「代理出産の工場」と揶揄されるほど代理出産が広がっているインドの状況について、さまざまなファクターを指摘することで批判を相対化し評価をあいまいにして実質的には批判を封じて見守ろうという方向への誘導を図る本。
著者の姿勢は、自分が担当する学生の声に「良いか悪いか一言では決められない」という意見も多い(ここで意見「も」多いというあたり、著者の担当する学生の間でも多数派とはいえないことが読み取れますが)と紹介した上で(4ページ)、「この問題に関しては、これまで富める先進国と貧しい途上国という二分法の中で生み出される新植民地主義的な搾取の構造や、生命や身体の利用という人間の尊厳の侵犯という倫理的問題が指摘されてきた」「だが、そればかりでは、冒頭の学生の言葉にあるように『良いか、悪いか』という二元論的な袋小路に陥る可能性がある」(6ページ)とするまえがきに顕著に表れています。匿名の学生の声を何か正統性のある基準のように用いて、代理出産への批判を極端な立場であるかのように退け、それは著者の価値観ではないかのように見せて自らはまるで公平な第三者のようにあれこれのファクターを指摘することで、代理出産への批判的評価を薄め回避するように仕向けていくスタンスです。
「初めに考えられるのが、先進国では到底得られないような豊富な人的資源(ドナー)の提供元として、インドには貧困層が多数存在しているということである」(19ページ)「インドでは生体からの腎臓提供数が世界一だという臓器移植をめぐる状況」(20ページ)「経済的に困窮する女性は、時に生活のため、時に生存のために卵子を売ったり、代理母となったりするが、代理出産で得られる報酬は腎臓を得るよりも高額である。そのため、これらは臓器売買や売春と比べれば、よほど『良い仕事』だと考えられているのである」(21ページ)、ヒンドゥー社会では子どもを産めない女性は忌み嫌われ離縁されかねずインド社会の中にも不妊治療への高い潜在的需要と不妊の克服に対する社会的プレッシャーがありそれが代理出産などの生殖医療技術の普及を後押ししてきたといえる(22~24ページ)とし、代理母の出産時の死亡例もあるが「病院も代理母も副作用やリスクについてほとんど語らず、認識もされていない」(36ページ)などの事実が指摘されており、ふつうの感覚ならここから少なくとも外国人が金にあかせてインドで代理出産を行うことに対する批判へとつながりそうなものです。
しかし著者は代理母側の論理として子どもが産めない女性がスティグマ化され差別されがちなインド社会で「すでに子どもをもつ代理母は、子どもができないという依頼者に対して憐憫や同情を示すことが多い」「このように、代理出産の経済構造においては安価な値段で自らの身体を貸与する『犠牲者』として見なされがちな代理母であるが、ジェンダー規範上は、スティグマ化された不妊女性よりも優越する存在である」(42ページ)などとし、貧困階層の代理母が名士の医師とつながりを持てる利益があることなどにも言及し(45~46ページ)、インドの代理出産は「さまざまな要因が複合的に絡み合う現象である」(47ページ)「商業的代理出産は、出産が第三者へアウトソーシングされること以上の広がりを持ち、さまざまな次元で人びとの生命や生活に関わる実践なのである」「出産の商品化のゆくえを見定めるには、もう少し時間が必要だろう。この問いは、私たちの社会に投げかけられている」(48ページ)と結んでいます。
著者のインド留学は松下国際財団(現松下幸之助財団)の奨学金によるもので、このブックレットシリーズ自体松下国際財団の支援するフォーラムの成果物だということがあとがきと発刊の辞に記載されています。企業から金をもらって研究することの意味も考えたくなります。
松尾瑞穂 風響社(ブックレット《アジアを学ぼう》) 2013年10月25日発行
著者の姿勢は、自分が担当する学生の声に「良いか悪いか一言では決められない」という意見も多い(ここで意見「も」多いというあたり、著者の担当する学生の間でも多数派とはいえないことが読み取れますが)と紹介した上で(4ページ)、「この問題に関しては、これまで富める先進国と貧しい途上国という二分法の中で生み出される新植民地主義的な搾取の構造や、生命や身体の利用という人間の尊厳の侵犯という倫理的問題が指摘されてきた」「だが、そればかりでは、冒頭の学生の言葉にあるように『良いか、悪いか』という二元論的な袋小路に陥る可能性がある」(6ページ)とするまえがきに顕著に表れています。匿名の学生の声を何か正統性のある基準のように用いて、代理出産への批判を極端な立場であるかのように退け、それは著者の価値観ではないかのように見せて自らはまるで公平な第三者のようにあれこれのファクターを指摘することで、代理出産への批判的評価を薄め回避するように仕向けていくスタンスです。
「初めに考えられるのが、先進国では到底得られないような豊富な人的資源(ドナー)の提供元として、インドには貧困層が多数存在しているということである」(19ページ)「インドでは生体からの腎臓提供数が世界一だという臓器移植をめぐる状況」(20ページ)「経済的に困窮する女性は、時に生活のため、時に生存のために卵子を売ったり、代理母となったりするが、代理出産で得られる報酬は腎臓を得るよりも高額である。そのため、これらは臓器売買や売春と比べれば、よほど『良い仕事』だと考えられているのである」(21ページ)、ヒンドゥー社会では子どもを産めない女性は忌み嫌われ離縁されかねずインド社会の中にも不妊治療への高い潜在的需要と不妊の克服に対する社会的プレッシャーがありそれが代理出産などの生殖医療技術の普及を後押ししてきたといえる(22~24ページ)とし、代理母の出産時の死亡例もあるが「病院も代理母も副作用やリスクについてほとんど語らず、認識もされていない」(36ページ)などの事実が指摘されており、ふつうの感覚ならここから少なくとも外国人が金にあかせてインドで代理出産を行うことに対する批判へとつながりそうなものです。
しかし著者は代理母側の論理として子どもが産めない女性がスティグマ化され差別されがちなインド社会で「すでに子どもをもつ代理母は、子どもができないという依頼者に対して憐憫や同情を示すことが多い」「このように、代理出産の経済構造においては安価な値段で自らの身体を貸与する『犠牲者』として見なされがちな代理母であるが、ジェンダー規範上は、スティグマ化された不妊女性よりも優越する存在である」(42ページ)などとし、貧困階層の代理母が名士の医師とつながりを持てる利益があることなどにも言及し(45~46ページ)、インドの代理出産は「さまざまな要因が複合的に絡み合う現象である」(47ページ)「商業的代理出産は、出産が第三者へアウトソーシングされること以上の広がりを持ち、さまざまな次元で人びとの生命や生活に関わる実践なのである」「出産の商品化のゆくえを見定めるには、もう少し時間が必要だろう。この問いは、私たちの社会に投げかけられている」(48ページ)と結んでいます。
著者のインド留学は松下国際財団(現松下幸之助財団)の奨学金によるもので、このブックレットシリーズ自体松下国際財団の支援するフォーラムの成果物だということがあとがきと発刊の辞に記載されています。企業から金をもらって研究することの意味も考えたくなります。
松尾瑞穂 風響社(ブックレット《アジアを学ぼう》) 2013年10月25日発行