アフリカでいまだに度々起こる飢餓の多くは人災であることをレポートし告発する本。
アジアとラテンアメリカでは小麦や米の品種改良と農業技術の発展からなる「緑の革命」により飢饉が克服され飢餓地帯が穀倉地帯化し、緑の革命の父といわれたノーマン・ボーローグは1970年にノーベル平和賞を受けている。それなのになぜアフリカでは今もなお飢餓が続いているのか、という問題意識から著者は説き起こしていきます。
確かに農業技術的にも、小麦や米といった単品種の穀物で農業と主食の供給が可能なアジアやラテンアメリカと異なり、アフリカでは気候が様々で主食も様々なため、気候の変化に強く収穫量の多い品種改良が簡単でなかったこと(トウモロコシの場合、他家受粉のため高収穫品種が開発されても農家は毎年業者から種を買わなければならないという問題も)はあるが、ノーマン・ボーローグと笹川アフリカ協会の活動で、品種改良は進んだ。それで収穫が上がっても、市場が整備されず、輸送手段も保管手段も確保されないために、豊作となれば価格は暴落して農家は買い叩かれ栽培意欲をなくしてしまう。むしろ豊作が続いた後に干ばつが来たときに致命的な飢餓が起こりそこで農家が蓄えもなく種を食糧に回し資産を売り払い没落してしまう・・・
ここまでなら、アフリカの各国政府の無策といえるかもしれない。しかし著者の問題意識はそこにとどまらない。むしろ最大の問題は、自由貿易を主張しつつ自国の農家には多額の輸出補助金を出し続ける欧米諸国政府にあるというのが著者の主要な主張である。
欧米、特にアメリカの農家は多額の輸出補助金を受け、収穫した農産物を大量に輸出し国際価格を低下させつつ(それが輸出されずに国内にとどまれば国内価格が低下するので、政府はそれを避けて国内農家を保護するために輸出補助金を出し続ける)、自己の収入は補助金で確保できるので生産を増加させるインセンティブを持ち続ける。他方において世界銀行やIMFなどのアフリカ諸国の債権者たちは融資の条件として、アフリカ諸国に対しては農家への補助金を禁止し、小さな政府への構造調整を求める。その結果、アフリカの農家は低下する国際価格との競争に勝てず、アフリカ諸国での農産物市場や輸送インフラ、灌漑施設などの整備は進まず、いつまで経ってもアフリカの農業は育たず農家は飢餓の度に没落していく。欧米の食糧援助は自国産の農産物に限定され、実は地元で大量に余剰を生じているアフリカの農産物が購入されることはない。2003年のエチオピアの飢餓の際にも、エチオピア国内には買い手の付かない余剰穀物があふれている中をアメリカ産の援助物資だけが各地に配給されていた(132~139ページ)。アメリカからの食糧援助は、アメリカの農家に利益をもたらし、アフリカの農家にさらに打撃を与えている。アメリカの食糧援助は、アフリカの農業を壊滅させてアメリカの食糧に依存させて永遠に食糧援助を受け続けさせるという構図をもたらす。
著者が紹介しているマラウイの実例はこの構造の欺瞞と人災ぶりをよく示しています。マラウイで2004年に大統領に就任したムタリカは、世界銀行とイギリス政府の圧力に抗して自国農家に種子と肥料を提供する補助金プログラムを開始した。2005年から開始された補助金はたちまちに効果を現し、2004年に1億1000万ドルの緊急食糧援助を受けたマラウイは2007年には国内需要を全て満たした上で余剰トウモロコシを1億2000万ドルでジンバブエに売却し、さらに飢餓に苦しむ他国のために世界食糧計画にトウモロコシを寄付するまでになった(249~251ページ)。
このように欧米が自国の農家のためにアフリカの農業を抑圧することをやめて、アフリカの農家を支援すれば飢餓を克服することは可能だ、そしてそのことに目覚めた人たち(U2のボノやビル・ゲイツ財団など)がすでに動き始め、欧米も次第に態度を変えつつあるというメッセージで締めくくられています。
アフリカの飢餓については、他にもいくつかの原因はあるにせよ、アフリカの農業を支援して自立できるインフラを整備すれば飢餓は克服できる、これまでそれがなされなかったのは欧米諸国の政府とそれに踊らされたアフリカ諸国政府の利害の結果だったというメッセージは力強く、心に響きます。
原題:ENOUGH-Why the world’s poorest starve in an age of plenty
ロジャー・サロー、スコット・キルマン 監訳:岩永勝
