なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンデーサンライズ481 貧者の一灯

2024年08月25日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第481回。令和6年8月25日、日曜日。

 

23日金曜日は前住職地である宿用院の施食会でした。

私が住職の時から昼の暑さを避け夜の法要としました。

そのための仏具や環境も整えてきました。

それでもこの夏一番のとても暑い夜でした。

和尚さんたちはお袈裟までびっしり汗をかいてお勤めされました。

総代から「今年は700回大遠忌の年だから瑩山禅師の話をしてくれ」という要望で法要終わって少しお話をしました。

檀家からそのような要望が出るというところがありがたい寺だと思います。

瑩山禅師は「師檀和合して、親しく水魚の昵(ちか)きを作し、来際一如にして、骨肉の思いを致すべし」との言葉を遺しています。

住職と檀家は水と魚の如く親しく、血を分けた親族のように一つになって事にあたりなさい、という教えです。

宿用院の住職になってから、そのような寺を目指してきました。

檀家数が少ないだけに「我が寺」という思いは檀家に強いと思います。

宿用院は開創から今年で630年。

今は愚息が40世住職ですが、これからも師檀仲良く、末永くこの寺を護っていって欲しいと願います。

 

昨日土曜日は白鷹町常安寺様の萬燈供養での法話を務めました。

萬燈供養だけに、こちらも夜の法要です。

この法要は、ほとんど山形にのみ伝わる珍しい法要で、萬燈の名の如く、電気を消した本堂の大間にたくさんのローソクを立てその中で行われる法要です。

大がかりな舞台装置も必要であり、夜でないとできないことから、普通は晋山式などの大きな法要に合わせて行われるのですが、常安寺様では毎年お盆の先祖供養として修行されています。

 

萬燈供養の起源として以下のような物語が伝えられています。

お釈迦様が祇園精舎におられた時のこと、ナンダという一人の貧しい女性がおりました。

諸国の王をはじめ多くの人々が、仏様をはじめ多くの僧に供養するのを見て、自分もわずかでも供養したいと願いました。

その当時、夜になると、お釈迦様のまわりには多くの人が集まって、灯火を供養して説法を聞いていたのです。

ある日決心したナンダは、一日中街を回り、物乞いをして、やっとのこと、わずかのお金を得ました。

そこで油屋に行って、そのお金で油を求めたのですが、油屋の主人は、こんなわずかの油で何をしようとするのかと問うたので、ナンダは自分の思いを語りました。

これを聞いた油屋の主人はあわれんで、お金の何倍もの油をわけてくれたのです。そこでやっと小さな灯火を灯して供養することができたナンダは、次のように誓いました。

「我、今、貧窮なり、是の小灯をもって供養す。この功徳をもって来世智恵の照らしを得て、一切衆生の垢闇を消除せしむ。」(私は貧しいものですから、こんなささやかな灯火しか供養できません。でも、この功徳で来世には智恵の灯火を得て、世の人々の迷いの闇を除かせてください)と。

その夜、ほかの全ての灯火は消えてしまったというのに、ナンダの供えた灯火だけは明々と輝き続けました。

明くる朝のこと、お釈迦様のお弟子の目連尊者が、なおも燃え続けるこの灯火を見て「夜が明けたのに灯火が燃え続けるのはもったいない」と消そうとしましたが消えません。手で扇いでも消えないので衣で扇ぎましたが、それでも消えません。

それを見ておられたお釈迦様は「この灯火はあなた達の手では消えないよ。たとえ大海の水を注いでも消えないよ。そのわけは、この灯火は、多くの人々を救おうする仏心をもった人の施しだからだよ」と、教えられました。その後ナンダは出家を許され、お釈迦様のお弟子となったのです。

貧者の一灯。

命をかけて人々を救おうとする心の灯火こそ、何物にもまして光り輝く供養であるという、ナンダの物語に起源があるとされる、萬燈供養です。

 

これは、萬燈供養の法要解説用に『賢愚経』を元に私が作った文章です。

一本のローソクに込めた先祖を敬う心がその人の進むべき道を照らすことを祈ります。

 

