2009年にイタリアの大学で行われた日本の少女漫画史についての講義とその際の質疑応答及びインタビューとその後に行われた創作の技法やスタイル等についてのインタビュー、2010年代の自作についてのインタビューを取りまとめた本。
少女漫画史では、70年代でBLを語る場面で竹宮恵子が出てこないというのにちょっとどうしてかなという気がしました。リボンの騎士から大奥へのフェミニズムの形を論じるなら、例えばセーラームーンはどう位置づけられるのだろうとかも読んでみたかったように思えます。質疑でイタリアの女性が「少女マンガは私たちに、強い女性像を示してくれました。たとえば男装しながらも戦っていく、あるいは自分の夢を追求していくことを教えられた。日本の少女マンガこそが、そういう考え方を私たちに教えてくれた」(116ページ)というのですし。
「マンガの世界と、アニメーションの世界ではシステムがまったく違います。一言でいえばマンガのほうがずっと自由で、縛られていません。上下関係もないので、デビューしたら、誰かに挨拶に行かなくてはいけない、といったこともないですし、誰かを批判したら潰されるということもありません(笑)」(139ページ)って…アニメの世界でよほど嫌なことがあったのでしょうね。
作品の枚数について、最後に台詞を集中させている作品で最後にあの配分で見せるには、前のページが13、4枚くらいがちょうどいいとか、ヒントを与えられないで見ていくのは15枚くらいが限界だと思う(170~171ページ)と語っています。やはり、プロの感覚というのがあるのでしょうね。裁判所に出す準備書面も…やはり中身と対応してではありますが、適切な枚数というのがあると思いますしね。
萩尾望都、聞き手・構成矢内裕子 新潮文庫 2021年7月1日発行(単行本は2018年3月)
少女漫画史では、70年代でBLを語る場面で竹宮恵子が出てこないというのにちょっとどうしてかなという気がしました。リボンの騎士から大奥へのフェミニズムの形を論じるなら、例えばセーラームーンはどう位置づけられるのだろうとかも読んでみたかったように思えます。質疑でイタリアの女性が「少女マンガは私たちに、強い女性像を示してくれました。たとえば男装しながらも戦っていく、あるいは自分の夢を追求していくことを教えられた。日本の少女マンガこそが、そういう考え方を私たちに教えてくれた」(116ページ)というのですし。
「マンガの世界と、アニメーションの世界ではシステムがまったく違います。一言でいえばマンガのほうがずっと自由で、縛られていません。上下関係もないので、デビューしたら、誰かに挨拶に行かなくてはいけない、といったこともないですし、誰かを批判したら潰されるということもありません(笑)」(139ページ)って…アニメの世界でよほど嫌なことがあったのでしょうね。
作品の枚数について、最後に台詞を集中させている作品で最後にあの配分で見せるには、前のページが13、4枚くらいがちょうどいいとか、ヒントを与えられないで見ていくのは15枚くらいが限界だと思う(170~171ページ)と語っています。やはり、プロの感覚というのがあるのでしょうね。裁判所に出す準備書面も…やはり中身と対応してではありますが、適切な枚数というのがあると思いますしね。
萩尾望都、聞き手・構成矢内裕子 新潮文庫 2021年7月1日発行(単行本は2018年3月)