伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。今年も目標達成!

もしも、この世に天使が。《白の章》

2009-06-30 22:38:46 | 小説
 6月10日の記事で紹介した「もしも、この世に天使が。《青の章》」の続編にして完結編。
 第1巻の《青の章》でさんざんもったいぶり、危なげな要素を振りまいた挙げ句、第2巻の《白の章》では登場人物が全員いい人・いい子になりきって純情青春ラブストーリーになってお終い。第1巻では主人公の亜央は中2にしてラブホに入り、恋人の真も気が多くてもっとワルふうだったのに。第2巻がこうなるなら、最初から純情路線の方がスッキリすると思います。私は、それならその方が素直に入れたのに。第1巻で毒がありそうに書くからそういう展開を期待した分、第2巻を読んで拍子抜けです。
 まぁ、第1巻の終わりが、いかにも昔の安いメロドラマふうのピンチを作って「続く」だったので作品としてあまり期待してませんでしたし、そういう作品にありがちなようにそのピンチは第2巻になるとサラッと過ぎ去りますし。
 それにしても、作者の公式サイトでも「色をテーマにした章立てで進んでいく予定です。何冊まで、書けるかな~。」とか書いてたのに、第2巻で完結って、何でしょう(それとも、最後に「了」って書いてあっても完結してないとか?第2巻までには別の色の付いた名前の登場人物はいませんから、第3巻を書くとしたら新たに赤とか黄色とかいう登場人物を唐突に出してくるのでしょうか)。そういうことを見ても、最初の構想がかなり変更されたのでしょうね。《白の章》って付けておきながら、第2巻では犬のシロがほとんど登場しません。こういうあたりもいい加減に書いてるなと感じてしまいます。


山田あかね 講談社 2009年6月10日発行
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耳をふさいで夜を走る

2009-06-30 21:59:02 | 小説
 冤罪被害者支援団体のスタッフだった並木直俊が、支援のためにスタッフたちが味方だといい続け心理カウンセラーがさらに促進するプログラムを組むうちに冤罪被害者の娘たちが敵と味方を峻別し敵に対しては徹底的に冷酷に振る舞う殺人機械「アルラウネ(またの名をマンドレイク)」となりうると考え、社会の危機を救うためにその候補者3人を事前に殺害することを決意して、連続殺人を敢行するサスペンス小説。
 並木が考える殺害対象の危険性というのが、単なる心理面の話で、殺人計画の動機があまりにも浅薄で説得力がかけらもないので、最初から躓きます。観念だけで何の躊躇もなく人を殺すというのが、「アルラウネ」の危険性だというなら、その可能性だけで何もしていない知人を、それもただ一緒にいた仲間も巻き添えにしながら、躊躇なく殺していく並木こそが、殺人機械そのもの。さすがに最後になってそれを指摘されてショックを受けますが、そんなの並木の言う危険性が説明された時点で当然に感じることだと思うのですが。
 ミステリーとしても、連載時点ではこれでいいんでしょうけど、単行本として読むとき、目次を眺めるだけで結末が読めてしまうのは、ちょっとお粗末。まぁ、最初から犯人が語っているから謎解きとかはもともとない訳ではありますが。
 それにしても、冤罪被害者の家族と冤罪被害者支援団体に対して、よくもまぁこれだけ敵意と偏見を持てるものだとあきれました。作者は悪意はないって聞かれたら言うんでしょうけど、ただでも虐げられている人たちを、歪めて小説化してさらにいじめるというやり方には、作者の姿勢に強い疑問を感じます。


石持浅海 徳間書店 2008年6月30日発行
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フェイク・ゲーム

2009-06-28 22:37:57 | 小説
 暴力団組長戸梶の片腕として六本木でのビジネスを仕切って名を上げ、中国人マフィアのボス黄にトレードされて歌舞伎町のビジネスを仕切る高岡麗美/リーメイと、自分によく似た日本人の運転免許証を手がかりに日本人西山律子になりすませたことから、リーメイの仕切る日本語学校の学生に日本人としての名前と身分証明書を手配するビジネスを始め、日中のヤクザ組織から追われることになるシャメイの2人の女性の生き様を描いた小説。
 他人の資本を使って本来のヤクザよりも太く短く生きることを決意する麗美の決断力が清々しく思えますが、後半では所詮それが他人の力という最初からわかっていることで憔悴する様が残念。どうせなら麗美には、戸梶や黄にも一泡吹かせるくらいの剛胆さを見せて欲しかったと思います。
 他方、シャメイは生活力としたたかさを見せつつも、語りがシャメイを慕うバイト先の元同僚翔太の視点からのため、今ひとつその考えが見えにくい。翔太を舞台回しにして、そちらから見たシャメイを動かすよりも、権力を振るう麗美/リーメイと底辺からはい上がろうとするシャメイをストレートに対比・対立させた方がスッキリ仕上がったんじゃないでしょうか。もっとも、ラストを見ると、前半の謎に満ちしたたかで魅力的なシャメイが翔太よりもか弱い女に成り下がっている感じもしますから、作者としてはそこまでのキャラじゃないということかも知れませんが。