今週の一言

「檀那を敬うこと、仏の如くすべし」瑩山禅師

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。


サンデーサンライズ480 お盆を終えて

2024年08月18日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第480回。令和6年8月18日、日曜日。

 

オリンピックが終わって寝不足も徐々に回復しつつ、お盆が終わって疲れがたまっています。

今年も地元の親父たちがお墓のお供え用に蓮の葉を準備してくれました。可憐とは程遠い「立小路花蓮の会」の武骨な男たちですが、気持ちはかわいいところがあるのです。

今年の夏も暑かったですね。ただ暑いだけでなく湿度も高かったと思います。

カラッとした暑さならまだしも蒸し暑いのは不快感が増し体力が奪われる気がします。

寝ている部屋にエアコンはないのですが、網戸の窓と扇風機で過ごしました。

何故か今年は蚊がいなかったですね。蚊取りもなく寝ていても刺されませんでした。

アブはいました。虫よけのオニヤンマを帽子に付けて散歩してアブに噛まれました。

 

戸沢村蔵岡の長林寺さんでは14日、お盆供養を例年通りに行い併せて地域の人に元気になってもらおうと「祈望のつどい」を開催しました。

先祖供養と復興祈願の法要の後、六華亭遊花師匠の落語、田村優子さんの篠笛と歌、瀧田一晃さんのマリンバの演奏という内容でした。

この企画の相談の際、遊花師匠に電話すると二つ返事で快諾いただきました。そのことをこのブログに書いたところ読んでくれた田村さんが「私も演奏したい」と申し出てくれました。

それぞれ宮城県名取市からと新潟県関川村からのボランティア出講です。

お二人とも震災と水害を経験されており、他人事だと思えなかったとのこと

「今まで我慢していたけれど、ようやく泣けた」という方もあったようで、笑いと涙のつどいとなったようです。

笑いは涙を誘い、涙は笑いにつながります。

アルフォンス・デーケン先生は「にもかかわらず笑う」とユーモアの大切さを説かれましたが、どんな時にも笑いは必要です。

おかしいから笑うだけでなく、笑うことで元気になることもあるのです。

私は会場に行けませんでしたが、いいつどいになりました。

あの泥だらけの本堂を半月余りでこのつどいができるようになるまできれいにしてくれた青年僧侶はじめボランティアの方々の献身的な努力のお陰だと、心から敬意を表します。

度重なる水害に見舞われ、この土地を離れざるを得ない決断をされた方もいるようです。

どこに移転しても、この長林寺さんが心の帰り着く場所として地域の人々をつなぎとめてくれることを切に願います。

 

うれしいことがありました。

15日の朝5時20分頃、本堂玄関のセンサーが鳴りました。

こんなに早くお参りだろうかと行ってみると、「坐禅できるんですかと」親子連れ。

近所の実家に里帰りしている家族5人でした。

「毎朝坐禅していると聞いて来てみました」とのこと。

簡単に坐り方を指導して一緒に坐りました。

次の日も3人でやってきました。

特に坐禅を広報はしておらず、「坐禅 毎朝5時半から」という小さな木札を鴨居に張り付けてあるだけですが、それを檀家が見ていてくれたということがうれしかった。

「坐禅会」と銘打つとイベントになってしまい何人来たとか内容がどうだとかに気がとられてしまうので、坐りたいと思う人が来ればいいし、正直独りで坐っている方が気が楽だと思っています。

それでも来てくれる人が現れたのはうれしいことではありました。

高校野球の県勢チームも敗れたので、後は静かに秋を待ちたいと思います。

虫の音が聞こえます。

 

今週の一言

『今』の連続の、時は流れて行く」

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。


サンデーサンライズ479 帰省

2024年08月11日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第479回。令和6年8月11日、日曜日。

 

