その朝は学校へ行くのがたいへん遅くなったし、それにかごいけ先生が幼稚園児でも覚えることができた「安倍首相がんばれ、安倍首相がんばれ。安保法制国会通過よかったです。日本がんばれ。エイ、エイ、オー」の宣誓を私たちも暗唱してくるようにと言われたのに、私は丸っきり覚えていなかったので、しかられるのが恐ろしかった。一時は、学校を休んで、どこでもいいから駆けまわろうかしら、とも考えた。
空はよく晴れて暖かった!
街中をオリンピックのテーマソングが流れている。街中でスマホを手に佇む人が輪を作っている。今日はこの辺に何か新しいキャラクターが現れるのだろうか。どれも宣誓の暗唱よりは心を引きつける。けれどやっと誘惑に打ち勝って、大急ぎで学校へ走っていった。
交差点を通った時、ビルの壁面の大きなディスプレイの前に、大勢の人が立ちどまっていた。7年前から、テポドン発射とか国難とか机の下への避難訓練とかいうようないやな知らせはみんなここからやってきたのだ。私は歩きながら考えた。
『今度は何が起こったんだろう?』
そして、小走りに交差点を横ぎろうとすると、そこで、マスクをして暗い目をしてディスプレイを見つめていた人たちが、私に言った。
『おい、坊主、そんなに急ぐなよ、どうせ学校はもう終わりだ!』
大人たちが私をからかっているんだと思ったのて、私は息をはずませてかごいけ先生の小さな庭の中へ入って行った。学校のまわりでは、警察の人たちが何やらたむろしてこそこそと囁きあっているのが聞こえた。
ふだんは、授業の始まりは大騒ぎで、机を開けたり閉めたり、日課をよく覚えようと耳をふさいでみんな一緒に大声で繰り返したり、先生が大きな定規で机をたたいて、
『もう少し静かに!』と叫ぶのが、往来まで聞こえていたものだった。
私は気づかれずに席に着くために、この騒ぎを当てにしていた。しかし、あいにくその日は、何もかもひっそりとして、まるで日曜の朝のようだった。友だちはめいめいの席に並んでいて、かごいけ先生が、恐ろしい鉄の定規を抱えて行ったり来たりしているのが開いた窓越しに見える。戸を開けて、この静まり返ったまっただなかへ入らなければならない。どんなに恥ずかしく、どんなに恐ろしく思ったことか!
ところが、大違い。かごいけ先生は怒らずに私を見て、ごく優しく、こう言った。
『早く席へ着いて、のりゆき。君がいないでも始めるところだった』
私は腰掛けをまたいで、すぐに私の席に着いた。ようやくその時になって、少し恐ろしさがおさまると、私は先生が、安倍昭恵名誉校長の来る日か桜を見る会の日でなければ着ない、立派な、緑色のフロックコートを着て、細かくひだの付いた幅広のネクタイをつけ、刺しゅうをした黒い絹の縁なし帽をかぶっているのに気がついた。それに、教室全体に、何か異様なおごそかさがあった。いちばん驚かされたのは、教室の奥のふだんは空いている席に、かつて権力者のお友達だった人たちが、私たちのように黙って腰をおろしていることだった。拉致被害者家族会の元代表、桜を見る会に招待された反社の人、宛名のない領収書など出さないと言い切ってしまったホテルの支配人、なお、その他、大勢の人たち。そして、この人たちはみんな悲しそうだった。拉致被害者家族会の元代表は「私の政権で拉致問題を解決する」と書かれた7年前のチラシを持って来ていて、ひざの上にひろげ、大きなめがねを、開いた紙の上に置いていた。桜を見る会に招待された反社の人は「反社にも定義くらいある」とつぶやいていた。
私がこんなことにびっくりしている間に、かごいけ先生は教壇に上り、私を迎えたと同じ優しい重味のある声で、私たちに話した。
『みなさん、私が授業をするのはこれが最後です。日本中の小中学校は、一斉休校するようにとの「要請」という名の命令が、官邸から来ました…… 今日はこの学校での、そしてとりわけ日本語の、最後の授業です。どうかよく注意してください』
この言葉は私の気を転倒させた。ああ、ひどい人たちだ。ビルの壁のディスプレイの中でしゃべっていたのは、例の人で、このことだったのだ。
日本語の最後の授業!……
それだのに私はやっと書けるくらい! ではもう習うことはできないのだろうか! このままでいなければならないのか! むだに過ごした時間、自分の気に入らない質問は黙って聞いていられなくてヤジを飛ばすくせに選挙で自分がヤジられると「あんな人たちに負けるわけにはいかない」とムキになる小心者のために動員されて日の丸の小旗を振るために学校をずるけたことを、今となってはどんなにうらめしく思っただろう! さっきまであんなに邪魔で厄介に思われた本、憲法や役所が作る公文書などが、今では別れることのつらい、昔なじみのように思われた。かごいけ先生にしても同様だった。じきに行ってしまう、もう会うこともあるまい、と考えると、罰を受けたことも、定規で打たれたことも、忘れてしまった。
気の毒な人!
