一宿にや妊める。此れ我が子に非じ。必ず、国つ神の子ならむ」とのりたまひき。ここに答へ白さく、「吾が妊める子、若し国つ神の子ならば、産む時幸あらじ、若し天つ神の御子ならば、幸くあるむ」とまおして、即ち戸無き八尋殿を作りて、その殿の内に入り、土もちて塗り塞ぎて、産む時にあたりて、その殿につけて産みき。かれ、その火の盛りに焼ゆる時に産みし子の名は、火照命、次に産みし子の名は、火須勢理命。次に産みし子の名は、火遠理命、亦の名は天津日高子穂手見命。
サクヤヒメはいきなり妊娠したが、ニニギはそんなにはやく子どもができると思ってもみなかったのである。この狼狽の仕方、さてはこやつ人間ではなかろうか。
サクヤヒメはさては国ツ神の子であろうと疑いをかけられて激怒。なんだか、「同棲時代」とかなんかに出てきそうなかんじですが、現代の疑いを掛けられた女の子が田舎に帰ったりひどい目に遭ったりするのに対し、サクヤヒメはさすが征服された民族の意地があるのかしらないが、出産の時に御殿を作り、土ですべて塗り固めた――むろん、自分はその中で出産するつもりである。明らかにセックス拒否のメタファーの如しである、おまけにそこに火をつけた。考えてみれば、密閉空間なので、火はそれほど燃えないのではないかと思われるのであるが、――とにかく、火の玉ベイビーを産み落とすことに成功したのである。こんな赤ん坊がただ者であるはずがなく……(以下略)
所がその後一月ばかり経つて、愈々地獄変の屏風が出来上りますと良秀は早速それを御邸へ持つて出て、恭しく大殿様の御覧に供へました。丁度その時は僧都様も御居合はせになりましたが、屏風の画を一目御覧になりますと、流石にあの一帖の天地に吹き荒んでゐる火の嵐の恐しさに御驚きなすつたのでございませう。それまでは苦い顔をなさりながら、良秀の方をじろじろ睨めつけていらしつたのが、思はず知らず膝を打つて、「出かし居つた」と仰有いました。この言を御聞きになつて、大殿様が苦笑なすつた時の御容子も、未だに私は忘れません。
それ以来あの男を悪く云ふものは、少くとも御邸の中だけでは、殆ど一人もゐなくなりました。誰でもあの屏風を見るものは、如何に日頃良秀を憎く思つてゐるにせよ、不思議に厳かな心もちに打たれて、炎熱地獄の大苦艱を如実に感じるからでもございませうか。
しかしさうなつた時分には、良秀はもうこの世に無い人の数にはいつて居りました。それも屏風の出来上つた次の夜に、自分の部屋の梁へ縄をかけて、縊れ死んだのでございます。
――芥川龍之介「地獄篇」
だいたい、娘を牛車に放り込んで火をつけて「地獄」と称している程度の男が芸術家であるか、はなはだ怪しいと思うのである。火は地獄を出現させるとは限らない。古事記のように、火は生の誕生でもある。