伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年から3年連続目標達成!

私が愛した東京電力

2013-04-30 20:07:13 | ノンフィクション
 福島原発事故前、東京電力で原子燃料サイクル部部長や福島第一原発技術課の副長、日本原燃燃料製造部副部長などを歴任した著者が、福島原発事故を受けて東京電力や今後の原発問題を論じた本。
 過去を振り返る場面で、下請の原発作業員がアラームメータを身につけずに線量の低いところにおいて作業をしていることがあった、東京電力の社員は作業がきちんと行われたかを最終確認しなければならず先に線量オーバーになっては確認ができないので全部の作業が終わってから入った(38~39ページ)と述べていて、元現場監督の故平井憲夫さんが1990年代に話していた現場作業の実態(作業員は記録上の線量を抑えるために線量計は外して作業している、東京電録の社員は被ばくしないように遠くの線量が低いところに隠れているなど)が裏付けられています。著者自身が現場時代に5年半で合計約100ミリシーベルト被ばくしたけれども退職後東京電力から体調について尋ねられたこともない(39ページ、76~77ページ)ということも書かれています。原子力計画課で安全審査を担当した時期に安全のために多重性を持たせていた機器のうち静的な機器、例えば格納容器スプレイ系のリングが2系統あったのをコスト削減のために1つにしたということが書かれています(48~50ページ)。「そのリングが壊れたら全然水が来なくなりますが、『壊れない』という論理です。そういうものを減らす理屈をこねてコストダウンして本当にいいのか、という思いはありました」(49~50ページ)とされています。そう思ったらその頃に言って欲しかったと思いますけど。玄海原発で問題となった世論誘導(やらせ発言)について、現職の頃自分も現実にやったとも述べています(80ページ)。2002年のトラブル隠しについて小泉訪朝に合わせてプレス発表し扱いを小さくしたことについて、「『東電の広報もやるな』と当時思いました。」(66ページ)という感性ですから、本当の意味での危機感・罪悪感はなかったのでしょうけど。
 福島原発後のことについては、東電バッシングでは済まないといい(78~81ページ)、危険性ではなく核燃料サイクルが完結せず放射性廃棄物の処分問題がクリアできないことから原発をフェイドアウト(漸減)していくべきと論じています。東京電力で技術部門におり東京電力と日本原燃で核燃料サイクルを担当していた著者がそういうことの重みはあるものの、福島原発事故後の発言としてはそれほどのインパクトを感じません。
 東京電力での過去の話の方が、私には興味深く、そちらの方をもう少し詳しく書いてくれた方がよかったかなと思いました。


蓮池透 かもがわ出版 2011年9月20日発行
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原発賠償を問う

