手術の際の麻酔の重要性と怖さ、麻酔科医の職務などについて、著者の経験を元に説明し論じた本。
麻酔科医は、手術の際に患者に麻酔を施し、麻酔の結果生命維持にまったく無防備となっている患者の状態を監視し特に呼吸と血液循環を維持しつつ、外科医の手術を見守るという役割で、その立場からの経験で書かれた前半が、大変興味深く読めました。
2004年には世界中で約2億3000万人が手術を受け、外科手術全体の3~17%で合併症が発生し、手術の合併症で動けなくなる患者数は世界中で700万人にもなり、手術で亡くなる患者数は100万人にも上る(47~48ページ)。手術自体の危険性も相当程度ある訳です。以前は手術室に入る前に麻酔をしていたが、患者の取り違え事件を契機に手術室に入ってから麻酔をかけるようになった(46~47ページ)。1960年代は数%、1970年代も10%以下だった帝王切開が最近は15%を超えるようになった。その原因は母子の安全をより重視するようになったことにあるが医療事故・訴訟を恐れて増加しているという一面もある(87~88ページ)。最近はナビゲーションシステムを利用して手術が行われるようになっている。手術中にどの場所にメスを入れてどの方向に切り進んでいけばよいかをコンピュータ処理した大がかりな装置が教えてくれる。レーザー光線が道筋を教えてくれるのでそれに従って進めばよい。外科手術の確実性と安全性の向上に技術革新が果たしている役割は計り知れない。それにしても、最近は、徹夜が続こうが、泥まみれになろうが、自分が患者さんを救うのだ、自分が責任を持って患者さんの命を預かっているのだというような責任感や執念があまりに希薄になっているようにも思われる(99~100ページ)。内視鏡手術は切開が少なく出血も少なくて患者の負担が小さく画面を拡大することで細かい手技ができる、画像で情報を共有できるので参加者の知恵を集めやすい、録画により客観的な評価や患者への説明の透明性も確保できるなどいいことづくめに見えるが、腹部の鏡視下手術では腹腔内にガスを注入しておなかを膨らませて手術を行う必要があり、ガスの引火や静脈内への誤注入によるガス塞栓、胸腔内への流入による気胸、徐脈や血圧低下などのリスクはあり、またガス注入のために全身麻酔をかけるので麻酔そのものによるリスクはあり、麻酔科医はカメラの撮影範囲外で何が起こっているかへの注意を怠ってはならない(104~107ページ)などの指摘は頭に入れておきたいところです。
巨大頸部リンパ管腫で呼吸困難な患者の手術を吸入麻酔後気管挿管する計画で実施したところ咽頭部が腫瘍に押されて変形していて気管の入り口が確認できず気管挿管に失敗し気道確保もできず患者が亡くなって、落ち込み、麻酔科医の道を続けるべきか迷った経験を述べる部分(65~68ページ)は、命を扱う仕事の辛さと重圧を実感させます。帝王切開で採りあげた赤ん坊が呼吸せず気管挿入にも失敗した後に呼ばれた件で、すでに呼吸停止が長いことから気管切開しても脳の後遺症は避けられないのではないかと迷った末に気管切開して蘇生した結果、後遺症もなく育ち、20年後に再会した話(68~72ページ)も、この仕事の重さを感じさせます。
後半は次第に哲学的な話になって行き、好みの分かれるところかもしれません。痛みを取ることを重視しすぎて安易に麻薬を処方する傾向に苦言を呈し、ある程度の範囲で痛みと共存することの意義を述べるあたりは、私は共感しました。
外須美夫 春秋社 2013年4月20日発行
麻酔科医は、手術の際に患者に麻酔を施し、麻酔の結果生命維持にまったく無防備となっている患者の状態を監視し特に呼吸と血液循環を維持しつつ、外科医の手術を見守るという役割で、その立場からの経験で書かれた前半が、大変興味深く読めました。
2004年には世界中で約2億3000万人が手術を受け、外科手術全体の3~17%で合併症が発生し、手術の合併症で動けなくなる患者数は世界中で700万人にもなり、手術で亡くなる患者数は100万人にも上る(47~48ページ)。手術自体の危険性も相当程度ある訳です。以前は手術室に入る前に麻酔をしていたが、患者の取り違え事件を契機に手術室に入ってから麻酔をかけるようになった(46~47ページ)。1960年代は数%、1970年代も10%以下だった帝王切開が最近は15%を超えるようになった。その原因は母子の安全をより重視するようになったことにあるが医療事故・訴訟を恐れて増加しているという一面もある(87~88ページ)。最近はナビゲーションシステムを利用して手術が行われるようになっている。手術中にどの場所にメスを入れてどの方向に切り進んでいけばよいかをコンピュータ処理した大がかりな装置が教えてくれる。レーザー光線が道筋を教えてくれるのでそれに従って進めばよい。外科手術の確実性と安全性の向上に技術革新が果たしている役割は計り知れない。それにしても、最近は、徹夜が続こうが、泥まみれになろうが、自分が患者さんを救うのだ、自分が責任を持って患者さんの命を預かっているのだというような責任感や執念があまりに希薄になっているようにも思われる(99~100ページ)。内視鏡手術は切開が少なく出血も少なくて患者の負担が小さく画面を拡大することで細かい手技ができる、画像で情報を共有できるので参加者の知恵を集めやすい、録画により客観的な評価や患者への説明の透明性も確保できるなどいいことづくめに見えるが、腹部の鏡視下手術では腹腔内にガスを注入しておなかを膨らませて手術を行う必要があり、ガスの引火や静脈内への誤注入によるガス塞栓、胸腔内への流入による気胸、徐脈や血圧低下などのリスクはあり、またガス注入のために全身麻酔をかけるので麻酔そのものによるリスクはあり、麻酔科医はカメラの撮影範囲外で何が起こっているかへの注意を怠ってはならない(104~107ページ)などの指摘は頭に入れておきたいところです。
巨大頸部リンパ管腫で呼吸困難な患者の手術を吸入麻酔後気管挿管する計画で実施したところ咽頭部が腫瘍に押されて変形していて気管の入り口が確認できず気管挿管に失敗し気道確保もできず患者が亡くなって、落ち込み、麻酔科医の道を続けるべきか迷った経験を述べる部分(65~68ページ)は、命を扱う仕事の辛さと重圧を実感させます。帝王切開で採りあげた赤ん坊が呼吸せず気管挿入にも失敗した後に呼ばれた件で、すでに呼吸停止が長いことから気管切開しても脳の後遺症は避けられないのではないかと迷った末に気管切開して蘇生した結果、後遺症もなく育ち、20年後に再会した話(68~72ページ)も、この仕事の重さを感じさせます。
後半は次第に哲学的な話になって行き、好みの分かれるところかもしれません。痛みを取ることを重視しすぎて安易に麻薬を処方する傾向に苦言を呈し、ある程度の範囲で痛みと共存することの意義を述べるあたりは、私は共感しました。
外須美夫 春秋社 2013年4月20日発行