昆虫の生態で進化論(自然淘汰、性淘汰)からするとあまり合理的でないと思えるものについて、進化論の立場からどこまで説明できるかを論じた本。
クリサキテントウが松ノ木につくマツオオアブラムシを捕食していることについて、マツオオアブラムシはアブラムシにしては動きが速く捕食しにくい上に栄養価も他のアブラムシと比較して高くなくコロニーが小さく、他方クリサキテントウの幼虫とナミテントウの幼虫を競合させて他のふつうのアブラムシを補食させてもクリサキテントウが十分生き残れる(餌の取り合いでナミテントウに負けるわけではない)から、ふつうに考えて、説明ができないところ、著者の実験で、クリサキテントウはナミテントウが多数派の場合、クリサキテントウの雌がクリサキテントウの雄と交尾できる可能性が相当低くなる(ナミテントウの雄がクリサキテントウの雌と交尾して圧倒してしまう:その場合子は生まれない/雑種も生まれない)ことがわかり(127~131ページ)、他のアブラムシを補食するクリサキテントウは共存することになるナミテントウの雄に圧倒されて子孫を残せず淘汰されてしまうため、幼虫の餌/生き残りの観点からは不利であってもナミテントウと競合しないマツオオアブラムシを捕食すると考えられるのだそうです。大変興味深い議論です。クリサキテントウとナミテントウが共存する場合に、なぜナミテントウの雌は同種の雄と交尾できてクリサキテントウの雌は同種の雄と交尾できなくなるのかはまだ詳しく解明されていない(135ページ)そうですが。
進化論の議論をするとき、まるで個々の生物個体が、あるいは種全体が、一定の戦略を/目的を持っているような解説がなされがちです。この本でもクリサキテントウが松の木に固執しているなどの表現が度々とられていますが、進化論の議論を正しく説明するのであれば、松の木以外で産卵するクリサキテントウはナミテントウと競合する結果子孫を残せず、松の木に産卵するクリサキテントウが子孫を残せる結果として、松の木に産卵するクリサキテントウが多数派になっているというべきでしょう。
クジャクの羽の長さや派手な模様は個体の生き残りには不利ですが、雄の生存能力(の余裕)を示すものとして雌に好かれて交尾の相手として選択され、その結果羽が長く模様が派手な雄が子孫を残せる(性淘汰)ためにそのような雄が多くなると説明されています(159~173ページ)。その説明、雄の側については理解できるのですが、雌のそういった雄を好む/選択する傾向というのは遺伝するのでしょうか(あるいは個体の遺伝を考えるまでもなくすべての雌がそういう選択をするということでしょうか)。羽の長さや模様のような体の特徴は当然遺伝するでしょうけど、好みといった言わば思考・思想にも連なる主観的要素が遺伝子の中に組み込まれているとすると、ちょっと哀しい/やりきれないものがあるので、そこはこだわるのですが。
生物において無性生殖(雌が雌だけで言わばクローンを生み続ける)と有性生殖の優劣については、進化論的な考慮からは有性生殖が有利とは言い切れないにもかかわらず、現実には有性生殖によっている種が圧倒的なのは、雄が存在する限り、雄は雌と交尾しようとする(これは、本能でしょうね。そこは、わかる (*^_^*))ため、有性生殖が(メリットがなかろうが)不可避的に行われてしまい、その結果一定の割合でまた雄が生まれてくるので有性生殖が維持されるという説があり著者はそれが説得力があるとしています(194~204ページ)。う~ん。
鈴木紀之 中公新書 2017年5月25日発行
クリサキテントウが松ノ木につくマツオオアブラムシを捕食していることについて、マツオオアブラムシはアブラムシにしては動きが速く捕食しにくい上に栄養価も他のアブラムシと比較して高くなくコロニーが小さく、他方クリサキテントウの幼虫とナミテントウの幼虫を競合させて他のふつうのアブラムシを補食させてもクリサキテントウが十分生き残れる(餌の取り合いでナミテントウに負けるわけではない)から、ふつうに考えて、説明ができないところ、著者の実験で、クリサキテントウはナミテントウが多数派の場合、クリサキテントウの雌がクリサキテントウの雄と交尾できる可能性が相当低くなる(ナミテントウの雄がクリサキテントウの雌と交尾して圧倒してしまう:その場合子は生まれない/雑種も生まれない)ことがわかり(127~131ページ)、他のアブラムシを補食するクリサキテントウは共存することになるナミテントウの雄に圧倒されて子孫を残せず淘汰されてしまうため、幼虫の餌/生き残りの観点からは不利であってもナミテントウと競合しないマツオオアブラムシを捕食すると考えられるのだそうです。大変興味深い議論です。クリサキテントウとナミテントウが共存する場合に、なぜナミテントウの雌は同種の雄と交尾できてクリサキテントウの雌は同種の雄と交尾できなくなるのかはまだ詳しく解明されていない(135ページ)そうですが。
進化論の議論をするとき、まるで個々の生物個体が、あるいは種全体が、一定の戦略を/目的を持っているような解説がなされがちです。この本でもクリサキテントウが松の木に固執しているなどの表現が度々とられていますが、進化論の議論を正しく説明するのであれば、松の木以外で産卵するクリサキテントウはナミテントウと競合する結果子孫を残せず、松の木に産卵するクリサキテントウが子孫を残せる結果として、松の木に産卵するクリサキテントウが多数派になっているというべきでしょう。
クジャクの羽の長さや派手な模様は個体の生き残りには不利ですが、雄の生存能力(の余裕)を示すものとして雌に好かれて交尾の相手として選択され、その結果羽が長く模様が派手な雄が子孫を残せる(性淘汰)ためにそのような雄が多くなると説明されています(159~173ページ)。その説明、雄の側については理解できるのですが、雌のそういった雄を好む/選択する傾向というのは遺伝するのでしょうか(あるいは個体の遺伝を考えるまでもなくすべての雌がそういう選択をするということでしょうか)。羽の長さや模様のような体の特徴は当然遺伝するでしょうけど、好みといった言わば思考・思想にも連なる主観的要素が遺伝子の中に組み込まれているとすると、ちょっと哀しい/やりきれないものがあるので、そこはこだわるのですが。
生物において無性生殖(雌が雌だけで言わばクローンを生み続ける)と有性生殖の優劣については、進化論的な考慮からは有性生殖が有利とは言い切れないにもかかわらず、現実には有性生殖によっている種が圧倒的なのは、雄が存在する限り、雄は雌と交尾しようとする(これは、本能でしょうね。そこは、わかる (*^_^*))ため、有性生殖が(メリットがなかろうが)不可避的に行われてしまい、その結果一定の割合でまた雄が生まれてくるので有性生殖が維持されるという説があり著者はそれが説得力があるとしています(194~204ページ)。う~ん。
鈴木紀之 中公新書 2017年5月25日発行