社会心理学者という資格の関係で各種の政府系の委員会等で座長・副座長を務めてきたという(19ページ)「会議巧者」とみなされることが多い(3ページ)著者が、「適切な意思決定のための会議」についての方法論を語る本。
著者が悪い例として想定しているのが、会議開催前に少数の幹部により方向性が決まっており、それを事前にメーバーの一部に根回しをして会議では現実にはメンバーに発言させず議長が異議はありますかという聞き方で採決をせずに全会一致と見なして決定していくものです。著者が、多く参加した政府系の委員会も官僚の事務方がそういうことをやって運営しているものです(そのあたりは著者も20ページでわずかながら触れていますが)。それらの会議で、著者は、根回し、同調圧力に負けずに闘ってくれたのか、それよりも座長になった著者が根回しをしたりメンバーへの圧力をかけなかったのかの方が気になりますが。もっとも、この本で書いていない、役所の諮問機関(委員会)や「第三者委員会」ではそもそもメンバーの選定段階で反対者や異論を言いそうな人物が排除されており議論をするまでもないのではないかという問題がさらに大きいかも知れませんが。
会議の主宰者側になった時の注意として、多様な意見が出る雰囲気作りが何よりも重要、「重大な議案の場合、参加しているメンバーは全員一つ以上は必ず反対意見を述べることをルールにするのも効果的」「もし組織の今後を左右するほどの重大な提案であったなら、必ず議案に反対している人を参加させる、という方法もあります」(176~177ページ)ということが書かれています。立派な意見ですが、それが著者が参加してきた原子力安全委員会の専門部会や各種の「第三者委員会」で実施されたのか、大いに疑問を持ちます。
心理学関係の部分では、単独では間違わない判断が周囲への同調で流されるとか、多数者の判断の方が単独の判断よりもリスキーな方針を選択する、ブレーンストーミングでも他人がいると他人の目を気にしてアイディアを簡単に(安易に)出せないとか他人が出してくれるだろうという手抜き思考から1人でアイディアを出すよりもアイディアが出なくなる(88~102ページ)などの指摘があります。これらは、よく聞く話ですが、そう言ってしまうと会議による意思決定など無意味というかやめた方がいいということになりかねません。著者はさらに、全体での多数派がセクションに分けて少数で議論させて結果を積み上げると逆転する場合がある(少数のセクションの中での少数となった全体での多数派が意見を変えるため)とし(103~106ページ)、議論では共通して持っている情報ばかりが繰り返し議論されて強調されメンバーの一部だけが持っている情報は他のメンバーに共有されない(106~110ページ)ということを心理学の実験結果を通じて紹介しています。情報交換と議論を通じてより深い正しい見識を達して結論を出すということが民主主義の理念であるのに、この書きぶりでは、それを実現する方向ではなく、議論をしない多数決がよいかのようなニュアンスを感じてしまいます。
全体として、「適切な意思決定のための会議」の方法論を論じているという建前ですが、実質的には、会議の改革よりは現状の会議の中でそれぞれの参加者(座長・議長側を含む)が自分の意向をより反映させるためには何を考えるべきか、あるいは会議で無難に振る舞うための処世術を論じているように見えます。
岡本浩一 中公新書ラクレ 2016年1月10日発行
著者が悪い例として想定しているのが、会議開催前に少数の幹部により方向性が決まっており、それを事前にメーバーの一部に根回しをして会議では現実にはメンバーに発言させず議長が異議はありますかという聞き方で採決をせずに全会一致と見なして決定していくものです。著者が、多く参加した政府系の委員会も官僚の事務方がそういうことをやって運営しているものです(そのあたりは著者も20ページでわずかながら触れていますが)。それらの会議で、著者は、根回し、同調圧力に負けずに闘ってくれたのか、それよりも座長になった著者が根回しをしたりメンバーへの圧力をかけなかったのかの方が気になりますが。もっとも、この本で書いていない、役所の諮問機関(委員会)や「第三者委員会」ではそもそもメンバーの選定段階で反対者や異論を言いそうな人物が排除されており議論をするまでもないのではないかという問題がさらに大きいかも知れませんが。
会議の主宰者側になった時の注意として、多様な意見が出る雰囲気作りが何よりも重要、「重大な議案の場合、参加しているメンバーは全員一つ以上は必ず反対意見を述べることをルールにするのも効果的」「もし組織の今後を左右するほどの重大な提案であったなら、必ず議案に反対している人を参加させる、という方法もあります」(176~177ページ)ということが書かれています。立派な意見ですが、それが著者が参加してきた原子力安全委員会の専門部会や各種の「第三者委員会」で実施されたのか、大いに疑問を持ちます。
心理学関係の部分では、単独では間違わない判断が周囲への同調で流されるとか、多数者の判断の方が単独の判断よりもリスキーな方針を選択する、ブレーンストーミングでも他人がいると他人の目を気にしてアイディアを簡単に(安易に)出せないとか他人が出してくれるだろうという手抜き思考から1人でアイディアを出すよりもアイディアが出なくなる(88~102ページ)などの指摘があります。これらは、よく聞く話ですが、そう言ってしまうと会議による意思決定など無意味というかやめた方がいいということになりかねません。著者はさらに、全体での多数派がセクションに分けて少数で議論させて結果を積み上げると逆転する場合がある(少数のセクションの中での少数となった全体での多数派が意見を変えるため)とし(103~106ページ)、議論では共通して持っている情報ばかりが繰り返し議論されて強調されメンバーの一部だけが持っている情報は他のメンバーに共有されない(106~110ページ)ということを心理学の実験結果を通じて紹介しています。情報交換と議論を通じてより深い正しい見識を達して結論を出すということが民主主義の理念であるのに、この書きぶりでは、それを実現する方向ではなく、議論をしない多数決がよいかのようなニュアンスを感じてしまいます。
全体として、「適切な意思決定のための会議」の方法論を論じているという建前ですが、実質的には、会議の改革よりは現状の会議の中でそれぞれの参加者(座長・議長側を含む)が自分の意向をより反映させるためには何を考えるべきか、あるいは会議で無難に振る舞うための処世術を論じているように見えます。
岡本浩一 中公新書ラクレ 2016年1月10日発行