伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。今年も目標達成!

パース塾2 実践編

2008-04-30 08:39:54 | 実用書・ビジネス書
 建物や室内のイラストを遠近法を用いて描く際のやり方についての解説書。
 パース塾の実践編ですが、さらに徹底しています。
 物の影がどこまで伸びるかについて、画面中に光源があるときは光源が光の消失点で、そこからおろした垂線がアイレベルと交わる点が影の消失点となり、光の消失点から物の輪郭へと伸ばした線と影の消失点から物の輪郭に延ばした線が交わるところまで影ができる。ここまではまぁわかります。光源が手前側の時は、影を書きたい向きを考えて物の輪郭からその方向に伸ばした線とアイレベルの交わる点を影の消失点と決め、ある1点で書きたい影の長さと物の輪郭を結んだ線を影の消失点からアイレベルと垂直におろした線と交わる点を光の消失点として、他の点では影の消失点と物の輪郭に伸ばした線と光の消失点から物の輪郭へ伸ばした線の交点が影の限界(26頁)って、そうすれば遠近法として正しい影になることは理解しますが・・・溜息出ます。
 室内を描くとき、1点透視だと傾斜というか奥行き感がきつすぎるので、アイレベル上に少し離した2点の消失点を置く2視点1点透視が、理論的にはあわなくても便宜的にそれらしく描ける(30~31頁)という話は、なるほどですし、ホッとしますけど。
 遠近法そのものよりも建物や家具の書き方のテクニックとして読んだ方がいいかも知れません。


椎名見早子 廣済堂出版 2008年3月20日発行
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パース塾

2008-04-30 08:32:57 | 実用書・ビジネス書
 イラストを作画する際の遠近法(Perspective)についての解説書。
 遠近法というと、道や建物の屋根の線が画面中の1点に収斂していく1点透視と、中央に建物等がある場合に両側の2点に収斂していく2点透視があることはよく知られていますが、視点の高さ(アイレベル)との関係で、見上げたり見下げたりするときは3点透視とか、建物の角度が違うときや傾斜しているときなどの場合に具体的にどうしていくかが作画付きで説明されています。建物等の角度が違うときは2点透視の消失点がアイレベル上の別の場所にずれ、一方が真ん中寄りにずれればもう一方は外側にずれるとか、傾斜しているものは傾斜していない場合の消失点の真上か真下に消失点がずれるとかいう話はよく考えればわかりますが、なかなかそこまでつめずに書きがちです。
 さらに建物のフロアや窓など、均等や不均等に分割するときの線の位置取りは、消失点に収斂していくパース線の中心線と分割対象の四角形の対角線を取って位置を決めていくとか、確かにそうすれば遠近法としては完璧だけど、そんなめんどうなことやってられないと感じるくらい遠近法の観点から説明されています。ビルの窓とか階段の一段一段をそんなことして描いて行けって言われても、ちょっとねぇ。


椎名見早子 廣済堂出版 2008年3月20日発行
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ドラゴンキラーいっぱいあります

2008-04-29 19:44:38 | 物語・ファンタジー・SF
 ドラゴンキラーありますの続編。
 ドラゴンキラーのリリィとマルクトの皇女アルマとともに暮らすことになったココが、軍人時代の上官で落ちぶれたアル中に成り下がったロブと遭遇し、過去の上下関係と軍隊時代のできごとから頭が上がらずしかし処遇に困っていたところへ、別のドラゴンキラーのアイロンが現れ、再び抗争へと巻き込まれていくというお話。
 今回は帝国の陰謀とか外国がらみの話はなく、ココの過去のしがらみとバスラントの狭い社会内での勢力争いからの愛憎でストーリーが進みます。第1作が戦場や外国の陰謀と話を大きくしていただけにスケールダウンの感があります。はぐれ者のドラゴンキラーアイロンの人物像も、ちょっと単純でキャラに魅力が少ない感じですし。


海原育人 中央公論新社C★NOVELS 2007年8月25日発行
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ドラゴンキラーあります

