弁護士経験30年以上の匿名弁護士が弁護士業務と弁護士業界の実態について説明し、「失敗しない弁護士選び」と題して弁護過誤について著者の思うところを述べた本。
「経済的には弁護士の収入の多くが、社会的強者や『勝ち組』からの収入であって、弁護士の業界を経済的に支えているのは、社会的強者や『勝ち組』である。社会的弱者や『負け組』の代理人になる弁護士の仕事は収入につながりにくく、それらだけでは法律事務所を維持することが難しい。」(36ページ)というのはそのとおりです。私は「庶民の弁護士」を名乗り、基本的に企業・事業者からの事件依頼は受けないことにしています(ただし、法テラス事件を除いて、庶民だから弁護士費用を特別に安くするということはしません)が、そういう弁護士はほとんどおらず、現に事務所経営は苦しいです。この議論は、ふつう、それでも自分はもっぱら社会的弱者のために頑張るという方向ではなくて、従来は別の事件で稼いでその余力で社会的弱者の事件をやっていたのに、マスコミと経済界が主導した「司法改革」で弁護士が増えてその余力がなくなったという方向で議論されます。
弁護士は裁判が終わればその事件には無関係となるからやってられるのだし、依頼者と同じレベルで悩んでいたら神経が持たない(37~38ページ)というのもそのとおりで、弁護士が依頼を受けるのは事件についての裁判や交渉で、その人の人生を引き受けることはできません。ときどき自分への同調や共感を求める(重視する)依頼者がいますが、依頼者と同じ感情を持ったら事件を見誤ります(第三者として冷静に見て見通しをつけるのが弁護士の仕事であり能力です)し、つきあいきれない(実際、そういうことを求める人ほどとても共感できない事件であることが少なくない)ので、私はお断りしています。
このようにほぼ同じ経験年数の弁護士として、納得できる内容も多々ありますが、他方でこの著者の書きぶりには違和感を持つ部分が多くあります。弁護士が他人事として受けるからやっていられるという上記の記載を「弁護士の無責任」と題したり、「失敗しない弁護士選び」と題して書かれている弁護過誤の多くの部分が現実に弁護過誤というには無理があったり少なくとも弁護士に責任追及しても認められる可能性がないものと思われるのに、弁護士に対して何らかの不満を持つ者が読めば自分も弁護過誤の被害者に違いないと誤解するような書き方がなされています(少なくとも弁護士の目からはそのように見えます)。著者が匿名にしているのは、弁護士業界の内情を暴露したから弁護士業界で村八分になりかねないからではなく、この本を読んで自分も弁護過誤の被害者だと言ってくる相談者の相談や依頼を自分は受けたくないからではないかと思います。こういうミスリーディングな本をあえて書く以上は、それを読んで被害者感情を募らせた読者への応答も自分の責任ですべきではないかと思います。それを逃げるために匿名で書くのは、無責任だと、私は思います。
30年以上の弁護士経験があるという著者の記述で、弁護過誤関係以外の日常業務に関しても、いくつか弁護士としては違和感があります。前半では弁護士にとって金にならない事件として労働事件が挙げられていますが(後半ではその列挙の中から労働事件が省かれていますが)、労働事件は、私が(多数)経験するところでは、とても労力がかかる事件ではありますが、勝訴した場合に報酬が取れない/少ないと分類する事件ではないですし、労働者側で勝訴する割合が低い事件でもありません。「弁護士は書面の量が多い方が依頼者から報酬をもらいやすい」(87ページ)、「弁護士が作文に費やす時間が多ければ多いほど、それは弁護士費用の額に反映し、弁護士に依頼する市民の経済的負担が大きくなる」(91ページ)というのですが、会社側の弁護士はタイムチャージ(1時間いくら)のことが多く、書面を厚くすれば報酬が増えるし、私の経験上会社側の弁護士がムダに分厚い書面を出してくることに辟易していますが、一般市民の依頼で受任する弁護士は最初に決めた着手金と結果に応じた報酬金をもらう契約がふつうですから、書面をどれだけ分厚くしても弁護士費用は増えません。この著者は、自分は町弁だという装いをしていますが実は会社側の代理が中心なのか、それとも一般市民からもタイムチャージで報酬を取っているのでしょうか。とても不思議です。逆に、国や自治体は基本的に争うから弁護士においしい仕事を提供してくれる(76ページ)というのですが、私が(敵方の弁護士からですが)聞く限りでは行政の出す弁護士費用はとてもけちくさいようなんですけど。さらに交通事故の加害者側からの依頼は「金にならない」から(被害者向けに派手な広告をしている)弁護士が広告をしない(166ページ)というのですが、交通事故の加害者側は保険会社が弁護士をつけるので広告する意味がないから広告しないもので、保険会社の依頼は1件単価は低いけど数が多く経営が安定するのでやりたい弁護士が多いがすでに特定の事務所が握りしめていて食い込めないのが実情だというのが弁護士業界にいればふつうの理解だと思います。これらは、ふつうに長年弁護士業務をしていればわかっているはずのことですから、弁護過誤についての書きぶりと合わせて、著者が何かやさぐれて弁護士全体か一部の弁護士に変に怨みを持ったのか、読者に誤解を与えることも意図してかあるいは意図したのでなくても注意を払わずに書かれているように見えます。
また、刑事事件で「上告理由書」の提出を忘れた弁護士の話が紹介されています(190ページ)が、刑事事件で提出するのは「上告趣意書」で、「上告理由書」は民事裁判の用語です。民事裁判で控訴理由書の提出期限について裁判所から連絡は来ないと明記されています(190ページ)が、私の経験上、東京高裁からFAXされてくる期日調整の照会書には、それまでに控訴理由書が提出されている場合以外は必ず、控訴理由書の提出期限は○月○日ですと記載されています。「大都市と田舎の両方で30年以上弁護士をし、さまざまな経験をした」(244ページ)著者のいる/いた地方では高裁はそれを書かないというのでしょうか。控訴理由書の提出を忘れれば重大な弁護過誤であり(221ページ)というのですが、民事裁判の控訴理由書の提出期限については、それに遅れても、上告理由書とは異なり制裁はなく、控訴却下にはなりません。私は期限は厳守していますが、私の経験上(こちらが被控訴人で、相手方が控訴理由書を出すとき)、控訴理由書の提出期限に遅れて出してくる弁護士は少なくありません。どこまで本気で書いているのかわかりませんが、悪いけど、弁護士経験30年以上の弁護士が書いたものとしては雑に過ぎる印象です。
宮田一郎 共栄書房 2021年1月25日発行