労働法によって非正規労働者の保護を強めて正社員に近づけることは今後期待できずまた望ましくないという著者の主張に基づき、若者に対して、独立した自営業者に近いプロの労働者になること、そのためには経営者が望むようなスキル・専門性を身につけることを薦める本。
現在の日本社会の状況から見て、労働者の保護の向上が期待できない中、学生が処世術として自立した働き手となれるよう訓示を垂れるという姿勢で見れば、大学生を教える側として現実的な選択と見ることはできます。
しかし、著者は労働法学者であり、この本では労働法の現状とあり方についても論じていることを考えると、この議論は極めて無責任であり、また悪辣なものです。
著者は、正社員は労働法で保護されすぎているとして、政府は解雇制限ルールを見直すべきだとか(70ページ)、ホワイトカラー・エグゼンプション(ホワイトカラー=事務系労働者の残業代をゼロにする制度)を導入すべきだとか(211ページ)、もっぱら経営者団体・自民党とりわけ安倍政権が求める労働規制の緩和と称する労働者保護削減政策に積極的な賛意を示しています。この本では、ところどころ経営者側のやり方を非難するかのように見える記述もありますが例えばブラック企業についても「個人と企業の相性という面もある」(90ページ)などとあいまいにしブラック企業名の公表などには反対しています(89ページ)。この本では企業のわがままに対する規制をすべきという提案は全くなく、規制に対して企業はこういう対応をするから労働者にとってかえってよくないとか企業の対応に応じて労働者側が企業ニーズを先取りしてこう変わるべきという類のことばかり述べています。企業には自由を、労働者はその企業のニーズに応えよと言っているように私には聞こえます。最も悪辣なのは、解雇制限ルールの見直しなどの議論で、非正規労働者に敵は経営者ではなく能力のない正社員だと労働者の分断を図ることを言い、まるで無能な正社員が解雇されればその代わりに非正規労働者が正社員化されるような現実にはあり得ない幻想を振りまいて解雇制限ルールの見直しを正当化しようとしていることです(64~68ページ等)。著者が繰り返し言う「プロの労働者」についても、イタリアの例を挙げイタリアではそれが強力な産業別労働組合の交渉力に基礎づけられているにもかかわらず、それが全くない日本でそれを言ったら、制度としては、結局は支えがない労働者が悲惨な目に遭うだけとわかっているくせにそこを度外視して言い続けているのです。
著者自身が、企業ニーズを先取りした経営者団体と自民党安倍政権に好まれる「専門性」を発揮して、経営者・政府に必要な(審議会で引っ張りだこになるような)「プロの学者」だとアピールし率先垂範しているということかもしれません。学者って真理を探究するためにこそ独立した地位を求め与えられ確立しているんじゃないかと思う私は、きっと古いんでしょうね。
大内伸哉 光文社新書 2014年1月20日発行
現在の日本社会の状況から見て、労働者の保護の向上が期待できない中、学生が処世術として自立した働き手となれるよう訓示を垂れるという姿勢で見れば、大学生を教える側として現実的な選択と見ることはできます。
しかし、著者は労働法学者であり、この本では労働法の現状とあり方についても論じていることを考えると、この議論は極めて無責任であり、また悪辣なものです。
著者は、正社員は労働法で保護されすぎているとして、政府は解雇制限ルールを見直すべきだとか(70ページ)、ホワイトカラー・エグゼンプション(ホワイトカラー=事務系労働者の残業代をゼロにする制度)を導入すべきだとか(211ページ)、もっぱら経営者団体・自民党とりわけ安倍政権が求める労働規制の緩和と称する労働者保護削減政策に積極的な賛意を示しています。この本では、ところどころ経営者側のやり方を非難するかのように見える記述もありますが例えばブラック企業についても「個人と企業の相性という面もある」(90ページ)などとあいまいにしブラック企業名の公表などには反対しています(89ページ)。この本では企業のわがままに対する規制をすべきという提案は全くなく、規制に対して企業はこういう対応をするから労働者にとってかえってよくないとか企業の対応に応じて労働者側が企業ニーズを先取りしてこう変わるべきという類のことばかり述べています。企業には自由を、労働者はその企業のニーズに応えよと言っているように私には聞こえます。最も悪辣なのは、解雇制限ルールの見直しなどの議論で、非正規労働者に敵は経営者ではなく能力のない正社員だと労働者の分断を図ることを言い、まるで無能な正社員が解雇されればその代わりに非正規労働者が正社員化されるような現実にはあり得ない幻想を振りまいて解雇制限ルールの見直しを正当化しようとしていることです(64~68ページ等)。著者が繰り返し言う「プロの労働者」についても、イタリアの例を挙げイタリアではそれが強力な産業別労働組合の交渉力に基礎づけられているにもかかわらず、それが全くない日本でそれを言ったら、制度としては、結局は支えがない労働者が悲惨な目に遭うだけとわかっているくせにそこを度外視して言い続けているのです。
著者自身が、企業ニーズを先取りした経営者団体と自民党安倍政権に好まれる「専門性」を発揮して、経営者・政府に必要な(審議会で引っ張りだこになるような)「プロの学者」だとアピールし率先垂範しているということかもしれません。学者って真理を探究するためにこそ独立した地位を求め与えられ確立しているんじゃないかと思う私は、きっと古いんでしょうね。
大内伸哉 光文社新書 2014年1月20日発行