2008-04-29 00:36:34 | 物語・ファンタジー・SF
 かつて戦場でドラゴンキラーのレクスに友軍兵士を多数殺され自分も殺されかけたことがトラウマとなっている元軍人のココが、ふと巻き込まれた隣国の皇女をめぐる争奪戦の過程で女性ドラゴンキラーのリリィと取引し、レクスへの復讐をめざすというストーリーのファンタジー。
 ドラゴンキラーは、素手で竜を殺す力のある超人で、人体には猛毒の竜の血や肉を食べても生き残れた人間が変身した竜と人の中間の存在とされています。
 死期が近づく皇帝の跡目争いで構想が続く南の帝国マルクトと北の連合国に挟まれ、小国が抗争を繰り広げマフィアがはびこりみんなが銃を携行する無法地帯バスラントを舞台に、雇われたドラゴンキラーやスパイ、ココのような便利屋たちが闘いを続けます。
 暴力と色気と下品なジョークにまみれつつ、超人のリリィがココに寄せる思いが描かれ、ラブコメ仕立てにもなっています。
 簡単に人を殺し過ぎるのが私の趣味には合いませんが、アクションもののエンタメとしてはそこそこではあります。


海原育人 中央公論新社C★NOVELS 2007年7月25日発行
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ともだち刑

2008-04-28 09:20:58 | 小説
 中学女子バレー部でいじめを受けた少女浜田葉子の屈折した思いとその後の心情を描いた小説。
 いじめの加害者側の今井への憧憬と追従、憎しみに揺れる浜田の心情が読みどころかと思います。
 この浜田が純然たる被害者として読者の同情を買う立場でもなく、浜田自身、友だちを今井に売ってその友だちが外されて浜田が今井の歓心を買って一時友だちに戻ったり、後日の予備校時代に友人の木原にこんな女は殴られて当然と苛立ってみたり、加害者側の心情や行動も持ち合わせています。さらにいえば、部の顧問にいじめを訴えたシーンも、それで正面から部員にいじめがあるかと聞いて部員がみんなないと答えると浜田に対してみんなの前で謝れと言った顧問の教師の愚鈍さを強調する形にはなっているものの、浜田の行動自体、今井に友だちを売ったのと同様に教師に今井を売ろうとしたともとれます。そういう真っ白ではない主人公の心の襞・綾が読ませるのだと思います。
 他方、中学時代、予備校生活、里帰りした今の3つの時制を不規則に交互に描く進行は、ちょっと読みにくい。また、浜田が今井への憎しみを、中学時代ならともかく、いじめを受けていた頃から6年もたってぶつけようとするのは、理解しかねます。まあそういう他人には理解できない憎しみの沈潜を描きたかったのかも知れませんが。


雨宮処凜 講談社文庫 2008年4月15日発行(単行本は2005年)
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フォークソング されどわれらが日々

2008-04-28 09:16:01 | 趣味の本・暇つぶし本
 フォークシンガー版「あの人は今」。
 60年代後半から70年代に一世を風靡したフォークシンガーの当時の写真と編集部による紹介、今の写真とインタビューを並べた、たぶん団塊世代狙いの週刊誌企画の単行本化。安直な企画でインタビューも突っ込み不足だと思いますが、中年おじさんにとってはそれでもビッグネームが思い出話と今の思いを語るとなるとつい読んでしまいます。
 わりといい加減に業界に入ってなんとなくやれて来たみたいな話が多いですが、山崎ハコの事務所社長の言いなりになって貧乏暮らしをした挙げ句事務所が倒産、社長が行方不明って話はとても可哀想でした。


週刊文春編集部 文藝春秋 2008年3月15日発行
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レバレッジ・リーディング

