伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年から3年連続目標達成!

生活保護審査請求の現状と課題 簡易・迅速・公平な解決をめざして

2021-02-28 18:43:44 | 実用書・ビジネス書
 生活保護に関する行政の処分に対する審査請求(行政不服審査)についてなされた裁決例を分析し解説した本。
 著者(学者)が、情報公開請求によって入手した2006年度以降の裁決を整理して公開した「生活保護裁決データベース」に掲載されている裁決例を、分析検討し、保護の申請段階の取扱(事実上の追い返し、「水際作戦」等の問題)、自動車の保有をめぐる問題、稼働能力(求職活動をしないとかその頻度・程度を理由とする保護の停止・廃止等)、扶養(資力のある扶養義務者の存在、現実的に扶養を受けられるか等の判断等)、世帯単位(高校就学者が出たり就労者が出た場合や人員の移動があるときの扱い等)、指導指示(行政側の指導の可否・適否:保護の停止や廃止の前段)、費用返還(法63条)(収入があったときや過誤払いのときの保護費返還請求)、不正受給(法78条)の各問題に分類して解説しています。
 このような裁決例の収集・整理・公開が一私人の手によりなされていること自体が素晴らしい(本来は行政が自らやるべきことなのになされていないということでもありますが)。
 多数の裁決例が説明されており、基本的には請求が認められた(行政の処分が取り消された)裁決例が解説されていますので、こういう理由や事情があれば請求が認められる余地があるのだと、弁護士としては大変参考になりました。
 他方において、多数の裁決例を紹介したいからではありましょうけれども、今ひとつ事案の説明と裁決の理由部分の説明が省略されて簡単に過ぎ、どこがポイントになって認められたのか、判然としないものも多く、やや消化不良気味です。29~49ページで3例詳しく紹介されている裁決があり、弁護士としてはこれくらい詳しく(もう少し省略してもいいけど)それぞれの裁決を解説してくれるとありがたいと思うのですが。
 全体としては、生活保護法令、通達、生活保護行政の実務がある程度わかっていることを前提にして、そこの説明はさらっと流して、すぐに裁決の解説に入っている印象があり、業界外の人にはなかなか通読は難しいでしょう。専門家向けの解説書と位置づけた方がいいかと思います。


吉永純 明石書店 2020年12月30日発行
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40歳を過ぎても、こうすれば目はよくなる

2021-02-26 22:06:03 | 実用書・ビジネス書
 高齢になり一度落ちた視力も、トレーニング等によって回復できると論じた本。
 加齢等による視力の低下は毛様体筋の弾力性低下や水晶体の弾力性低下、硝子体の液状化等が原因であり、毛様体筋を使うトレーニングや目の周囲の血流を増加させる等によって視力を回復できるとして、目をキョロキョロと動かすなどのトレーニングや目の周囲や首の保温、さらには十分な睡眠、その他の健康な生活を勧めています。「見える」と信じることで視力が上がるとか、ストレスを減らすこと、美しいものやきれいなものを見て感動することが視力の回復につながるという主張もなされています。
 人間の体はさまざまな点でつながり、健康や病気もさまざまなことが影響するでしょうから、この本で提唱されていることは、体にいいことだろうとは思うのですが、一度落ちた視力が回復しないというのは事実ではないという説明の根拠が、「一度失われると再生することはないと言われていた脳細胞が70歳を過ぎても適度な刺激を受けると再生することがわかってきました。視力も同じです。つまり、視力が回復する可能性はゼロではないのです」(16ページ)というだけでは、かなり心許なく思えます。著者が医師ではなく(政経学部卒)、記述の多くについて学術的な根拠が示されていないことも不安材料ではあります。
 著者が経営するビジョンサロンでの実践、それにより視力が回復したという人が多数いるということがその背景にあるのであれば、書かれていること自体は基本的に健康によさそうなことなので、やってみてもいいかなと思いますけど。


中川和宏 PHP文庫 2019年2月15日発行(単行本は2012年9月)
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かわいい夫