2013-04-29 19:44:53 | ノンフィクション
 福島原発事故による被害者への賠償について、責任を曖昧にした賠償枠組みの問題点を指摘し、特に避難民への賠償が進まない現状について問題提起する本。
 福島原発事故の賠償は、東京電力が主体という形を取っていながらその支払原資は「原子力損害賠償支援機構」を通じて国が実質は無制限に資金援助をし、最終的に東京電力はそれを電気料金から返済するしくみで、結局は税金か電気料金として国民負担となる、それにも関わらず東京電力は潤沢な財産を奪われず東京電力の債権者(銀行)も株主も破綻処理による負担はなく守られる、東京電力は加害者でありながらその自覚がなく、政府は延命している東京電力の陰に隠れて金を出すだけで責任を正面から果たそうとしない、そういった責任を曖昧にした枠組みが被害者への賠償を進ませない元凶になっているというのが、著者の立場です。原子力損害賠償紛争審査会が作成した「中間指針」とその追補は、裁判をしなくても補償されるべきことが明らかないわば最低限の補償範囲のめやすであるはずなのに、東京電力はこれを補償の天井のように扱い東京電力が指針に基づいた補償基準を作成した上、東京電力が被害者に対して煩雑な請求書類への記載・裏付け書類の提出を課して、東京電力が査定している、つまり加害者である東京電力が第三者機関が作成した指針を勝手に制限し被害者に過大な手続・立証責任を課し、好きなように査定して賠償額を制限している(「それがいやなら裁判をしろ、徹底的に争ってやるから」ということですね)ことが指摘されています。
 そして、特に避難民に対する賠償では、自主避難者が当初は補償対象者から外され、指針の追補で対象者とされても金額が低く抑えられていることや、実態に反した事故収束宣言や避難指示の段階的解除によって避難民への補償を打ち切ろうとする政府の姿勢にも疑問が呈されています。避難指示の解除に伴う補償打ち切りは、指針を作成した原子力損害賠償紛争審査会を開かずに経産省が「考え方」を示し、東京電力がそれを受けて具体的基準を作成するというやり方をしたという手続の問題もあるとされます。
 原発事故を起こして十数万人の避難者を出し住処と郷土、コミュニティを根こそぎ奪った東京電力が、送電システムの分離さえ受けずにのうのうと生き残り、被害者への賠償を制約していることについては憤りを禁じ得ません。JCOもそうでしたが、原子力事業者という連中は、事故直後のマスコミが注目している間だけは土下座していますが、マスコミの関心がなくなれば被害者に対しても、今どきはビデオ撮影して公開されかねないことからか言葉遣いだけは丁寧でも、実質的には横柄で傲慢な態度を平気で取ります。彼らはどんな事故を起こしても、現実には反省など全くしていないのだと思うことがしばしばです。
 原発推進政権に変わり、政府の政策がより悪辣になることはもちろん、それを受けて東京電力の横柄さ・傲慢さも酷くなっていくことが予想されます。そういう状況の中で本当はこうなんだけど部分の思考枠組を確認させてくれる本だと思います。
 「美しい国」を標榜し、尖閣諸島や竹島問題には先鋭な対応をする人は、福島原発事故では尖閣諸島や竹島とは比べものにならない規模の郷土が汚され奪われたことについてどう考えているのでしょう。


除本理史 岩波ブックレット 2013年3月6日発行
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アメリカ黒人の歴史 奴隷貿易からオバマ大統領まで

2013-04-28 19:38:57 | 人文・社会科学系
 イギリス植民地時代のアメリカに砂糖プランテーションでの労働者として黒人奴隷が導入されて以来のアメリカでの黒人の歴史を解説した本。
 南北戦争時の奴隷解放、1960年代の公民権運動で、奴隷制や黒人差別問題は法的には解決していたはずですが、現実にはその後も問題は解決していないというあたりに焦点が当てられています。でもそれ以前の昔話にしても知らなかったことが多く、アメリカ史としても勉強になりました。また、知っていることでも、黒人側からの視点で書かれているので、これまでの理解と少し違って見えるところが少なからずありました。リンカーンやキング牧師のような黒人解放の英雄の活動についても、黒人側から見れば妥協を繰り返していたと評価されているところもあり、新鮮に思えました。
 黒人の歴史以外の部分でも、勉強になる部分が多々ありました。ワシントンD.C.(アメリカの首都)が「南部」ということも南北で区切られた地図を示されて初めて気づきました。そして、現在黒人票の多くが民主党の母体となっていることやジェシー・ジャクソン、オバマら歴史的に著名な黒人政治家が民主党ということから錯覚していましたが、かつては共和党が奴隷制廃止を主張し、リンカーンは共和党で、民主党は奴隷制廃止に反対し抵抗し南部の白人が民主党の母体だったのですね。近年の「麻薬との戦争」での厳罰主義で、黒人の特に若者の収監が激増し(20代黒人男性で見ると10人に1人が収監されているという)、それが家庭崩壊を多発させるとともに収監された人々の多くがレイプその他の暴行被害や麻薬の洗礼を受け、HIV感染者となりギャング組織に組み込まれて収監前より暴力的になって一般社会に戻りさらなる暴力犯罪を引き起こすが、収監者は選挙権を奪われるので貧しい人々の政治的発言権が奪われ、他方刑務所が誘致される地域は収監者を含めた人口で議席が配分されて一票の価値が増して刑務所利権のある人々が厳罰主義者に投票して議会で厳罰主義者が増殖するということが指摘されています(199~208ページ)。日本でも厳罰主義者が増えていますのでアメリカの轍を踏んでいくのでしょうけれども、その先行きは厳罰主義者の期待するところともずれているように思えます。


