初任東京地裁→アメリカ留学→最高裁民事局局付→東京地裁→大阪高裁→那覇地裁沖縄支部(裁判長として嘉手納基地騒音公害訴訟住民敗訴判決)→最高裁調査官と典型的なエリートコースを歩んでいたが、最高裁調査官在任中に神経症を伴ううつと診断されて入院し学者に転身した著者が、裁判所の人事を中心とする腐敗と裁判官の劣化を論じた本。
これまでに書かれた裁判所・裁判官批判は「左派・左翼の立場から書かれたものやもっぱら文献に頼った学者の分析が大半で、裁判所と裁判官が抱えているさまざまな問題を総合的、多角的、重層的に論じたものはほとんどない」(8~9ページ)、「私の、本書を執筆するに当たってのスタンスは、『法律実務や法律実務家の実際を知る一学者』というものである」(8ページ)というのが、著者が示すこの本の特徴ということになります。
著者自身の経験として記されていることには、最高裁民事局局付時代に国会議員からの質問対策を協議中にある課長(裁判官)がその議員の女性問題を週刊誌やテレビにリークすることを提案したこと、最高裁が特定の期間に全国の裁判所で出された国家賠償請求訴訟の判決について極秘裏に調査して裁判官氏名と判決主文の一覧表を作成していたこと(20~21ページ)、東京地裁保全部(民事第9部)時代に国から国が債権者(申立人)となる仮の地位を定める仮処分について法務省が裁判所に事前にそのような申立の可否とどのように申し立てればいいかを事実上問い合わせかなりの数の裁判官がそれについて知恵を絞っていたこと(22~23ページ)、最高裁調査官時代に裁判官と調査官の合同の昼食会の席で最高裁判事が「実は、俺の家の押入にはブルーパージ関係の資料が山とあるんだ。一つの押入いっぱいさ。どうやって処分しようかなあ?」と言い、ほかの二人の最高裁判事からも「俺も」、「俺もだ」と声が上がった(最高裁の司法行政の歴史における恥部の一つであるブルーパージ=青法協攻撃を裁判官出身以外の判事が同席する場で恥ずかしげもなくむしろ自慢げに語ることへの衝撃)こと(32~33ページ)、そして例えば「不本意な、そして、誰がみても『ああ、これは』と思うような人事を二つ、三つと重ねられてやめていった裁判官を、私は何人もみている」(90ページ)とか、ある裁判官の嘆きの言葉という類が並べられています。こういった、エリートコースを歩み裁判所内のエリートたちに接する場面の多い著者が経験した事実は、貴重な証言と受け止めるべきでしょう。
嘉手納基地騒音公害訴訟で、当初は重大な健康被害が生じた場合には差止が認められるという一般論を立てて空港公害訴訟に小さな風穴を開けたいと考えて判決の下書まで作ったところで、米軍基地に対する差止を主張自体失当とする最高裁判決が出たのでそれに従って判決を書き直したというエピソード(29~31ページ)は別の意味で興味深いところですが…
この本のメインテーマの部分は、矢口長官時代までに左派の排除が完成し、その後左派でなくとも自分の意見を言う裁判官にも攻撃が及ぶとともに、竹崎長官が最高裁事務総局で人事に影響力を及ぼした2000年代から露骨な情実人事が進み、上部の腐敗・劣化に伴い中間層も疲労してやる気を失い、裁判官任官志望者を評価する基準が能力ではなく組織になじむ人物であるか否かが重視され新任判事補の下限レベルの質が著しく落ちている、裁判員裁判の導入は国民の司法参加などではなく裁判所内の刑事系裁判官の民事系裁判官に対する権力闘争・基盤強化・人事権の掌握が目的であったなどの指摘にあります。この部分は、著者の経験としてではなく、また客観的な根拠に基づくものではなく、裁判所内の噂であるとか、「公然の秘密」(裁判員制度導入関係)などとされています。ことがらの性質上そうならざるを得ないとはいえ、その点が残念です。それでも、エリート裁判官が裁判所内で聞いた「噂」なり認識は、少なくとも多くの裁判官がそのように考えていることを示していて、そういう意味で裁判所組織の病理を示しています。
「学者」が書いたものとして読むには、視点と裏付けの客観性の点で疑問を持ちますし、事実としての記載内容と評価のバランス(非難の言葉が走りすぎのきらいがある)にやや戸惑いを感じますが、裁判所の「雰囲気」を読むものとして貴重な材料だと思います。
瀬木比呂志 講談社現代新書 2014年2月20日発行