
かれ天つ神の御子、その横刀を獲し所以を問ひたまへば、高倉下答へ曰さく、「己が夢に云はく、天照大神・高木神二柱の神の命以ちて、建御雷神を召して詔りたまはく、『葦原中国はいたくさやぎてありなり。我が御子等、不平みますらし。その葦原中国は、専ら汝の言向けし国なり。かれ、汝、建御雷神降るべし』とのりたまひき。
建御雷神(タケミカズチ)!国譲りのときに、切っ先の上にあぐらをかいていた完全なるサイコパスです。こいつがきたら大変なことになりそうです。
ここに答へて白さく、『僕は降らずとも、専らその国を平けし横刀あれば、この刀を降すべし』とまをしき。この刀の名は佐士布都神と云ひ、亦の名は甕布都神と云ひ、亦の名は布都御魂と云ふ。この刀は石上神宮に坐す。
こないのか……。そのかわり、刀を落とすのでそれで平定してね、ときた。我が国の物神崇拝は、モノにもコトにもコトバにも向けられ、それが混乱しているところがあるが、惜しいことに、モノに対するフェティッシュがあまり感じられないのだ。ここでなぜ刀をもっと細々描写しないのであろうか。そのかわりに、名前が三種類も出てくる。現在置いてある場所もきちんと書いてある。
もし悟れなければ自刃する。侍が辱しめられて、生きている訳には行かない。綺麗に死んでしまう。
こう考えた時、自分の手はまた思わず布団の下へ這入った。そうして朱鞘の短刀を引き摺り出した。ぐっと束を握って、赤い鞘を向へ払ったら、冷たい刃が一度に暗い部屋で光った。凄いものが手元から、すうすうと逃げて行くように思われる。そうして、ことごとく切先へ集まって、殺気を一点に籠めている。自分はこの鋭い刃が、無念にも針の頭のように縮められて、九寸五分の先へ来てやむをえず尖ってるのを見て、たちまちぐさりとやりたくなった。身体の血が右の手首の方へ流れて来て、握っている束がにちゃにちゃする。唇が顫えた。
――漱石「第二夜」
漱石は、刀そのものではなく、刀から発するなにものかを見てしまう人間を描いている。漱石なりに、我が国の武力への拘りについて考えていたに違いない。ここでは、夢の中で記号の自動運動みたいに人物が自刃に導かれていってしまうのだが、彼は一応孤独に描かれている。実際は、もっと孤独でないものが刀を振り回していたような気がするのであるが……。