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桜井の宿を過ぎさせ給ひける時、八幡を伏し拝み御輿を舁き居ゑさせて、再び帝都還幸の事をぞ御祈念ありける。八幡大菩薩と申すは、応神天皇の応化百王鎮護の御誓ひ新なれば、天子行在の外までも、定めて擁護の御眸をぞ廻らさるらんと、頼もしくこそ思し召しけれ。湊川を過ぎさせ給ふ時、福原の京を御覧ぜられても、平相国清盛が四海を掌に握つて、平安城をこの卑湿の地に遷したりしかば、幾程なく亡びしも、ひとへに上を犯さんとせし驕りの末、果たして天の為に罰せらるるぞかしと、思し召し慰む端となりにけり。印南野を末に御覧じて、須磨の浦を過ぎさせ給へば、昔源氏の大将の、朧月夜に名を立ててこの浦に流され、三年の秋を送りしに、波ただここもとに立ちし心地して、涙落つるとも思えぬに、枕は浮くばかりに成りにけりと、旅寝の秋を悲しみしも、理なりと思す召さる。
考えてみると、八幡菩薩を応神天皇の仏身であるとか、そういう自明な知識をわざわざ言っていることが引っかかるのであるが、一応、このあとの平家の福原京の件につなげる為もあるであろう。天皇をないがしろにした罰が当たって平家は「程なく亡びた」というのだ。――しかし、福原京を焼き払ったのは天罰などではなく、木曾義仲のおかげである。そこんとこよろしく。
はずかしくなったのか、源氏物語の大将が須磨に流された件までも持ち出してくる語り手であった。がっ、――まことに申し訳ありませんが、源氏物語はフィクションです。
時経てから、源氏が出た或酒宴で、柏木も席に列っていたが、内心の苛責から、源氏に対して緊張した態度をとっている。其が却って源氏の心の底の怒りに触れて来る。そして源氏は柏木を呼んで、酔い倒れるまで無理強いに酒をすすめる。柏木は其が原因で病死する。源氏が手を下さずして殺した事になる訣だ。殺すという一歩手前まで迫った源氏の心を、はっきりと書いたのが、若菜の巻の練熟した技術である。美しい立派な人間として書かれて来た源氏が、四十を過ぎて、そんな悪い面を表してくる。此は厭な事ではあるが、小説としては、扱いがいのある人間を書いている訣である。大きく博く又、最人間的な、神と一重の境まで行って引き返すといった人間の悲しさを書いている。作者に、其だけの人間の書ける力が備っていたのである。此だけの大きさを持った人間を書き得た人は、過去の日本の小説家には、他に見当らない。
源氏物語は、男女の恋愛ばかりを扱っているように思われているだろうけれど、我々は此物語から、人間が大きな苦しみに耐え通してゆく姿と、人間として向上してゆく過程を学ばなければならぬ。源氏物語は日本の中世に於ける、日本人の最深い反省を書いた、反省の書だと言うことが出来るのである。
――折口信夫「反省の文学源氏物語」
そうだったのか、という感じである。確かに、後醍醐天皇も、八幡大菩薩、清盛、源氏物語、と落ちぶれてゆく自分をイメージで糊塗しているようにみえるが、心の中は怒りと悲しみでいっぱいである。この総量が大きくなければ反省は生まれない。西田幾多郎の哲学なんか、反省とか自己同一とかなんとかいろいろ言っているが、とにかく悲しみでいっぱいだったのである。