芸能人の事件・スキャンダルを材料に、対処の仕方を、法的な観点及び世間の評価を落とさないという観点から述べた本。
「はじめに」で「合法・違法に注意しているだけでは不十分で、当不当を問題にしなければなりませんが、それに対応できる専門家は今までにいませんでした」(2ページ)と書かれていて、まぁそうではありますが、大見得を切ったものだと思います。著者は2005年10月登録(58期)の出版時点で経験9年の弁護士で、プロフィールによれば朝日新聞記者から「当事者と一緒に悩む立場に身を置きたい」として弁護士に転進し、大手渉外法律事務所や外資法律事務所を経て独立したそうです。弁護士になって大手渉外事務所や外資系の事務所に所属したことからすればもっぱら大企業の「当事者」と一緒に悩みたかったようですが、プロフィールにも芸能人の事件の経歴は書かれていません。
この本の売りとなるべき「当不当」部分については、著者の助言は書かれていますが、専門家だからという意見というよりは世間の常識やバッシングしたがる連中の傾向を考えて基本的に保守的に慎重にという世間話感覚にとどまるように思えます。
ワイドショーを見ない(近年はそもそもテレビを見ない)私には、まぁ芸能人の事件・スキャンダルがずいぶんとあるものだという点で勉強になりましたが。
著者は、記者会見をするときに、弁護士の同席を繰り返し勧めています(181ページ、191ページ、193ページ)。「発言によってさらなる法的な問題を起こさないようにフォローできます」(181ページ)はそうだと思いますが、「法曹資格を持った法律家という信頼感を得ている弁護士が隣にいるだけで、本人の発言は信頼性を増すものです」(193ページ)はどうでしょう。同業者として、世間がもしそのように見てくれるのなら幸せですが、むしろ弁護士が同席すると何か悪いことをしたのではないか後ろ暗いところがあるんじゃないかとか、自分1人では説明できない、正しいことをしているという自信がないのではないかという見方をされるリスクの方が高いのではないか、と私は思ってしまいます。
スキャンダルで自分に分が悪いときでも、とにかく早く裁判を起こすことで自分の方が正しいような印象を与えることができる、裁判中なのでコメントできないとして対外的に具体的な説明を回避できる、敗訴必至でも長引かせればそのうち世間は忘れる、どんな不利な内容でも和解に持ち込んで和解の守秘義務条項があるから内容は言えないと言えば実質敗訴もばれないという趣旨のアドバイスをしています(214~219ページ)。そういうことも可能ではありますが、それは裁判という手段を正しく用いているとはとても考えられません。裁判所からそういう目的が見えたら、当然に裁判の進行はその当事者に圧倒的に不利になります。弁護士が堂々とそういうアドバイスをすることには、私は違和感があります。
長谷川裕雅 サイゾー 2015年6月6日発行
「はじめに」で「合法・違法に注意しているだけでは不十分で、当不当を問題にしなければなりませんが、それに対応できる専門家は今までにいませんでした」(2ページ)と書かれていて、まぁそうではありますが、大見得を切ったものだと思います。著者は2005年10月登録(58期)の出版時点で経験9年の弁護士で、プロフィールによれば朝日新聞記者から「当事者と一緒に悩む立場に身を置きたい」として弁護士に転進し、大手渉外法律事務所や外資法律事務所を経て独立したそうです。弁護士になって大手渉外事務所や外資系の事務所に所属したことからすればもっぱら大企業の「当事者」と一緒に悩みたかったようですが、プロフィールにも芸能人の事件の経歴は書かれていません。
この本の売りとなるべき「当不当」部分については、著者の助言は書かれていますが、専門家だからという意見というよりは世間の常識やバッシングしたがる連中の傾向を考えて基本的に保守的に慎重にという世間話感覚にとどまるように思えます。
ワイドショーを見ない(近年はそもそもテレビを見ない)私には、まぁ芸能人の事件・スキャンダルがずいぶんとあるものだという点で勉強になりましたが。
著者は、記者会見をするときに、弁護士の同席を繰り返し勧めています(181ページ、191ページ、193ページ)。「発言によってさらなる法的な問題を起こさないようにフォローできます」(181ページ)はそうだと思いますが、「法曹資格を持った法律家という信頼感を得ている弁護士が隣にいるだけで、本人の発言は信頼性を増すものです」(193ページ)はどうでしょう。同業者として、世間がもしそのように見てくれるのなら幸せですが、むしろ弁護士が同席すると何か悪いことをしたのではないか後ろ暗いところがあるんじゃないかとか、自分1人では説明できない、正しいことをしているという自信がないのではないかという見方をされるリスクの方が高いのではないか、と私は思ってしまいます。
スキャンダルで自分に分が悪いときでも、とにかく早く裁判を起こすことで自分の方が正しいような印象を与えることができる、裁判中なのでコメントできないとして対外的に具体的な説明を回避できる、敗訴必至でも長引かせればそのうち世間は忘れる、どんな不利な内容でも和解に持ち込んで和解の守秘義務条項があるから内容は言えないと言えば実質敗訴もばれないという趣旨のアドバイスをしています(214~219ページ)。そういうことも可能ではありますが、それは裁判という手段を正しく用いているとはとても考えられません。裁判所からそういう目的が見えたら、当然に裁判の進行はその当事者に圧倒的に不利になります。弁護士が堂々とそういうアドバイスをすることには、私は違和感があります。
長谷川裕雅 サイゾー 2015年6月6日発行