2021-02-25 22:05:24 | エッセイ
 町の書店の店員として働いている長時間労働低収入の夫と暮らす日々などについて触れたエッセイ集。
 夫ネタの他にも、前半では、病に倒れた父親のことや流産のことが何度か話題になり、後半では父親の死亡やデビュー直後に「ブス」と攻撃されたことが何度か話題になっています。
 夫が低収入ではあるけれど、専業主夫というわけでもなく、家事や経済面、あるいはその他の面で著者の仕事を支えてくれるわけでもない夫婦のありようについて、それでいいじゃないか、自分はそうしたいからそうしている、最高の人ではなくてたまたま側にいる人を愛し抜きたいというようなところが基本線になっています。
 社会の主流、ふつうと違う自分たちないし自分を肯定し、それでいいじゃないかというために、しかしそうでない考えの人に自分の考えを押しつけるつもりはないということを、著者は繰り返し言っています。新聞連載という性質上、なのか、ずいぶん気を遣うものだなぁと感じました。
 自分の父親が老いて家に手すりを付けようということになって、街を歩くとこれまでとは違う景色が見えるようになった、重い荷物を持つ高齢の人や老齢でナビが使えないタクシー運転手などに違った感じ方を持つようになったという話(34~36ページ)。私などは、自分自身が慢性の腰痛とか動きが鈍くなって、それで他人の動きにそういうことを感じる始末ですが、それは実感するところです。
 社会的ステータスが低そうな夫とふつうの主婦っぽく気弱な自分の夫婦が高級な店で軽く扱われ、仕事で接待されるときとは店員の接し方がずいぶんと違うと感じ、結婚当初は夫にマナーやおしゃれの勉強をして欲しい、一緒に出かけるのが恥ずかしいと思ったが、自分はエスコートしてくれる人が欲しくて結婚したのではない、自分たちが卑下する必要はない、そういうお店には行かないで自分たちに優しく接してくれるお店だったたくさんあると思い直す話(186~188ページ)。いかにも、なるほどと思います。そういうことを書くときにも、「社会的ステータスの高い客を接客業の方が大切にするのは当たり前だ」というひと言を入れるのには、先に述べたように、気をつかってたいへんだなと思いますが。
 「私は、夫や自分のような、『戦時下においては無能』とされるような人間の価値を守っていきたい、と思う。兵隊向きの性格でないことは、決して、恥ずかしくない」(101~102ページ)、「弱く優しい男を肯定することが反戦に繋がるような気がするから、私は夫をこの先も大事にしていこうと思う」(183ページ)など、「かわいい夫」ネタでエッセイを書くという方向性が、反戦のメッセージにも繋がっているところも見えます。ここでもまた、「戦争が起こる理由はいつも複雑で、誰が悪いというわけでもないから、責任云々を言っても仕方がないだろう。それに、生まれたときから平和な時代でぬくぬく過ごさせてもらった私が、戦争時代を生き抜いた人に何かを言うということは難しい」(102ページ)とまで言及する著者の気遣いと遠慮には、やはり、たいへんなんだなぁと感じてしまうのですが。


山崎ナオコーラ 河出文庫 2020年2月20日発行(単行本は2015年12月、夏葉社)
前半は西日本新聞連載
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現代日本を読む ノンフィクションの名作・問題作

2021-02-24 21:23:37 | 人文・社会科学系
 著名なノンフィクションを素材として、現代日本においてノンフィクションが果たしてきた役割、可能性と限界を論じた本。
 「Web中公新書」に2年近くにわたり30回連載された「日本ノンフィクション史 作品篇」を再構成したと紹介されていて、一貫した論考と言うよりは、作品紹介の性格が強く、また時期によって評価の変化が見られるように感じました。
 著者の検討/視点の中で立花隆の評価が定まらずブレを生じ、躓きの石になっているように思えました。第4章では、大宅壮一ノンフィクション賞の選考委員である立花隆をノンフィクションのなんたるかがわかっていない者と道化役に使いながら、第8章では立花隆と利根川進の「精神と物質」を科学ノンフィクションとして持ち上げ、第9章では沖縄返還交渉と密約を明らかにした若泉敬の「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」をノンフィクションが「物語」としての性質を持ち「物語」と読まれてしまうが故に告発力が弱く影響を持ち得なかったと評価しながら、事実記載に徹して強い影響力を及ぼした立花隆の「田中角栄研究」はノンフィクションとしての価値が低いという趣旨の記述(102ページ)にとどめています。全体として読むと、著者は何を言いたいのか、今ひとつわかりません。まぁ立花隆が嫌いなんだろうなというのは感じますが。


武田徹 中公新書 2020年9月25日発行
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古代マヤ文明 栄華と衰亡の3000年