上杉忍 中公新書 2013年3月25日発行
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永遠者

2013-04-27 20:58:41 | 小説
 1899年にパリに派遣されていた27歳の外交官ザマ・コウヤが、モンマルトルのキャバレー「ムーランルージュ」の踊り子カミーユに夢中になり、カミーユの一族の手で執り行われたセックスと日本刀と血の「結婚儀式」によって永遠の命を得て、パリ万博のパリ、戦争中・東京大空襲下の東京・聖路加病院、1970年の大阪とパリ、アポロ11号月面着陸時(1969年…)のニューヨークとパリ、1986年4月のパリとその後1998年までの東京、1999年から2000年の東京と2001年9月のパリ、2003年のニューヨーク、そして2011年3月の東京を舞台に、カミーユ、ヴァンパイアと人間のハーフのダムピールであるウピエルツィカ、2人の妻、娘のミワコ、不老長寿細胞の研究者フリードマン博士らと交錯しながら、老いることも死ぬこともできない命を持て余しつつ人間の在り方や宿命を模索するという小説。
 永遠の命を持て余して命がはかないからこそ愛や輝きがあると考え退屈し退廃的な日常を送るコウヤと、永遠の命を持つ者には時間など関係ないとしてコウヤはいずれ自分しか愛せなくなるとうそぶいて時々現れ、原子力マフィアを操り世界を動かして見せると豪語するカミーユ。どちらも観念的に過ぎ、そして長く生き続けて思索と経験を重ねたにしてはその行動にあまり成長が見られず、どこか考えが子どもっぽい。そして、後半に進むにつれ原子力の問題を、原子力推進派を操り支配していくカミーユとチェルノブイリ事故などを見て危険を感じるコウヤという対比で取り上げていきながら、福島原発事故直前で話をストップし、そこから100年を飛ばして、今・ここの原子力問題は避けてしまうという中途半端さに、フラストレーションがたまりました。観念的思弁をするのならそれをもっと追求した方がいいでしょうし、現代社会や科学技術の問題をテーマにしたいなら背景的なエピソードの切り貼りではなく正面から取り上げた方がいいと思います。


辻仁成 文藝春秋 2012年10月15日発行
「文學界」2011年5月号~2012年8月号
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コンカツ?

2013-04-26 22:00:31 | 小説
 恵比寿ガーデンプレイス付近の高級住宅街の一軒家で共同生活する自動車メーカー広報部勤務の29歳岡部智香、清涼飲料メーカー企画部勤務の29歳小竹彩野、総合商社秘書室勤務の32歳森沙都子、グラフィックデザイナー27歳の中崎結有の4人の合コンと恋とセックスライフを描いた小説。
 アラサー女性から見た様々な男性と男性の生態・行動への評価、恋愛と結婚をめぐる事情と思惑を描いているということではあるのですが、私と同い年(1か月違い)の50代男が想像で書いたアラサー女性の心情を当のアラサー女性に読ませる(なんせ「CREA」連載です)という構図は、蛮勇というか、端から無理な気がします。60過ぎの父親が11歳年下の元部下と不倫の末に妻と別れる経緯を30前の娘に語るのに、50過ぎから更年期で性交痛を理由に妻からセックスを拒否されて以来10年まったく関係がなかった、最初はとてもつらかった、それには慣れてきていたが去年夫に先立たれた部下と25年ぶりに再会しデートするうちに石川町のラブホで、自分は10年ぶり相手は夫が亡くなって2年3か月ぶりでセックスして、できたこと自体に感動して泣いてしまった、そんなことは生まれて初めての経験だったと語り、それを聞いて、父親の不倫に激怒し軽蔑していた娘が父親に理解を示す(151~159ページ)というのは、50過ぎの男にはわかる/同情する/切実かも(‥;)な話でしょうが、30前後の娘には無理じゃないでしょうか。むしろ、中高年の男は女性にこういうことを理解して欲しがっている、女性にこうなって欲しい、こう考えて欲しいと思っているということが、アラサー女性の読者からは読まれたのかなと思ってしまいました。


