
故是を以ちて其の速須佐之男命、宮造作るべき地を出雲国に求ぎたまひき。爾に須賀の地に至り坐して詔りたまひけらく、「吾此地に来て、我が御心須賀須賀斯。」とのりたまひて、其地に宮を作りて坐しき。故、其地をば今に須賀を云ふ。
いま須賀のあたりをグーグルアースで覗いてみると、あんがい山の方であって、ここで「すがすがしいなあ」と思うというのは、――彼の引きこもり気質を示しているようで面白いと思うのである。考えてみりゃ、ヤマタノオロチの件の時も、川に箸が流れてきたので、遡ってみたという、山好きである。彼はもともとお母ちゃんに会いたいという感じの人であって、坂口安吾のように、海を見て女を感じるみたいなおかしな人を除けば、ふつうは、山に懐かれてみたいなのが母なるものに接近することではなかろうか。羊水に懐かれてみたいのは、近代人の後付けだと思うのだ。
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を
八、という字は神秘的なものらしいんだが、ふつうに考えて山の形である。この歌を二メートル離れて見てみよう。妻を囲んだ「八」(山)が並んでいるとしか見えないではないか。入道雲、八重垣はだめ押しに過ぎない。
そういえば、小泉八雲は上の八雲からとったらしいし(ハーンの「ハ」が「八」に似てるしね……)、妻も出雲藩士の娘だった。彼の文学についてはよくわからん……。彼がドルイド教を信奉してた方にわたくしは興味がある。要するに、このひとはジャーアナリストというかんじではなかろうか。
そういえば、わが田舎の南の方にも妻籠というところがあるが、これは、上のものとは関係あるという説は聴いたことがない。
十月早稲田に移る。伽藍のような書斎にただ一人、片づけた顔を頬杖で支えていると、三重吉が来て、鳥を御飼いなさいと云う。飼ってもいいと答えた。しかし念のためだから、何を飼うのかねと聞いたら、文鳥ですと云う返事であった。
文鳥は三重吉の小説に出て来るくらいだから奇麗な鳥に違なかろうと思って、じゃ買ってくれたまえと頼んだ。ところが三重吉は是非御飼いなさいと、同じような事を繰り返している。うむ買うよ買うよとやはり頬杖を突いたままで、むにゃむにゃ云ってるうちに三重吉は黙ってしまった。おおかた頬杖に愛想を尽かしたんだろうと、この時始めて気がついた。
すると三分ばかりして、今度は籠を御買いなさいと云いだした。
――漱石「文鳥」
帝大の英語教師ハーンの後任であった漱石のこの作品はたぶん、近代日本を代表する作品の一つで、ここでは八重でなく、三重吉がでてくる。籠の中には妻ではなく文鳥がいる。スサノオの壮大さに比べ、この半端な囲われた空間で、文鳥が死ぬ。娘が墓を建てた。
しばらくすると裏庭で、子供が文鳥を埋るんだ埋るんだと騒いでいる。庭掃除に頼んだ植木屋が、御嬢さん、ここいらが好いでしょうと云っている。自分は進まぬながら、書斎でペンを動かしていた。
翌日は何だか頭が重いので、十時頃になってようやく起きた。顔を洗いながら裏庭を見ると、昨日植木屋の声のしたあたりに、小さい公札が、蒼い木賊の一株と並んで立っている。高さは木賊よりもずっと低い。庭下駄を穿いて、日影の霜を踏み砕いて、近づいて見ると、公札の表には、この土手登るべからずとあった。筆子の手蹟である。
午後三重吉から返事が来た。文鳥は可愛想な事を致しましたとあるばかりで家人が悪いとも残酷だともいっこう書いてなかった。