小説家志望が集まるゼミで何となく学生生活を送る大学3年生の安藤光一が、女装によって自分を変えることを提案する謎の人物Keyからのメールを機に、同じサークルの元カノ白砂緑や、アルバイト先で先輩の人妻滝本良子、隣の部屋に住む美女・実は性同一性障害の女装男性のマナこと古川学、サークルの先輩の浅岡弓子らを、Keyではないかと疑いながら、自分の中の女性性というか、男性であるか女性であるかということにこだわらない自分と性とそして相手との関係に目覚めていくというストーリーの小説。
一応Keyは誰かという謎を最後まで持たせていますが、それよりは、男女関係なりジェンダーなりを考えさせるところにこの小説の意味があるように思えます。特に女性の方が能動的であることを女性もそして男性も楽しむ関係、少なくとも男性が支配的で能動的であるべきということへのアンチテーゼが、この小説の基本に据えられています。
このような関係性は、現在でもなお、人々には素直に受け入れられないのでしょうか。光一が白砂緑に化粧されて上からのしかかられてセックスしたり、女装用具をみつけられて滝本良子にのしかかられ、どこかで受け入れながら犯された屈辱感を持ち、古川学は浅岡弓子に抑え込まれてやめてと懇願しながらも受け入れているといった、ありがちなマッチョな男女関係をひっくり返したような性描写とそれに対する受容とともにどこかぬぐいきれない屈辱感を残す描写は、私には今ひとつすっきりしない感じがします。そして受動的行動を強いられる男性を女装・化粧という道具で外見を女性化することも。女性が、女性化した男性を相手にでないと能動的に振る舞えないという状況設定が、現在の社会の、能動的な女性の中でさえの思考・行動様式の限界を示しているように見えるのも残念です。あえて女装・化粧といった女性化した外見や性同一性障害・トランスジェンダーといった道具立てを取らなくても、女性が能動的な性関係を、屈辱的とか考えなくても受け入れることは可能じゃないかと、私は思うのですが、やはり私は少数派なんでしょうか。
辻仁成 幻冬舎 2011年2月25日発行
「バァフアウト」2009年11月号~2010年12月号連載
一応Keyは誰かという謎を最後まで持たせていますが、それよりは、男女関係なりジェンダーなりを考えさせるところにこの小説の意味があるように思えます。特に女性の方が能動的であることを女性もそして男性も楽しむ関係、少なくとも男性が支配的で能動的であるべきということへのアンチテーゼが、この小説の基本に据えられています。
このような関係性は、現在でもなお、人々には素直に受け入れられないのでしょうか。光一が白砂緑に化粧されて上からのしかかられてセックスしたり、女装用具をみつけられて滝本良子にのしかかられ、どこかで受け入れながら犯された屈辱感を持ち、古川学は浅岡弓子に抑え込まれてやめてと懇願しながらも受け入れているといった、ありがちなマッチョな男女関係をひっくり返したような性描写とそれに対する受容とともにどこかぬぐいきれない屈辱感を残す描写は、私には今ひとつすっきりしない感じがします。そして受動的行動を強いられる男性を女装・化粧という道具で外見を女性化することも。女性が、女性化した男性を相手にでないと能動的に振る舞えないという状況設定が、現在の社会の、能動的な女性の中でさえの思考・行動様式の限界を示しているように見えるのも残念です。あえて女装・化粧といった女性化した外見や性同一性障害・トランスジェンダーといった道具立てを取らなくても、女性が能動的な性関係を、屈辱的とか考えなくても受け入れることは可能じゃないかと、私は思うのですが、やはり私は少数派なんでしょうか。
辻仁成 幻冬舎 2011年2月25日発行
「バァフアウト」2009年11月号~2010年12月号連載