阿川大樹 徳間書店 2009年5月31日発行
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ヴァンパイレーツ 1~3

2009-06-26 21:08:54 | 物語・ファンタジー・SF
 リリーと海賊の身代金に続いて、ローティーンの少年と少女が主人公の海賊ものを読みました。
 とりあえず既刊の3巻をまとめて読んだのですが、どうも1巻と2巻が原書の第1巻を日本語版では分けて出版し、3巻と4巻が原書の2巻のようですね。4巻は8月に出るようですが、3巻までではいかにも中途半端。それに3巻まででは舞台をドンドン拡げている最中ですから、まだ当分続きそう。1年くらい様子を見てからまとめ読みした方がよさそう。
 お話は、寒村の灯台守の子として生まれた双子の14歳の少年コナーと少女グレースが父の死後財産を奪われてヨットで航海して遭難し、コナーは海賊船ディアブロ号に救われて海賊としての生活に馴染み、グレースは父がいつも口ずさんでいた船歌の吸血鬼の海賊船ヴァンパイレーツに救われ船長と士官候補生ローカンに守られながら不満と好奇心を剥き出しにして船内を嗅ぎまわり危機に会いつつなんとか助けられる日々を過ごし、ついに再会を果たすまでが日本語版1巻・2巻。
 日本語版3巻ではディアブロ号の昔気質の豪快なレイス船長が、他の海賊の恨みを買って絶体絶命の危機に陥りコナーの友人となった有望な戦士ジェズを無駄死にさせることとなり、グレースはレイス船長に不信感を持ってコナーをディアブロ号から引き離そうと画策し、他方グレースが離船した後のヴァンパイレーツでは船長とローカンが危機に陥り、さらにグレースを襲ってヴァンパイレーツから追放されたシドリオ海尉は復讐を誓って次々と人を襲い吸血鬼仲間を増やそうとし・・・という展開。
 日本語版1巻・2巻(原書1巻)で一応の収束を見せる兄妹物語が、日本語版3巻では海賊の中の昔気質の船長と近代的な海賊(海賊連盟・海賊アカデミーって・・・)の対立、ヴァンパイレーツでの人間(ドナー)を尊重する秩序を守る船長・ローカンと吸血の欲望に従う造反派の対立をつくり、物語の展開・継続を志向しています。日本語版3巻までではタイトルのヴァンパイレーツはむしろサブで、ディアブロ号の方がメインの展開ですから、そういう意味でも作者としてはまだこれからなのでしょう。
 時代設定は何と2505年。少なくともディアブロ号では、海賊の構成は男女半々で女性の戦士が登場、船長補佐も一番の剣の使い手も女性です。特に剣の使い手で作戦リーダーのケイトはキャラとしても爽やかです。むしろ主人公の1人で「知的な少女」とされるグレースが、ヴァンパイレーツで自分を守るために努力している人の言うことも聞かず勝手な行動をし続け、物語の世界では誰がみても愚かなふるまいを続け、あまり好きになれないキャラです。
 先行きがどうなるのか見えませんが、間隔が開いて出るのを待って読み続けるほどではないように思えます。


ジャスティン・ソンパー 訳:海後礼子
岩崎書店 

日本語版1巻 死の海賊船
日本語版2巻 運命の夜明け
2009年2月20日発行 (原書は2005年)
原題:VAMPIRATES:DEMONS OF THE OCEAN

日本語版3巻 うごめく野望
2009年5月29日発行 (原書は2006年)
原題:VAMPIRATES:TIDE OF TERROR   
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リリーと海賊の身代金 魔法の宝石に選ばれた少女 上下

