1989年大学卒業の与党政治家の息子大江波流と小説家志望の鷹西仁の友人2人が、大江は大蔵省に入省したが父親が急死して巨額の借金を残し窮地に陥って昵懇だった引退した与党の重鎮堀口保に相談に行き口論の上殺害してその金庫にあった金を原資にIT企業を興して成功し潤沢な資金を背景に政治家となって44歳にして官房長官となって総理大臣の椅子を伺うに至り、鷹西は新聞記者をしながら小説を書き次第に人気作家となっていくが最初の赴任地で出くわしながら転勤で取材が不十分だった堀口保殺害事件に後ろ髪を引かれ続けという社会人出世物語的ミステリー小説。
最初の方で殺人事件の犯人が明かされているので(それでここでも最初にハッキリ書いてしまいましたが)ミステリーとしては刑事コロンボ的な、順風満帆のエリート大江がいかに挫折し追い詰められるかという興味で読むことになりますが、そこは詰めの甘さを感じ、すっきりしません。
大江側には、妻敦子とのほのぼのとした柔らかい時間が描かれ、そこが読んでいてホッとする点になっているのですが、ただ敦子が登場することで気持ちが温かくなるという以上のストーリー上の役割がなく、中途半端さというか物足りなさを残します。
鷹西には、新聞記者をしながら小説を書き、新人賞を取っても記者を辞めず、受賞作と別分野で文庫書き下ろしで人気を集め、最近になって新聞社を辞めたという作者の経歴をほぼ踏襲させた上で、小説家としてのぼやきを多々書き込んでいて、う~ん、小説家の愚痴を書きたい小説?といぶかしみます。まぁ、そういうところはそういうところなりに読みどころともいえますけどね。
奥書で「学生運動で命を落とした高校生の死の真実を巡り『昭和』の罪を描いた『衆』は本書と対をなす作品」と書かれているので、「衆」に続いて読んでみたのですが、どう「対をなす」のか、私にはよくわかりませんでした。共通する登場人物は、「衆」の主人公といえる鹿野が政治学者としてテレビでコメントするところが1か所出てくるのと、小沢一郎とおぼしき「藤崎総理」が登場するくらい。大江は、経歴は明らかに違うんですが、若くして官房長官で(東日本大震災の時の官房長官ですし)クリーンが売りという設定は枝野幸男をイメージさせるともいえますので、左翼(枝野幸男や民主党が左翼とは思えませんけど、ネット右翼から見れば左翼)と人権派弁護士が嫌いで貶めたいという意思が感じられる点では「衆」と共通しているということかも。

堂場瞬一 集英社 2012年8月30日発行
「小説すばる」2011年4月号~2012年3月号連載
最初の方で殺人事件の犯人が明かされているので(それでここでも最初にハッキリ書いてしまいましたが)ミステリーとしては刑事コロンボ的な、順風満帆のエリート大江がいかに挫折し追い詰められるかという興味で読むことになりますが、そこは詰めの甘さを感じ、すっきりしません。
大江側には、妻敦子とのほのぼのとした柔らかい時間が描かれ、そこが読んでいてホッとする点になっているのですが、ただ敦子が登場することで気持ちが温かくなるという以上のストーリー上の役割がなく、中途半端さというか物足りなさを残します。
鷹西には、新聞記者をしながら小説を書き、新人賞を取っても記者を辞めず、受賞作と別分野で文庫書き下ろしで人気を集め、最近になって新聞社を辞めたという作者の経歴をほぼ踏襲させた上で、小説家としてのぼやきを多々書き込んでいて、う~ん、小説家の愚痴を書きたい小説?といぶかしみます。まぁ、そういうところはそういうところなりに読みどころともいえますけどね。
奥書で「学生運動で命を落とした高校生の死の真実を巡り『昭和』の罪を描いた『衆』は本書と対をなす作品」と書かれているので、「衆」に続いて読んでみたのですが、どう「対をなす」のか、私にはよくわかりませんでした。共通する登場人物は、「衆」の主人公といえる鹿野が政治学者としてテレビでコメントするところが1か所出てくるのと、小沢一郎とおぼしき「藤崎総理」が登場するくらい。大江は、経歴は明らかに違うんですが、若くして官房長官で(東日本大震災の時の官房長官ですし)クリーンが売りという設定は枝野幸男をイメージさせるともいえますので、左翼(枝野幸男や民主党が左翼とは思えませんけど、ネット右翼から見れば左翼)と人権派弁護士が嫌いで貶めたいという意思が感じられる点では「衆」と共通しているということかも。

堂場瞬一 集英社 2012年8月30日発行
「小説すばる」2011年4月号~2012年3月号連載