或夜一献の有けるに、相摸入道数盃を傾け、酔に和して立て舞事良久し。若輩の興を勧る舞にてもなし。又狂者の言を巧にする戯にも非ず。四十有余の古入道、酔狂の余に舞ふ舞なれば、風情可有共覚ざりける処に、何くより来とも知ぬ、新坐・本座の田楽共十余人、忽然として坐席に列てぞ舞歌ひける。其興甚尋常に越たり。暫有て拍子を替て歌ふ声を聞けば、「天王寺のやようれぼしを見ばや。」とぞ拍子ける。或官女此声を聞て、余の面白さに障子の隙より是を見るに、新坐・本座の田楽共と見へつる者一人も人にては無りけり。或觜勾て鵄の如くなるもあり、或は身に翅在て其形山伏の如くなるもあり。異類異形の媚者共が姿を人に変じたるにてぞ有ける。官女是を見て余りに不思議に覚ければ、人を走らかして城入道にぞ告たりける。入道取物も取敢ず、太刀を執て其酒宴の席に臨む。中門を荒らかに歩ける跫を聞て、化物は掻消様に失せ、相摸入道は前後も不知酔伏たり。燈を挑させて遊宴の座席を見るに、誠に天狗の集りけるよと覚て、踏汚したる畳の上に禽獣の足迹多し。城入道、暫く虚空を睨で立たれ共、敢て眼に遮る者もなし。良久して、相摸入道驚覚て起たれ共、惘然として更に所知なし。
北条高時は田楽に夢中であった。語り手は調子に乗って、「四十有余の古入道、酔狂の余に舞ふ舞なれば、風情可有共覚ざりける」とからかっている。このあとに、妖怪共が化けた田楽師の登場であるから、高時の醜態というか酔狂ぶりと妖怪たちは繋がっている。高時はただの人間であるが、田楽に狂って踊っている。そこに本物の田楽師たちがやってきたようにみえたが、彼らの姿には、その前の40男の醜悪なイメージが被さっている。いっそのこと、彼らを妖怪としてしまえ、と言うわけだ。
魚の骨しはぶるまでの老を見て
芭蕉がそれに続ける。いよいよ黒っぽくなった。一座の空気が陰鬱にさえなった。芭蕉も不機嫌、理窟っぽくさえなって来た。どうも気持がはずまない。あきらかに去来の「道心のおこりは」の罪である。去来も、つまらないことをしたものだ。
さてそれから、二十五句ほど続いて「夏の月の巻」が終るのだが、佳句は少い。
ちょうど約束の枚数に達したから、後の句に就いては書かないが、考えてみると私も、ずいぶん思いあがった乱暴な事を書いたものである。芭蕉、凡兆、去来、すべて俳句の名人として歴史に残っている人たちではないか。夏の一夜の気まぐれに、何かと失礼に、からかったりして、その罪は軽くない。急におじけづいて、この一文に題して曰く、「天狗」。
夏の暑さに気がふれて、筆者は天狗になっているのだ。ゆるし給え。
――太宰治「天狗」
本当の妖怪は、芭蕉一門なのだ。太宰治は、文芸のもつその妖怪性から人間に復帰したかった。天狗を妖怪から人間に変容させたその手法は流石だ。この文章は昭和17年のもので、現実の妖怪性が虚構を圧迫していた。そんな現実から離れるためには、人間に帰る必要があったのである。