2009-06-26 20:09:10 | 物語・ファンタジー・SF
 地球温暖化と砂漠化が進み「崩壊」の後イングランドの大部分が海没した22世紀のイギリスで、イングランドの「残された10州」の領民は横暴な首相に虐げられ支配され、襲撃を繰り返す海賊「リーヴァーズ」に脅えて暮らしていました。イングランドとリーヴァースの対立の影には前世紀の機械類を入手することに血眼になるスコットランドの策略があったのです。漁村で隠遁していた首相の娘レクシーがリーヴァースにさらわれ、激怒した首相が漁師たちを徴兵してリーヴァース討伐に向かわせたことから、戦争をやめさせて恋人アンディを救うために、漁師の娘リリーが、首相の義弟が隠し持っていた宝石を身代金として、少年を装って単身海賊の元に交渉に向かいます。そこに海賊のボスの息子ゼフが、ある場面では友情を、ある場面では憎しみを持って絡み合い、リリーが持ち出した「宝石」が実は高性能人工知能だったことからそれを必死で探すスコットランドも介入し、リリーとレクシーの運命やいかに・・・というお話です。う~ん、説明が長い。
 13歳の少女にして着実な航海術と勇気(無鉄砲というべきか)を持つリリーというキャラには好感を持てます。物語はリリーの視点とゼフの視点で交互に語られ、同じ13歳のゼフがもう一人の主人公なのですが、こちらは、海賊を誇りに思うマッチョな心情の少年ですが、リリーを救ったり敵対したりその心情は定まらず情緒不安定。それが物語の展開を読めなくして面白くしているともいえますが、語り手の一人が人物として見えにくいので、ちょっと入りにくい感じが残りました。そして、リリーの拷問シーンが、ちょっとやり過ぎ感があり、リリーの視点で読むのにも辛さがあります。
 街や海は男の世界で、女性は外に出ないことが当然とされ、リーヴァースの中で発言するアイリーンは、奴隷出身のくせにとゼフに軽蔑されています。その中で男装して旅をするリリー(リロと名乗りますが)の姿は、まるで「リボンの騎士」。過去の時代ならともかく、あえて未来にこういう男尊女卑社会を設定する作者の意図はどこにあるのでしょう。「風の谷のナウシカ」のように核戦争後に文明の利器を失っても、人々が助け合い少女がより伸びやかに生きられる社会を設定してもよかったと思うのですが。


原題:REAVER’S RANSOM
エミリー・ダイアモンド 訳:上川典子
ゴマブックス 2009年2月10日 (原書は2008年)
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ポケットの中のレワニワ 上下

2009-06-18 21:17:35 | 小説
 電源メーカーのコールセンターに勤務する派遣社員の安賀多くんが、職場の統括主任で小学3年生の時の同級生のベトナム系ハーフの町村さん(ティアン)と職場の野球チームの応援で小学生時代を過ごした団地に赴いたところから、団地に住むベトナム系住民との関わりでティアンの態度・生活が変化したことに戸惑い振り回されながらティアンを追いかける恋愛小説。
 安賀多君の母親の再婚相手の息子の「コヒビト」のオタクぶりと、ベトナムの伝説の架空生物とされる(本当にそういう伝説があるのかわかりませんけど)トカゲとカエルの間のような「レワニワ」が語りかけ、あまつさえメールを打つという荒唐無稽さと、安賀多君やベトナム系住民たちの暗さ・やるせなさが、純文学っぽく、作品を重苦しくしています。文章はそんなに重たくないんですが。
 あくまでも安賀多君の視点での語りで、ティアンの変化と自分探しの失踪・放浪の謎は、結局は説明されません。ティアンの人物像も、混乱して何だかわからない人物っぽくなってしまいますし。安賀多君の愛人「あみー」の件もそうだし、わかんなくても別にいいじゃん、みたいな突き放し方。人生としては、それでいいというか、そういうものですが、小説はもう少し納得させて欲しい。


井伊直行 講談社 2009年5月20日発行
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余命1ヵ月の花嫁

2009-06-17 20:44:11 | ノンフィクション
 23歳となったばかりの時乳癌にかかっていることがわかり、乳房切除手術をしたが癌が転移し、24歳6ヶ月で亡くなった女性と父親、恋人、友人たちの日々を描いたノンフィクション。
 2007年5月に報道番組の特集として、2007年7月にはドキュメンタリー番組として放映され、2009年には映画化されました。その番組取材者によるノンフィクションです。
 本人の前向きな姿勢と、周囲の思いやりが胸を打ちます。タイトルとなっている、余命1ヶ月の宣告(本人には告知せず)の後の結婚式のくだりは、女の夢はウェディングドレスというパターン化に反発を感じる私も素直に感動してしまいます(こういうの、弱いんです)。癌になって、「ごめんね」という言葉には、様々な意味で涙ぐんでしまいますし、「みなさんに明日がくることは奇跡です。それを知ってるだけで、日常は幸せなことだらけで溢れています。」(152ページ)という言葉はあまりに重い。
 手術後半年で転移・再発、再発入院後1ヶ月足らずでの余命1ヶ月の宣告という若年発病の癌の進行の速さ、そして本人が話を聞きたくないと言ったとはいえ、癌を原則として患者に告知する方針の国立がんセンターでさえ、告知できなかった(91~92ページ)という話も、いろいろと考えさせられます。