2021-02-23 21:02:12 | 人文・社会科学系
 古代マヤ文明について、幅広い時期と地域を対象としつつ、著者の専門領域の考古人骨研究の成果を中心に研究の現状を解説した本。
 ストロンチウムの同位体が、ストロンチウム86は(全世界・全時代で)一定の割合で存在するが、ストロンチウム87は基盤岩中のルビジウム87によりその存在量が変化することに着目して、地域によるストロンチウム86とストロンチウム87の同位体比をマッピングし、発掘された人骨の第一大臼歯(乳児期に形成)の同位体比でおおよその出生地を、第三大臼歯(親知らず)の同位体比で幼少期に過ごした場所を特定して、人物の移動を推定する(68~71ページ)方法によって、古代マヤ文明の各都市/遺跡の建設・維持を担った人たちがどこから来たのかを推定し(73~84ページ)、考古学的な検討から言われてきた他の文明からの影響や征服などの諸説が覆されたという説明がなされています。さまざまな知見/技術が新たな知見/知識を生んでいく様子に驚かされます。
 マヤ人の身長は古代から時代を追って小さくなっており、その原因は、社会格差の拡大にあり、それが集団としての栄養状態を低下させたと評価されています(128~129ページ)。文明の発達が、社会全体の利益につながらず、持たざる者の不幸を増大化させていることは、実に嘆かわしい。
 まえがきでは、「21世紀の現在、古代マヤ文明はおそらくもう謎の古代文明ではない」「かつて神秘のヴェールを纏っていた謎のマヤ文字も、今や言語学に基づいた碑文学研究によって、その大半が読める歴史文書になっている」と書かれているのですが、本文を読み進んでも残された謎が多く、マヤ文字についても180~190ページで具体的な解説はあるのですが読んでもほとんど理解できなくて「お手上げ」感があり、今ひとつ、マヤ文明を理解できたという満足感を持ちにくく思えました。


鈴木真太郎 中公新書 2020年12月25日発行
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騙し絵の牙

2021-02-22 21:22:22 | 小説
 出版大手の薫風社が発行するカルチャー月刊誌「トリニティ」の編集長速水輝也が、編集局長からは黒字化しないと廃刊と脅しつけられ、大御所作家や新人の有望作家、社内の広告局やテレビ局、編集部内の仕事も気配りもできない副編集長、感情的なベテラン女性編集者、腕がいいがわがままで速水と愛人関係の若手編集者、家庭内別居状態の妻と小学生の娘などに挟まれ、せめぎ合いとさまざまな思惑の中を泳ぎ続ける出版業界内幕的なサラリーマン哀話小説。
 最初から主人公を俳優大泉洋に設定して書かれ、そのとおりに大泉洋主演で映画化されました。映画の公開は、新型コロナウィルス感染症の緊急事態宣言等での客の減少を見込んですでに2回も延期されているという、観客ではなく、制作者の黒字化の欲望のみを考えた「薫風社」幹部と同じ思考に支配された状態ですが。
 映画化されたために読んでみる気になったのですが、映画の予告編ラストの高野(松岡美優)の「人を騙してそんなに面白いですか」、速水(大泉洋)の「めちゃくちゃ面白いです」という決め台詞は原作にありませんし、原作は映画のキャッチの「騙し合いバトル」という性格ではないように思えます。原作が、速水の小説への愛情を基本線に置き、速水の術策も、無理を強いられ様々な利害・思惑・圧力の渦巻く中での生き残り策と位置づけているのに対して、映画は相当な書き換えをして臨むように見えます。登場人物も、クセの強い編集局長を亡き者とした(関西弁の適役がいなかったのか?)のをはじめ、いろいろ変更しているようです。見終わった後に、儲かれば、客が入れば何でもいいってことだよね、ではなくて、作品への愛とか、映画への愛が感じられたらいいのですが。


塩田武士 角川文庫 2019年11月25日発行(単行本は2017年8月)
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むらさきのスカートの女

2021-02-19 23:40:09 | 小説
 いつも近所の公園の一番奥のベンチに座りクリームパンを食べている「むらさきのスカートの女」日野まゆ子を観察し続けている黄色いカーディガンの女権藤が、むらさきのスカートの女と友達になりたいと思い、策を弄して行く様を描いた小説。
 語り手からは、しばらく働いては無職になることを繰り返すむらさきのスカートの女の社会性のなさ、特異さが描写されますが、語り手自身が勤務先がありながら家賃を長期間滞納して自宅に寄りつかず逃げ続けている上、何よりもむらさきのスカートの女を追い続けるストーカーぶりが目に付きます。他人の異常性をあげつらいながら、その人よりももっと異常な自分に気がつかない/自分の異常性は気にならない人のありようを考えさせられます。
 この作品では、ホテルの清掃(芸能人がよく利用して30階建て以上で、ホテルメイドの生チョコが1粒980円という設定なので、かなり高級なホテル)の仕事、バックヤードの話が出てきますが、作者自身がホテルの清掃の仕事をしていたそうなので、そのあたりは、業界の実情、なんでしょうね。そうだとしたら、参考になります。


今村夏子 朝日新聞出版 2019年6月30日発行
芥川賞受賞作
コメント (2)
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あひる