2008-04-26 20:02:58 | 実用書・ビジネス書
 ビジネス書の多読の勧め本。
 読書は他人の経験を学んでマネして余計な努力を回避するための投資活動という観点から、ビジネス書を大量に買い込み、1冊原則1時間の時間制限をして線を引いたり書き込んだりしつつ斜め読みし、線を引いたところをメモに書き出して持ち歩き何度も読む、1度読んだ本は原則として2度と読まずに処分していくという方法を著者は勧めています。
 読書を趣味・娯楽ではなく、仕事の一部と位置づけて論ずる限りは、理屈としてはわかります。私も仕事に使う本はまず通し読みなんかしませんし。でも、その位置づけで年間400冊読むっていったら、たいていの人はできないでしょうね。毎日1時間読書時間を決めるというところや、線を引いたところをワープロで打ち直してメモにするというあたりで挫折するでしょう。だいたいビジネス書ばっかり読み続けること自体、飽きちゃいそうですし。
 著者の方針でよく理解できなかったのは、本は最初から読み通す必要はない、目的(獲得目標?)を決めて斜め読みするんだっていうんですけど、この本も含めてビジネス書ってはじめから全ページ読み通したって1時間あったら読めるもんだと思うんです。それに原則2度と読まない、本はどんどん捨てていくというなら、線を引いたところはわざわざ打ち直さなくてもそのページ自体切り取ってホチキス止めかクリアファイルにでも入れて持ち歩いた方が手間がかからないと思います。私にはそういうことできませんが、本はボロボロになるまで使い倒せの方針ならそうした方がよさそうに思えます。
 読書法というよりはビジネス書活用勉強法というところですね。


本田直之 東洋経済新報社 2006年12月14日発行
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ワーキングプアは自己責任か

2008-04-24 22:47:28 | 人文・社会科学系
 ワーキングプアが置かれている生活・労働環境やワーキングプアが増えた背景、非正規雇用を搾取する日雇い派遣・違法派遣、過重な労働を強いられる正社員の様子などを紹介してワーキングプア対策を論じた本。
 タイトルの「ワーキングプアは自己責任か」という論点については、「はじめに」では「どちらの議論が正しいかはわからない。客観的に考えれば、どちらの議論も一面において正しいし、一面において正しくはないということになるのだろう。」(6頁)と結論を避けています。これはちょっとずるい。このタイトルからしたら、普通の読者は、小泉改革(新自由主義経済)がワーキングプア増大の元凶で小泉改革はけしからんという内容を期待しますし、この本の内容も強い論調ではないものの、小泉改革でワーキングプアが増えた・ワーキングプアの状況が悪化したと示唆するものですから。もっとも、世界的にもワーキングプアが増えていることを論じる第2章からは、小泉改革がというよりはグローバリズムの影響だという印象が強くなりますが。
 著者の職業柄、統計数字での論述が多く、読みやすそうな見かけのわりに読み進むのにちょっと時間がかかりました。
 対策で、国民全員に安心して生活できる最低限の所得を国家が給付する「ベーシック・インカム」(社会保障はすべてこれに一本化して行政コストを節約するとともに、税金の各種の控除は全部廃止して財源をまかなう)(203~209頁)とか所得税を廃止して直接税として消費支出に課税する「支出税」(個人単位で消費支出に対して課税し累進課税とする)(217~222頁)という提言は、斬新でとても興味深く読めました。


門倉貴史 大和書房 2008年3月20日発行
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楽園に間借り

2008-04-22 22:15:26 | 小説
 働くことが嫌でナースのひもとして生きている主人公百輔の悩み、惑い、日常生活を描いた小説。
 多数の女に貢がせている同業者の友人ルイへの友情、憧憬、軽蔑、怒りを通じ、自分の位置づけに戸惑う様子が読みどころでしょうか。
 初出から一本の小説のわりには、章ごとにぶった切れてたり、終盤の展開もちょっと唐突な感じで、今ひとつ流れの悪さを感じます。コメディ、エンタメとして読むには爽快感とかわくわく感があまりなく、純文学として読むには深さが感じられず、ちょっと中途半端な読後感です。


黒澤珠々 角川書店 2007年8月31日発行
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ゲルマニウムの夜・王国記Ⅰ~Ⅶ