TBS「イブニング・ファイブ」編 マガジンハウス 2007年12月13日発行
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環状島 トラウマの地政学

2009-06-16 00:02:39 | 人文・社会科学系
 被害者と支援者、傍観者等の位置づけ、被害・トラウマを語ることの可能性と語る者の位置を、臨床精神医のあるいはマイノリティ研究者の観点から、「環状島」のモデルを用いて概念整理し、被害者と運動・支援者、研究者の関係と可能性を模索した本。
 専門書でありながら、概念を可視化するためのモデル化という目的にあわせて、また被害者・支援者への共感にあふれているためか、とても読みやすい。研究者の位置づけや「知」=学問の役割を語る終盤は論文っぽくなり、これが最初に置かれていたら挫折しそうな文章ですが、著者の見解と提示する概念のアウトラインがすでにわかりやすく提示された後ですから、それほど苦労せずに読み切れました。最初からこういう構成を意図して書いたとしたら、かなり巧みな読ませ方といえるでしょう。
 著者の提示する「環状島」モデルは、世間で誤解されがちな、被害が重い者ほど被害を訴える力と訴える資格があるという(著者の例えでは円錐島)モデルには、現実性がなく、最も重い被害を受けた者は死亡したり精神的に壊れたり恐怖に震えて語ることさえできず環状島の内海の水面下に沈んで世間からは見えない存在となっていること、被害を語ることができる被害者は内海の水際から上がれた内斜面にいる相対的には被害の軽い(しかし絶対的には被害が軽いとはいえない)被害者であり、支援者は尾根の外側の外斜面に位置するというものです。
 被害者は常に内斜面で内海に引きずり込まれる重力に晒され、支援者は外斜面で被害者と関わり続けることの辛さから外界の傍観者へと落ち込む重力に晒されている、被害者と支援者は尾根を挟んで反対側にいて被害者にとって支援者は仲間(というより同類)ではない味方という位置づけという著者のモデルは、被害者と運動の関係を考える上でわかりやすく効果的なものだと思います。
 (最も)重い被害者しか語る資格がないとか、被害者でない(被害者のことを十分にわかっていない)支援者には語る資格がないとか、いつでも問題から逃げることができる支援者には語る資格がないなどの問いかけ/決めつけは、被害を語る者を消滅させ支援者を傍観者に変え、加害者を利するだけと、著者は説いています。
 味方ではあるが仲間(同類)ではない、支援者ではあるが当事者ではないという、支援者の位置は十分に理解されておらず、そこから被害者も支援者も傷つくことが多いという指摘は、貴重なものです。
 そして、問題の建て方次第で被害・トラウマの環状島は複数同時にありそれぞれの人が同時に複数の立場(ある問題では被害者・当事者であり、ある問題では支援者であり、ある問題では傍観者さらには加害者でもある)を持ちうること、被害者同士や被害者と支援者の間で全面的な同一化は元来困難で「でもこの点については譲れないよね」という共通点で部分的同一化をすればいい、被害者の象徴的代表となった者でもいつまでもそこにいなくていいなど、多くの側面を持つ人間という存在をそのままに認めて(潰れてしまうような)無理をしないでしなやかに連帯していきましょうというような著者の指摘は、被害者と運動・支援者への実務的で優しい視線を感じさせます。
 フィールドに入った研究者が「状況の悲惨さがくっきりと見え、あなたは声が出なくなる。内部事情に詳しくなればなるほど、事態は込み入りすぎて簡単なことは言えないと思う。声を挙げるより、まずは疲れ切った人たちを介抱するのが先だと、支援に徹する。あるいは声を挙げても事態は変わらないのだと諦めかける。今まで自分はあまりに単純に理解し語りすぎていたと感じ、自分が書いた本を抹殺したくなる。」(175ページ)とか、このあたりの研究者をめぐる話、涙ぐましい。
 差別をなくす責任を一手に引き受ける「理想の原告」を求めることの無理という指摘(105ページ)は、弁護士としては忸怩たる思いを持ちますが。


宮地尚子 みすず書房 2007年12月19日発行
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朗読者