彼はこの最後の授業のために晴着を着たのだ。そして、私はなぜかつての権力者のお友達だった人たちが教室のすみに来て座っていたかが今分かった。どうやらこの学校にあまりたびたび来なかったことを悔んでいるらしい。また、それは先生に対して、40年間よく尽くしてくれたことを感謝し、去り行く祖国に対して敬意を表するためでもあった……
こうして私が感慨にふけっている時、私の名前が呼ばれた。私の暗唱の番だった。覚えていないということもあったが、今では素直に口にできない恥ずかしい言葉の羅列に最初からまごついてしまって、立ったまま、悲しい気持で、頭もあげられず、腰掛けの間で身体をゆすぶっていた。かごいけ先生の言葉が聞こえた。
『のりゆき、私は君をしかりません。もうこんな暗唱はしなくていいのです。「安倍首相頑張れ」と忠誠を誓い続けても、官邸から利用価値がなくなれば、簡単に切り捨てられるのです。充分罰せられたはずです……そんなふうにね。私たちは毎日考えます。なーに、暇は充分ある。日本語も、そして政治や社会の仕組みも、明日勉強しようって。そしてそのあげくどうなったかお分かりでしょう…… ああ! いつも勉強を翌日に延ばすのが日本の市民の大きな不幸でした。今あの官邸の人たちにこう言われても仕方がありません。どうしたんだ、君たちは日本人だと言いはっていた。それなのに自分の言葉を話すことも書くこともできないのか!…… 「云々」は「でんでん」と読むと閣議決定された。尊敬する人に対して「ご健康を願ってやみません」という言葉はふさわしくないと閣議決定された。「募る」ことと「募集する」ことは違うことだと閣議決定された…日本語は今では常人には理解できないとても変な規則に支配されている。この点で、のりゆき、君がいちばん悪いというわけではない。私たちはみんな大いに非難されなければならないのです』
『官邸の人たちは、君たちが教育を受けることをあまり望んでいない。わずかの金で企業や経営者に奉仕するように、畑や紡績工場に非正規労働者として働いて疲れ果てることを望んだ。君たちの両親だって、日本語をろくに読めもしない学も品もない政治屋に「日本を取り戻す」なんて言われて、あっさり騙されて投票したんだ。私自身にしたところで、何か非難されることはないだろうか? 勉強をするかわりに、君たちに、たびたび「国難だ」などと言って、机の下に避難する訓練をさせたりしてはこなかったか? そんなことをしていてもアメリカ大統領が北朝鮮の首領と仲良くなれば官邸も気が変わって国難などなかったことになるのに?……のりゆき、でも権力者の不興を買ってしまった私やこの教室の後ろにいる人たちだけではなく、君も気を付けなければならない。さもしい権力者は、自分のスキャンダルから国民の目をそらさせるためには、2年も前のちっぽけな犯罪を理由に人を逮捕させることをも、これっぽっちもためらわないから』
それから、かごいけ先生は、日本語について、つぎからつぎへと話を始めた。日本語は世界中でいちばん美しい、いちばんあいまいな、いちばん柔軟な言葉であることや、ある民族が奴隷となっても、その国語をきちんと保っているかぎりは、その牢獄の鍵を握っているようなものだから、私たちの間で正しい日本語をよく守って、決して忘れてはならないことを話した。それから先生は文法の本を取り上げて、今日の課題のところを読んだ。「云々」は「うんぬん」と読む。尊敬する人には「健康を願ってやみません」と正しく伝える。もし本心では「願っていません」と思っているのでなければ。そして、もちろん、「募る」とは「募集する」ことだ。間違った閣議決定がなされても、日本語は正しく使うべきだ。あまりよく分かるのでびっくりした。先生が言ったことは私には非常にやさしく思われた。私がこれほどよく聞いたことは一度だってなかったし、先生がこれほど辛抱強く説明したこともなかったと思う。行ってしまう前に、きのどくな先生は、知っているだけのことをすっかり教えて、一どきに私たちの頭の中に入れようとしている、とも思われた。