石田衣良 文藝春秋 2012年4月15日発行
「CREA」2009年11月号~2011年9月号
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感染遊戯

2013-04-24 21:39:26 | 小説
 警視庁捜査1課の女性警部補姫川玲子シリーズの番外編。
 姫川は脇役で、姫川の天敵ともいうべき勝俣健作、姫川の元部下の葉山則之、姫川が最初に登場した短編と思われる「過ぎた正義」(「週刊宝石」2004年10月号。「シンメトリー」所収)に登場する元捜査1課9係主任の倉田修二の3人の物語というところです。
 「感染遊戯」「連鎖誘導」「沈黙怨嗟」「推定有罪」の4つの短編連作という形ですが、いずれも厚労省、外務省、農水省、郵政省の元次官などの官僚が殺害されたり襲われる事件で、4作目の「推定有罪」で全体を束ねて前3作で謎として残った犯人がどうやって元次官らの自宅を知ったか、4作で交錯する人間関係などが描かれて、長編作品として読めないこともない程度にはまとめられています。ただ、やはり元は短編で書かれているので、ぶつ切り感があり、語りの視点が変わるので、読み通してのまとまりが十分とはいえず、少し中途半端な印象が残ります。
 高級官僚の悪辣さへの怨嗟を盛り上げておきながら、高級官僚の情報を提供するサイトを運営する人物に対しては、自分はネットの陰に隠れて姿を見せず直接怨みを抱く者に情報だけを巧みに提供し実行させる、そいつらは逮捕されてもあんたは逮捕されない、あんたが憎む官僚の手口とそっくり同じだなという評価はどうかなと思います。このサイト運営者についての落ちの付け方も最終的な評価を逃げた感じで、ぶち上げてみたものの最後まで扱いかねて投げたような印象です。そこへの絡ませ方も、倉田はどうせ警察を辞めて今は捨て駒、勝俣は例によってやり過ぎだけどそういうキャラ、葉山は今後有望株なのでディープなところへは絡ませず、姫川は完全に温存と使い分けられています。触りにくい分野にアタックしたということではありましょうけど、腰が引けてるということでしょうか。
 この作品、「推定有罪」が「インビジブルレイン」での姫川班の解体から2年半後の話とされています(187ページ)。「インビジブルレイン」の時点で「葉山が姫川班に配属されてきたのはもう3年も前」(「インビジブルレイン」19ページ)だった葉山は、「沈黙怨嗟」では3年弱捜査1課にいた後所轄に出て北沢署強行犯捜査係にいた(95~96ページ)とされていますので、「インビジブルレイン」の終わりに姫川班が解体されたときに所轄に出たということになります。それが「推定有罪」の時点で北沢署におり、「つい去年まで」捜査1課にいた(180ページ)って…


誉田哲也 光文社 2011年3月25日発行
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シンメトリー