2009-06-14 17:54:45 | 小説
 第2次大戦中強制収容所の看守だったハンナの行為とその後の人生を、15歳の時それと知らずに深い関係になり溺れたがハンナに去られて傷心して法学部に入りそのゼミでハンナの裁判を見守ることになったミヒャエル・ベルクの視点から描いた小説。2008年に映画化され、ケイト・ウィンスレットがオスカーを手にすることになった「愛を読むひと」の原作です。
 表面的には、ハンナの行為、特に裁判で問題となった移動中のユダヤ人たちを収容中の教会が爆撃により火事となったときに鍵を開けずにユダヤ人たちが焼死するに任せたことを、どう捉え、どう裁くか、加害者であるハンナは、そしてハンナを見守るミヒャエルはそれとどう向き合うかがテーマとなっているように見えます。ドイツで強制収容所の看守、その裁判を扱う以上、そのような位置づけがなされることとなるでしょう。
 しかし、字が読めないことを恥じ、それを知られぬために昇進の話が出る度に職を変わり結局はナチの看守に応募して戦犯となるハメになった挙げ句、裁判でもそれを隠すために真実に反してより重い責任を背負い込むハンナの人生のありよう、ハンナの煩悶と希望、努力、そして失望が、作品のより大きなテーマとなっています。
 そして、15歳にして、21歳年上の女性との性生活に溺れ、いきなり肉体関係から入った女性との関係とハンナの失踪によるその突然の終了への傷心の経験がミヒャエルに及ぼした影響と、ミヒャエルのその後のハンナを含む女性との人間関係の間合いの取り方が、たぶんさらに大きなテーマとなっていると思います。恋人とも、そして妻とも幸せな関係を築きそこねたミヒャエルが、しかし、ハンナとの関係においても、15歳の幸せな想い出の世界を壊したくないのか、実は強制収容所の看守として罪を犯していたことを許せないのか、面会をすることもなく、ハンナが努力して字が書けるようになっても手紙を書くこともなく、ただ文学作品を朗読したテープを送り続けるという一種の先送り/逃げの姿勢にとどめることを、どう評価するか。そのあたりこそがこの作品の小説としての読みどころのように思えます。その意味で、戦争犯罪を扱った小説というよりも、人間関係のありようを考えさせる小説と、私は読みました。
 仕事がら、そのテーマとは別に、ハンナの裁判で、ハンナの思い、法廷での言動、それが真実に反して重い責任の認定に至った経緯、弁護人がハンナが字が読めないことやそれを恥じてそれを知られぬために嘘を言っていることに気がついていない様子を見るにつけ、被告人と弁護人の意思疎通を欠く裁判の恐ろしさと、刑事弁護の難しさと重さを改めて感じます。


原題:Der Vorleser
ベルンハルト・シュリンク 訳:松永美穂
新潮文庫 2003年6月1日発行 (単行本は2000年、原書は1995年)
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ジンクス 恋の呪い

2009-06-13 21:48:21 | 物語・ファンタジー・SF
 自分がかけた魔法が効き過ぎて不幸になった過去を引きずり自分が魔女であることを否定し魔力を恐れるようになった高校2年生のジンクスことジーン・ハニーチャーチが、過去から逃げるためにニューヨークの叔母の元に引っ越して、魔女に憧れ自分が魔女だと信じるいとこのトランスことトーリーとの愛憎や、隣のハンサムボーイザックとの恋愛をめぐって展開する青春恋愛小説。
 いとこのトーリーとその取り巻きがドラッグや「特典サービス」に耽り、叔母の家にホームステイしている留学生のペトラも恋人と充実した性生活を送るのに比べて、ジンクスの純情ぶりというかブリッコぶりが目につきます。ザックの気持ちへの鈍感さ加減といったら白々しすぎ。純情で不器用で内気な少女の主人公って路線が、アメリカでも若い女性読者に受けるんでしょうか。
 形としては、自分の力を否定し恐れていたジンクスが自分を肯定し信じることで幸せをつかんだというラストにしているのですが、どう読んでもジンクスが自立し強くなったって感じがしません。ラストは結局ザックに救ってもらいザックに勇気づけてもらいって、すべてザック(男)頼りに思えます。言葉として、自分を信じ肯定することが大事というなら、展開として主人公の行動としてもっとはっきりジンクスの成長の跡を見せて欲しい。もう少しそちらに踏み出すだけで印象がけっこう変わると思うのですが。それは、メグ・キャボットの路線とは合わないのでしょうか。


原題:JINX
メグ・キャボット 訳:代田亜香子
理論社 2009年3月発行 (原書は2007年)
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