月曜日から金曜日まで島根県隠岐の島でした。

今年最初の特派布教です。

この島には7年前にも訪れており、懐かしさがありました。

人口約1万人の隠岐の島町島後の半数は神道で、仏教は真言宗もありますが曹洞宗寺院が6ヵ寺あります。

いずれも檀家数は100軒に満たなく、住職が住んでいる寺は1ヵ寺で2ヵ寺を兼務。あとの3ヵ寺は鳥取県の住職が兼務です。

それでもそれぞれの寺院は檀家総代を中心に伽藍を維持し護っていました。

木曜日、その1ヵ寺観音寺様は山間に建つ本堂だけの寺院です。檀家数が29軒ですが法要には16名が参加し、出席率50%超えですねと驚きました。

法要の準備も後片付けも参加者全員で行い、和気あいあいと集いを楽しんでいるように見えました。

次の日、最終日の大満寺様にお邪魔すると出席が40名とのこと、檀家数を聞くとなんと50軒。出席率80%で更に驚きました。

昨年には小さいながら本堂を再建し、新たな出発をしました。今後も維持していくという意思がなければできないことと思います。

往々にして、檀家数の少ない寺院は「我が寺」という意識が高い傾向にあります。

寺院が地域の集いの場となり、心の支えになっているあり様が今後も続いていってほしいと願います。

ただ、高齢化が進んでいることは否めません。次の世代が後を継いでくれなければ寺を維持していくのも難しくなるでしょう。何とか心をつないでくれる後継者が現れることを願うばかりです。

 

木曜日、お勤めを終えて宿に帰り風呂で汗を流していた時でした。

体がふわふわして湯船のお湯が揺れていました。あたりを見るとシャワーのホースも揺れています。

それが宮崎県沖を震源とする地震でした。津波も起こりました。

今のところそれほど大きな被害には至っていないようです。

ただ、南海トラフとの関連が懸念されているようで心配されます。

金曜日には神奈川県で、土曜日は茨城、長野、北海道、熊本でも弱い地震が起こっています。

大事に至らないようにと祈ります。

 

間もなくお盆です。

被災されている能登の人々、山形県内の被災各地の人々、全ての人々が無事にお盆を迎えられることを心から願います。

お盆は先祖様のことを思い心がつながる、心のふるさと。

ご先祖様も自分も帰り着く、命のふるさと。

先を見つめ先に進む進歩だけでなく、時には原点に立ち返る退歩も必要なことです。

命の帰省、心の帰省のお盆です。

命の原点、心の原点に立ち返り、無くしてはならないものは何か、忘れてはならないものは何か。それを見つめるお盆にしたいと思います。

 

今週の一言

「退歩を学すべし」

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。


サンデーサンライズ478 よそ者だからこそ

2024年08月04日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第478回。令和6年8月4日、日曜日。

 

8月に入りました。

26日未明からの豪雨により山形県内各地に大きな被害が出ました。

最上郡内においても、戸沢村、鮭川村、真室川町、そして最上町でも被害がありました。

主要道路は片側通行ながら通行可能となりましたが、JR陸羽東線は未だに不通で復旧のめどが立っていません。

郡内で最も被害の大きかった戸沢村蔵岡地区の長林寺さんには青年僧侶が連日泥かきに入り、山を越えました。

単身熊本から駆け付けた僧侶もいました。檀家さんも連日作業に加わってくれています。

2日、シャンティ国際ボランティア会のスタッフ2名と気仙沼から1名が視察に入り今後についての調査を始めました。

ボランティアセンターを訪ねるとのべ400名以上が支援に入っていました。更に夏休みの学生などに期待が寄せられます。

昨日は長林寺の作業に地元の中学生が親子で作業に参加してくれました。

お盆を前にして泥をかぶった墓を掃除してくれるのは、檀家にとってどんなにかありがたいことでしょう。

水害はたいがいこの時期に発災しますが、季節柄復旧作業は時間との勝負になります。

泥が固まると粉塵になり、カビが発生したり、感染症の危険性も高まります。

被災された人々の体力も気力も落ちてきます。

そこによそ者のボランティアがいることで気持ちの支えになることもあるはずです。

動ける人は躊躇しないでボランティアセンターに問い合わせしましょう。

蔵岡の集落はこの6年間でこれが3度目の水害、その度に巨費を投じて対策を講じて来たものが全く役に立たなかったと絶望感を感じています。もう集団移転しかないのかと。

それでも目の前の泥は放っておけず、希望が見いだせないままの作業は疲れがたまるばかりです。

長林寺住職は「生きるために必要なものは何か。それは希望だ。ここの檀家さんは生きる希望を失ってしまった。それが一番辛い」とその気持ちを代弁していました。

 