2013-04-23 21:59:32 | 小説
 警視庁捜査1課殺人班10係姫川班主任の姫川玲子シリーズの短編集。
 短編集ですので、犯人なりキーパースン側の独白を章の冒頭に挟んでいくスタイルは、表題作のシンメトリーを除いて登場せず、姫川サイドからの視点で単線的に展開します。ミステリーとしては複雑な布石も置けませんので当然にアイディア1点程度の勝負になり、基本的には、姫川玲子シリーズファン向けのサービス的な読み物と位置づけて読むべきでしょう。
 姫川玲子シリーズのファン向けとしてみた場合、「右では殴らない」はどうかなぁという気がします。姫川の取調、まるでガンテツみたいですし、ガンテツキャラのイメージをさておいても明らかにやり過ぎ。これが相手が女子高生ということを見ると、弱い相手には強く出てるって感じがして、姫川のキャラとしても好感を持てません。初出が「小説宝石」2005年2月号で、シリーズ第1作の「ストロベリーナイト」(2006年2月刊)より先に書かれた小品のため、まだシリーズとしての構想が確立していなかったのかという気もしますが、作品での姫川の設定は駆け出しの頃というわけではなく、既に警視庁捜査1課10係2班(姫川班)の主任で、監察医國奥、今泉係長、橋爪管理官も、部下の菊田、石倉、湯田、葉山も登場しています(そうすると時期としては「ストロベリーナイト」より後の設定ですね。大塚が死んだ後に葉山が来たわけですから)。このシリーズが、主要な登場人物のキャラ設定で読ませていること、やはり姫川玲子のキャラに好感を持てるかで読み続けるかどうかが決まると思えることからして、現に私も姫川玲子の一直線ではなくやや日和見的ではあるものの正義感を持ち戸惑いや弱気な一面と自信とプライドの交錯するキャラに好感を持って通し読みを試みたわけですが、「右では殴らない」の姫川はそういう読者の思いには冷水をかけるのではないかなと思います。


誉田哲也 光文社文庫 2011年2月20日発行 (単行本は2008年) 
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ソウルケイジ

2013-04-22 23:31:38 | 小説
 警視庁捜査1課殺人班10係姫川班主任の姫川玲子シリーズの第2作。
 第1作とは打って変わって、猟奇性を抑え、ミステリーの王道的な展開で、純粋にミステリーとして読めました。ストーリー展開では、悪役の戸部真樹夫のキャラ設定がすごく、仕事柄悪役にも裏側にいい面を読みがちの私から見ても、こいつは殺していい、できるだけ酷い目に遭わせてやりたいと思え、そういう方向を期待しながら読んでしまいました。
 「ソウルケイジ」では、10係のもう一つの班である日下班の主任日下守と姫川玲子の争いがストーリー展開上の軸になります。姫川が日下を「この世で2番目に嫌いな男」と位置づけ、天敵扱いすることについては、直感を重視して突っ走るスタイルの姫川に対して、あらゆる予断を排して証拠に基づき着実に犯人に迫りしかもそれが速い「有罪判決製造マシン」と呼ばれる日下のスタイルに基づく捜査過程での対立として表れることにはなっているのですが、姫川が日下を嫌う本当の理由が姫川が高校生のときに逢ったレイプ被害の犯人の顔に似ていることにあるというのでは、姫川の心情はわかるものの、やはり日下がかわいそう。そういうこともあり、日下を悪役にし続けるのは当然無理筋で、この作品では日下の現在のスタイルを確立するに至る経緯と心情が描かれ、ある意味で日下の物語になっています。
 映画を見てても思ったのですが、姫川に思いを寄せ、姫川も思っているという設定の姫川の部下の菊田。姫川に寄り添って見ているだけで、積極的に話もしないし、事件でもお手柄も挙げないというか何やってんだかよくわからず登場も少ない(ストーリーとしては、いなくても全然影響しません)。恋愛感情に理屈は不要だし現実にも理屈に合わないことは少なくないとは思いますが、作品としてみると、姫川がなぜ菊田を好きなのか、今ひとつストンと落ちないなぁという気がします。


