九月になりて、まだしきに格子をあげて見いだしたれば、内なるにも外なるにも川霧たちわたりて、ふもとも見えぬ山の見やられたるも、いとものがなしうて、
ながれての床とたのみてこしかども 我がなかがははあせにけらしも
とぞいはれける。
夫婦仲は絶えないだろうと頼みにしてきた。しかし中川の水が涸れる如くに、私たちの中も遠くなってしまったらしいのだ。――というような歌である。蜻蛉さんは転居した。こういう場合は、離婚ではないかもしれないけれども、もう「床」の関係はないということである。
病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである。僅かに手を延ばして畳に触れる事はあるが、蒲団の外へまで足を延ばして体をくつろぐ事も出来ない。甚だしい時は極端の苦痛に苦しめられて五分も一寸も体の動けない事がある。苦痛、煩悶、号泣、麻痺剤、僅かに一条の活路を死路の内に求めて少しの安楽を貪る果敢なさ、それでも生きて居ればいひたい事はいひたいもので、毎日見るものは新聞雑誌に限つて居れど、それさへ読めないで苦しんで居る時も多いが、読めば腹の立つ事、癪にさはる事、たまには何となく嬉しくてために病苦を忘るるやうな事がないでもない。年が年中、しかも六年の間世間も知らずに寐て居た病人の感じは先づこんなものですと前置きして
――正岡子規「病床六尺」
同じ床といっても、こうなると早く離れたくてしかたがないのであるが、どうしようもない。死の床なのだ。蜻蛉さんはボンクラがいのちの一生であったような書きぶりであり、――実際はそんなこともないのであろうが――。もっとも、蜻蛉さんのような和歌の才能がなかった人々はたくさんいたわけであり、言葉がない苦しみはいかほどであったろう。蜻蛉さんも子規も言葉の人であるから苦しみも独特なんだろうが……