気仙沼から視察に来た三浦友幸さんは元シャンティ気仙沼事務所のスタッフで、今は気仙沼市議。

長林寺の和尚さんと一緒に地区を回った様子をSNSで以下のように報告しました。その一部を紹介します。

『山形県戸沢村』先月7月25日の豪雨被災地。
最上町のお寺「松林寺」の三部住職の紹介で、シャンティ国際ボランティア会の方々と現地調査に入る。
蔵岡地区は集落約70世帯全てが被災。豪雪地のため基礎を1.5m程あげてる家が多かったが、内水氾濫と最上川の越水によりほとんどの家が二階付近まで浸水。
この地区は6年前にも豪雨で被災。その他にも何度も被害を受けており、輪中提を作ったり、ポンプをつけたりしたが、うまく機能せず、かえってどこかの堤防を嵩上げした分の水がこの集落へ入ってきたと伺う。
地元の住職と一軒ずつまわり話を伺う。
「もうこごには住めねぇ」と淡々と話すおばちゃんがいた。
最後に「気仙沼から来ました」と話すと、「申しわげねぇ申しわげねぇ、もっと酷いとごろがら来たのに」と謝られた。
「そんなことない同じですから」と伝えると、「物はいくら失ってもいいげど、実家がなぐなるのは…ほんどにつらい」と言い、糸が切れたかのように涙を流された。
自慢げに「ここを登って、こうやってぶら下がって、力尽きて、ここに流されたけど、ここにつかまって助かったんだ」と話すお父さんがいた。
ハイテンションだったけど、住職が「あんだ普段こんな話す人じゃねぇべ」と抱きしめると、このお父さんも涙を流され住職の肩にすがった。
 

地元の人の中ではこらえていても、よそ者だからこそ感情をさらけ出すことができる、ということがあります。

みんな辛いのだから自分ばかりが弱音を吐けない、そう思ってしまうのでしょうね。

そこによそ者の存在意義があります。

14日には長林寺においてお盆の先祖供養があり、それに合わせてひと時辛さを忘れさせるお笑いをということになり、六華亭遊花師匠に電話をしたら「空いてます、私でいいんですか」と即断してくれました。ありがたいことです。

この際、これまでの縁を最大限に活用させていただこうと思います。

 

今週の一言

「慈悲心は冷めやすい、熱いうちに行動を」

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。


サンデーサンライズ477 邯鄲(かんたん)の夢

2024年07月28日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第477回。令和6年7月28日、日曜日。

 

25日から26日にかけて当地に特別大雨警報が発令されました。

全国ニュースでもトップに取り上げられ、各地から安否を気遣う連絡をいただきました。

26日朝の段階で、国道47号線が町の西端で土砂崩れによる通行止め、南方の尾花沢、村山方面に抜ける山刀伐峠も土砂崩れにより通行止め、新庄ー鳴子温泉を結ぶ陸羽東線も不通になりました。

唯一東側の宮城県に抜ける国道は通じていましたが、半孤立状態となり、物流はストップしました。新聞が来ません。通勤の人が来られないので銀行が臨時休業、町立病院の数科も、スーパーも臨時休業し、開いているドラッグストアに食料品を求めて客が殺到していました。

JRの運転は平常に戻り尾花沢方面の道路も通行止めが解除されましたが、新庄方面の国道47号は未だ通行止めです。

昨日27日戸沢村古口と鮭川村を見てきました。

道路があちこちで寸断され、目的地に行くまでに何度も何度も迂回して迷路のようでした。

外からの支援のためには道路の復旧が第一なので、時間との勝負になってくるでしょう。

昨日私は行けませんでしたが青年僧侶数名が、最も被害の大きい蔵岡地区に入ったようです。

集落の戸数約100戸のほぼ100%が床上浸水。2階まで浸水した家屋も何割かあったようで、片づける気力もなく呆然としている様子だったとのこと。

それでも前に進まなければならないので、傍に寄り添うことが必要だと思います。

当地は災害がなくていいところだと年寄りはよく口にしていましたが、全国そんなところはないのでしょう。

もう異常気象などとは呼べません。これが平年通りだと受け止めなければなりません。それが温暖化です。

 

