ただし天下草創の功は、武略と智謀とに二つにて候ふ。もし勢を合はせて戦はば、六十余州の兵を集めて武蔵相摸の両国に対すとも、勝つ事を得難し。もし謀を以つて争はば、東夷の武力ただ利を砕き、堅きを破る内を不出。これ欺くに安うして、怖るるに足らぬところなり。合戦の習ひにて候へば、一旦の勝負をば必ずしも不可被御覧。正成一人いまだ生きてありと被聞召候はば、聖運遂に開かるべしと被思召候へ
「正成一人いまだ生きてありと被聞召候はば、聖運遂に開かるべし」とか言ってみたいものである。いまなんか、どうみてもそうしてはいけない人間が、自分で自分を褒めたりして、自己肯定をはかっており、――にもかかわらず、どうせこの輩は今自己肯定が流行っているから肯定しているからであり、自分一人になったら、どこかに隠れてしまうであろう。正成は、自分を過大評価しているとともに、天皇に最後までついて行く、そのためには死ぬ準備があると言っているのである。
これが、日本人のマジョリティの中で消化されると、相手は物量だけだ最後の一人になるまで戦う、――とかいいながら、誰もそんな気はなく、ヨーロッパと本気で戦おうとしてたのは思想家たちや文学者のごく一部に過ぎない。やはり、スローガンでなく、思想の問題として闘いを考えた連中だけが戦うことができるのである。ただ、頑張りゃいいというのは、いまの自己肯定マニアとおなじで、――もうはっきり言った方がいいと思うが、偏執狂であろう。
いかなる茅屋に住んでいても、いかなる身装をしていても、偉人は必ず偉人である。いかなる地位にあろうとも、父祖の地位財宝を擁しているだけでは、凡人以下の凡人である。で、乱世でなくとも大人物になれるのは同じいことである。
世の中には戦争があり、平和がある。何人も爛漫たる平和を望まぬものはないが、その平和を維持せんとしては、時に戦争をしなければならない。大戦争さえすればその後に大平和が来る。世の中はこういうものである。実力のない国は戦争には負けるし、平和もいつ破壊せられるか知れない。一個人にしてもそうである。大いに奮闘した人でなければ大きな安楽は得られない、少ししか働かないものは、いつ一日休息ということなしに、こせこせ働きつづけている。青年の血気盛んな時代にやれるだけやって、いかなる圧迫にも苦痛にも堪えて行くだけの反撥的勇気を養うに限る。
――大隈重信「青年の天下」
すなわち、こういうことを青年に吹き込んだ人間の凡人性、小人性をそろそろ問題にした方がよいようだ。