2021-02-18 19:46:17 | 小説
 父親が職場の同僚からもらい受けたアヒルを庭で飼ううちに近所の子どもたちが遊びに来るようになり、のりたまと名付けられたそのアヒルが病気になって父親が動物病院に連れて行き、その後業者に連れられた元気なアヒルが来てのりたまとして受け容れられるということが続く表題作、敷地内の別棟に住むおばあちゃんと小学生のみのりと弟の交流を描いた「おばあちゃんの家」、何かに夢中になると掌にたくさん汗をかく不器用な少年モリオと妹モリコとビワの実がたくさんなっている家に住むおばあさんとの交流を描いた「森の兄妹」の3編からなる短編集。後の2編はおばあちゃんと通じて、あるいは「クジャク」を通じてリンクしています。
 アヒルが入れ替わっていることをみんなが見て見ぬふりをしますが、それが何の/誰のためなのか、3輪車にまたがった女の子の問いかけを機に考えさせられます。「こちらあみ子」「ピクニック」から続く問いかけというべきでしょうか。


今村夏子 角川文庫 2019年1月25日発行(単行本は2016年11月)
河合隼雄物語賞受賞作
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こちらあみ子

2021-02-17 23:06:22 | 小説
 悪意なく純真な対応をする/それが過ぎる少女あみ子が周囲から疎外されていく様子を描いた表題作、売り出し中のお笑いタレントと交際中と言い張る七瀬さんを気遣い話を合わせるより若者の同僚たちを描いた「ピクニック」、近所のおばあさんの様子を描いた「チズさん」の3編からなる短編集。
 あみ子が小学5年生のときにようやくできた夫と自分の間の子が死産で悲嘆している継母に、プランターに「金魚のおはか」などと並べて「弟の墓」の木札を挿して見せ、それを見た継母が泣き崩れ、以後継母はやる気を失い、兄は不良になるというエピソードをどう考えるべきでしょうか。無邪気さ・純真さが、今では鈍感さ・空気の読めなさを意味し、王様は裸だと指摘した子どもは、かつては大人たちに気づきをもたらしたが今では大人たちに無視され疎外される、そういうことをいいたい作品なのでしょうか。小学生が悪意なく「弟の墓」と書いた木の札を立てたくらいで泣き崩れてそのままうつ状態になるというのも極端だし気弱に過ぎると思えますが、近年は、そういう人が増えているようで、そういうことを認め予期して人に対応すべきことが次第に世の習いとなりつつあるように見えます。作者はそういう風潮に疑問を投げかけているのかというと、あみ子ののりくんへの対応のしつこさ・無神経さ(我慢を重ねていたのりくんがついにキレてあみ子を殴りつけて前歯を折る)、同居している継母が入院したことにも気づかない無関心ぶりなど、あみ子の「純真さ」の行き過ぎぶりが目に付く描写は、あみ子が疎外されるのも当然としているとも読めます。
 それと並べられた、見栄を張る同僚を傷つけないように気遣う若者たちが、空気を読めずに真実を突きつけようとする新人をたしなめて取り込んで行く「ピクニック」を合わせ読むと、無邪気さが残酷さを意味し、人を傷つけないように気遣う優しさが求められているように感じられます。必ずしも2つの作品が同じ方向を向いていると読む必要はないかも知れませんが。


今村夏子 ちくま文庫 2014年6月10日発行(単行本は2011年1月)
太宰治賞、三島由紀夫賞受賞作 
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彼女たちの場合は

2021-02-16 18:55:23 | 小説
 高校を中退して両親の提案でアメリカ留学しニューヨークに住む叔母夫婦の下で大学附属の語学学校に通う17歳の三浦逸佳が、従妹の14歳の木坂礼那とともに旅立ち、礼那の読む小説「ホテル・ニューハンプシャー」の舞台やボストン、湖水地方を経て西部を目指し、さまざまな人と出会いアクシデントがありながら旅していく中で、さまざまな経験をして気持ちが移ろいで行き、親たちの思い、関係にも変化を与えていくという小説。
 人付き合いが苦手で内向きだが芯の強い逸佳とオープンで明るく人なつこい礼那の組み合わせがうまくかみ合い、シリアスで重くなりがちな局面を軽く流しています。礼那が「チーク!」と言って逸佳に頬を寄せ、逸佳に手を腕を絡める場面が度々出てくるのが微笑ましい。
 やきもきする礼那の母理生那と焦り苛立つ父潤、娘を頼もしく想い密かに応援する逸佳の父新太郎と立ち位置がやや不明の妻(名前も出てこず語り手となる場面もない)の心情の変化も、変化したのは理生那だけかも知れませんが、サブテーマになっています。
 逸佳(いつか)という名前(礼那の語りの場面ではいつも「いつか」とひらがなで表記されます)が、全然関係ないのですが、辻仁成の「サヨナライツカ」を連想させ、その語呂合わせで、小説の設定や進行と別に感傷的な心情を持ってしまいました。登場人物の名前を決めるとき、そういうことも考慮するのかなと、ちょっと思いました。


江國香織 集英社 2019年5月10日発行
「小説すばる」連載
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