日課が終ると、習字に移った。この日のために、かごいけ先生は新しいお手本を用意しておかれた。それには、みごとな丸い書体で、「本当の国益、本当の日本語、本当の日本の美しい国土」と書いてあった。小さな旗が、机の釘にかかって、教室中に翻っているようだった。外国の軍隊に駐留をお願いしてそのために美しい海を埋め立てたり、外国の大企業に儲けさせるために水道も農業も売り渡すような連中の言う偽物の「美しい国」などではなく、本当に美しい私たちの国土を守りたい。そこに放射能をまき散らした企業を延命させたり、ましてやその従業員を褒め讃えるようなキャンペーンに騙されずに。みんなどんなに一生懸命だったろう! それになんという静けさ! ただ紙の上をペンのきしるのが聞こえるばかりだ。途中で一度カメラを付けたドローンが飛んできたが、だれも気を取られない。小さな子どもまでが、一心に線を引いていた。まるでそれも日本語であるかのように、まじめに、心をこめて…… 学校の屋根の上では、鳩が静かに鳴いていた。私はその声を聞いて、
『今に鳩まで安倍首相頑張れと鳴かなければならないのじゃないかしら?』と思った。
ときどきページから目をあげると、かごいけ先生が教壇にじっとすわって、周囲のものを見つめている。まるで小さな校舎を全部目の中に納めようとしているようだ…… 無理もない! 40年来この同じ場所に、庭を前にして、少しも変らない彼の教室にいたのだった。ただ、腰掛けと机が、使われている間に、こすられ、磨かれただけだ。庭のくるみの木が大きくなり、彼の手植えのプラタナスが、今は窓の葉飾りになって、屋根まで伸びている。かわいそうに、こういうすべてのものと別れるということは、彼にとってはどんなに悲しいことであったろう。そして、荷造りをしている妹が2階を行来する足音を聞くのは、どんなに苦しかったろう! もうここを出て行かねばならないのだ、国策捜査を受けて獄中に囚われてしまうのだ。
それでも彼は勇を鼓して、最後まで授業を続けた。習字の次は歴史の勉強だった。拉致問題に続いて、北方領土問題も、自分で解決すると見得を切った権力者の手により大きく後退して、今や北方領土を我が国固有の領土だと公言することさえできなくなった。それから、小さな生徒たちがこれまで教えられてきた「君が代」を歌おうとするのをかごいけ先生が、もうその歌は歌わなくていいんだと諭した。うしろの、教室の奥では、もう桜を見る会に呼ばれなくなる反社の人がめがねを掛け、初等読本を両手で持って、彼らと一緒に文字を拾い読みしていた。彼も一生懸命なのが分かった。彼の声は感激に震えていた。それを聞くとあまりこっけいで痛ましくて、私たちはみんな、笑いたくなり、泣きたくもなった。ほんとうに、この最後の授業のことは忘れられない……
とつぜん正午の時報が鳴り、続いて下校の放送音楽が響いた。と同時に、学校のまわりを取り囲む警察官らの笛が私たちのいる窓の下で鳴り響いた…… かごいけ先生は青い顔をして教壇に立ちあがった。これほど先生が大きく見えたことはなかった。
『みなさん、』と彼は言った。『みなさん、私は……私は……』
しかし何かが彼の息を詰まらせた。彼は言葉を終ることができなかった。
そこで彼は黒板の方へ向きなおると、白墨を一つ手にとって、ありったけの力でしっかりと、できるだけ大きな字で書いた。
『本当の美しい日本ばんざい!』
そうして、頭を壁に押し当てたまま、そこを動かなかった。そして、手で合図をした。
『もうおしまいだ…… お帰り』
(了)