誉田哲也 光文社 2007年3月25日発行
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ストロベリーナイト

2013-04-21 21:56:09 | 小説
 警視庁捜査1課殺人班10係姫川班主任の姫川玲子シリーズの第1作。
 映画化されたシリーズ長編第3作の「インビジブルレイン」に続いて、第1作「ストロベリーナイト」、第2作「ソウルケイジ」を読んでみました(長編第4作最新作の「ブルーマーダー」は図書館では予約多数のため断念)。少なめの章構成(「ストロベリーナイト」が4章+終章、「ソウルケイジ」と「インビジブルレイン」は序章+5章+終章)で、各章の冒頭に犯人ないし事件のキーパースンの独白的な語りを入れるのが共通したスタイルになっています(序章があるときは序章がそれに当たるので第1章ではそれが入りません。「ストロベリーナイト」の第4章と終章はそうなっていません)。
 「ストロベリーナイト」は、かなりグロテスクな描写が多く、事件の猟奇性、展開とも、ミステリーとしてはやり過ぎ感があり、キワモノっぽく感じました。確か「武士道シックスティーン」だったか「武士道セブンティーン」だったかのあとがきで、自分の作品で人が死なないのは「武士道シックスティーン」が初めてだとか書かれていたので、どういう作家かとも思っていたのですが、こういうことだったのかと。この作品では特に連続殺人事件の性質や犯人の動機の設定もあって、意図的に挑発的にやっているのでしょうけれど、読んでいて少し気持ち悪くなります。
 登場する警察官のキャラ設定が魅力的です。姫川玲子の高校生のときの事件被害をめぐるところやガンテツこと勝俣健作の言動、各主任の手柄争い意識などは、極端に過ぎるように思えますが。どちらかと言えば、そのキャラの魅力で読ませているシリーズのように見えます。第1作の「ストロベリーナイト」は、姫川玲子対ガンテツの戦いであり、ある種ガンテツの物語といえます。
 文庫本の解説では、作者が作品の登場人物について顔写真入りのキャスト表を作って書いていると紹介されています。作者のイメージでは姫川玲子は松嶋菜々子だそうです(434ページ)が、ドラマ化・映画化では実現しませんでした。原作には登場しないエルメスのバーキンを持たせてシンボルにしたことも含め、映画と原作のイメージの違いが、大差はないとも、作品世界にこだわれば落差があるとも、いろいろに評価がありそうです。


誉田哲也 光文社文庫 2008年9月20日発行 (単行本は2006年)
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インビジブルレイン

2013-04-17 22:14:08 | 小説
 警視庁捜査1課の女性刑事姫川玲子が殺人事件に挑むミステリー小説。
 今年(2013年)1月公開の映画「ストロベリーナイト」の原作。映画を見てから読んだので、映画との設定の違いが目についてしまいました。原作では、姫川の暴走は組織的な指揮系統に独断で反しているわけでもなく、姫川は上から捜査するなといわれた柳井健斗の捜査を怠ることには反対ですが事件処理は何とか柳井健斗に触れないで済ませたいと思うやや日和った姿勢で、こちらの方がしっくりくる感じがします。姫川班の部下たちはほとんど登場せず、姫川と牧田の関係も寸止めです。いずれの点でも映画は姫川の暴走を強調し、それぞれの人物のキャラ設定を少しずつオーバーにし、姫川班の登場場面を増やす形で原作を変形しています。読み物としてはやはり原作の方がすっと入るかなと思いました。
 姫川玲子のある程度の度胸のよさと突っ張った姿勢とともに、悩んだり落ち込んだり日和ったりしながら前に進む姿が、共感しやすくすんなりと読めました。
 警察組織関係の描写は、捜査1課長が自分以外の進退まで答弁できるかとか疑問はありますが、それなりに楽しめました。


誉田哲也 光文社 2009年11月25日発行

映画についての感想記事はこちら
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