2008-04-21 21:49:59 | 小説
 教護院兼修道院を舞台に神父をはじめとする修道士やシスター、学生たちの暴力や姦淫ぶりを描き、戒律を次々と破りながらもしかし観念的に神と宗教を語り追及/追求する芥川賞受賞作「ゲルマニウムの夜」に始まる「王国記シリーズ」。いつまで続くのか予想できませんが、とりあえず最新作まで読んでみました。
 「ゲルマニウムの夜」「王国記」「王国記Ⅱ汀にて」あたりまでは、父母を殺して修道院に舞い戻り農作業を続けているという設定の朧が主人公とされ、対照的に「王国記」で修道院の農場を出ていった元修道士の赤羽が俗物で哀れな存在と描かれています。初期の朧は、暴力的で小狡くて性欲の強い危ないキャラですが、同時に観念的に神を語る際の鋭さも持ち合わせ、私はあまり好きになれませんけど、妖しい魅力を持っています。私の年齢の問題かも知れませんが、同様に戒律を無視して欲望に身を任せながら、赤羽は徹底的に批判されコケにされるのに、朧は賞賛され人望があると描かれるのはアンフェアな感じがしていました。
 「王国記Ⅲ 雲の影」あたりから朧は相対的に落ちていき、次第に危ない妖しい魅力は失せて、言動は赤羽とさして変わらないように見えます。それでもなお朧は批判の対象にはならず人望を集めていましたが、最近の巻では、批判の対象となってきています。
 朧がシスターに産ませて赤羽に押し付けた子ども「無」改め「太郎」が次第に作品の中心となり、主人公となっているように思えます。それでもなお、最新刊でも巻頭の登場人物説明で朧が「本作品の主人公」とされているのは不思議ですが。
 朧が凶暴さを失い丸くなっていく過程で、作品そのものも、ひたすら姦淫は続くものの破戒はその方向ばかりとなり、神と宗教を語る部分もどこか鋭さを欠いてきているように感じます。一気読みしているので初期の刺激の強さに感覚が麻痺してより刺激が少ないものに飽きが来たのかも知れませんが。
 意地悪く言えば、朧で書き続けることが難しくなり、主人公を差し替えて、議論の重心をずらすことで長く続けようとした試行錯誤が今ひとつというところでしょうか。
 別の読み方をすれば、1作ごとに語り手を変えることで、同じ人物を持ち上げては落としを繰り返し、人物も、宗教も神も相対化する、多元的な視点の大切さを見せているとも言えます。赤羽だけが常にどこまでも貶められているのは可哀想ですが。
 癖のある人物が多数登場しますが、私はその中で朧の最初の女となり、朧の性奴隷ともいえるジャンとも赤羽とも性関係を持つ教子というキャラに惹かれました。「ゲルマニウムの夜」(朧の視点)/「汀にて」(教子の視点)/「雲の影」(朧の視点)/「むしろ揺り籠の幼児を」(朧の視点)の朧-教子関係の変転、「め-くるめ・く【目眩く】」(教子の視点)/「象の墓場」(赤羽の視点)/「神の名前」(ジャンの視点)の教子の評価の変転は、私には読み応えがありました。淫婦→聖女/賢者→俗物と揺れ動き、今のところ最終的には貶められていますが、この作品で一番の変転が作者の愛着をも示しているように見えます。
 そういう一筋縄ではいかないキャラと人物評価が、実は宗教論争より、魅力的かも知れません。


「ゲルマニウムの夜」:1998年9月20日発行
 「ゲルマニウムの夜」「王国の犬」「舞踏会の夜」
「王国記」:1999年12月15日発行
 「ブエナ・ビスタ」「刈生の春」
「王国記Ⅱ 汀にて」:2001年2月20日発行
 「汀にて」「月の光」
「王国記Ⅲ 雲の影」:2003年3月15日発行
 「雲の影」「PANG PANG」
「王国記Ⅳ 青い翅の夜」:2004年1月30日発行
 「むしろ揺り籠の幼児を」「青い翅の夜」
「王国記Ⅴ 午後の磔刑」:2005年1月30日発行
 「め-くるめ・く【目眩く】」「午後の磔刑」
「王国記Ⅵ 象の墓場」:2006年7月15日発行
 「象の墓場」「生殖記」
「王国記Ⅶ 神の名前」:2008年3月25日発行
 「神の名前」「煉獄の香り」
いずれも花村萬月 文藝春秋 初出は「文學界」
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