悠書館 2011年10月15日発行 (原書は2009年)
アジアとラテンアメリカでは小麦や米の品種改良と農業技術の発展からなる「緑の革命」により飢饉が克服され飢餓地帯が穀倉地帯化し、緑の革命の父といわれたノーマン・ボーローグは1970年にノーベル平和賞を受けている。それなのになぜアフリカでは今もなお飢餓が続いているのか、という問題意識から著者は説き起こしていきます。
確かに農業技術的にも、小麦や米といった単品種の穀物で農業と主食の供給が可能なアジアやラテンアメリカと異なり、アフリカでは気候が様々で主食も様々なため、気候の変化に強く収穫量の多い品種改良が簡単でなかったこと(トウモロコシの場合、他家受粉のため高収穫品種が開発されても農家は毎年業者から種を買わなければならないという問題も)はあるが、ノーマン・ボーローグと笹川アフリカ協会の活動で、品種改良は進んだ。それで収穫が上がっても、市場が整備されず、輸送手段も保管手段も確保されないために、豊作となれば価格は暴落して農家は買い叩かれ栽培意欲をなくしてしまう。むしろ豊作が続いた後に干ばつが来たときに致命的な飢餓が起こりそこで農家が蓄えもなく種を食糧に回し資産を売り払い没落してしまう・・・
ここまでなら、アフリカの各国政府の無策といえるかもしれない。しかし著者の問題意識はそこにとどまらない。むしろ最大の問題は、自由貿易を主張しつつ自国の農家には多額の輸出補助金を出し続ける欧米諸国政府にあるというのが著者の主要な主張である。
欧米、特にアメリカの農家は多額の輸出補助金を受け、収穫した農産物を大量に輸出し国際価格を低下させつつ(それが輸出されずに国内にとどまれば国内価格が低下するので、政府はそれを避けて国内農家を保護するために輸出補助金を出し続ける)、自己の収入は補助金で確保できるので生産を増加させるインセンティブを持ち続ける。他方において世界銀行やIMFなどのアフリカ諸国の債権者たちは融資の条件として、アフリカ諸国に対しては農家への補助金を禁止し、小さな政府への構造調整を求める。その結果、アフリカの農家は低下する国際価格との競争に勝てず、アフリカ諸国での農産物市場や輸送インフラ、灌漑施設などの整備は進まず、いつまで経ってもアフリカの農業は育たず農家は飢餓の度に没落していく。欧米の食糧援助は自国産の農産物に限定され、実は地元で大量に余剰を生じているアフリカの農産物が購入されることはない。2003年のエチオピアの飢餓の際にも、エチオピア国内には買い手の付かない余剰穀物があふれている中をアメリカ産の援助物資だけが各地に配給されていた(132~139ページ)。アメリカからの食糧援助は、アメリカの農家に利益をもたらし、アフリカの農家にさらに打撃を与えている。アメリカの食糧援助は、アフリカの農業を壊滅させてアメリカの食糧に依存させて永遠に食糧援助を受け続けさせるという構図をもたらす。
著者が紹介しているマラウイの実例はこの構造の欺瞞と人災ぶりをよく示しています。マラウイで2004年に大統領に就任したムタリカは、世界銀行とイギリス政府の圧力に抗して自国農家に種子と肥料を提供する補助金プログラムを開始した。2005年から開始された補助金はたちまちに効果を現し、2004年に1億1000万ドルの緊急食糧援助を受けたマラウイは2007年には国内需要を全て満たした上で余剰トウモロコシを1億2000万ドルでジンバブエに売却し、さらに飢餓に苦しむ他国のために世界食糧計画にトウモロコシを寄付するまでになった(249~251ページ)。
このように欧米が自国の農家のためにアフリカの農業を抑圧することをやめて、アフリカの農家を支援すれば飢餓を克服することは可能だ、そしてそのことに目覚めた人たち(U2のボノやビル・ゲイツ財団など)がすでに動き始め、欧米も次第に態度を変えつつあるというメッセージで締めくくられています。
アフリカの飢餓については、他にもいくつかの原因はあるにせよ、アフリカの農業を支援して自立できるインフラを整備すれば飢餓は克服できる、これまでそれがなされなかったのは欧米諸国の政府とそれに踊らされたアフリカ諸国政府の利害の結果だったというメッセージは力強く、心に響きます。
原題:ENOUGH-Why the world’s poorest starve in an age of plenty
ロジャー・サロー、スコット・キルマン 監訳:岩永勝
悠書館 2011年10月15日発行 (原書は2009年)