70歳になんなんとしている自分を客観的に観て、人生とはあっという間だと感じています。

その時その時はそう感じなくても、これまでを振りかえり押しなべて観察してみると、「邯鄲の夢」の如く実にあっという間のことだったと思えます。

更にこれからどれほど生きるのか分かりませんが、最期の瞬間に感じる思いもおそらく同じようであろうと、あるいはもっと短い時間に感じるのかもしれないと思われます。

その時は、現在の人のつながりリアルな人間関係ばかりでなく、ネット上のつながりや会ったこともないけれど心を通わせている人との関係も全て手放すことになります。

頭の中に残っている今は亡き人々との思い出も、映像としての記憶も、全て消え果ててしまいます。

ましてやお金や私の物と認識している私物も一切合切持ち主を失って抜け殻のように色褪せてしまうことでしょう。

しかしそれは、私がいなくなってからではなく今現在も、我が物という所有物はないのだと分からなければならないことです。

所有しているという思い込みが勘違いなのであり、その勘違いが自分自身を縛り、苦しめている原因だと知らなければなりません。

物ばかりではなく、人とのつながりも自分自身の身体、命も、自己所有物ではありません。

自分の所有物でもないこの身体を私たちは自分のもののように勝手に使っているに過ぎません。

誰も自分の思い通りにはならないように、自分自身も自分の思い通りにはなりません。

ならないものをならせようとすることが苦しみの原因なのです。

そのことに気づき、所有意識を手放すこと、解放すること、それが解脱です。真の自由というものです。

さはさでありながら、人とのつながりが消えてしまうことの寂しさは禁じ得ません。

お金や物が消えてなくなるのはさほど惜しくも感じませんが、語り合い笑い合う人との時間が失われるのはとても残念に感じます。

でもそれは、自分一人の一瞬の断ち切りであり、世界として何も変わることはありません。いわば未練でしかありません。

その時を待たなくとも、所有意識を少しづつ剝ぎ取っていくことができればと思います。

 

今週の一言

「所有から自由であれ」

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。


サンデーサンライズ476 人間はバカなのか

2024年07月21日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第476回。令和6年7月21日、日曜日。

 

先週は予定表がブランクの日が何日かあって、晴れていれば外の作業を、雨ならば机上の作業か読まなければならない本を読めると思っていましたが、風邪をひいてしまったようです。

くしゃみ、鼻水が止まらず頭がボーっとして、ほぼ横になっていました。

風邪薬のためもあるでしょうが、朝も起きられず暁天朝課も散歩も休んで、何と12時間ほど寝ていました。

鼻づまりで困るのはCPAP(シーパップ)です。

睡眠時無呼吸症候群の治療器ですが、鼻から強制的に空気を送り鼻呼吸をさせるものです。

これがないと、口呼吸をしていびきをかき、舌が気道を塞ぎ無呼吸となります。

睡眠時に脳に酸素が十分に供給されず、様々な機能障害や死亡のリスクが高まるという症状です。

CPAPを使用して10年以上も経ちますが、車の運転中に眠くなるということはほとんどなくなりました。

ただ最近、法事のお経を読みながら眠くなることは度々あります。

鼻づまり状態でCPAPを使用すると、当然空気が入りづらく息苦しくなります。

外すと口呼吸になりますが、しばらく口呼吸の睡眠をしていないためかうまくできません。

何度も着けたり外したりを繰り返して夜を過ごしていました。

CPAPの大敵は鼻づまりだと気づきました。

昨日からほぼ平常に戻りましたので他事ながらご休心ください。

 

この世界はどこに向かおうとしているのかと時折不安に駆られます。

温暖化による気候危機。世界各地で起こる異常気象、自然災害。

その原因は人間による温室効果ガスであることは明らかなのに、その対策も焼け石に水のようなもの。

何かをやっている「ふり」が多く、温暖化を止めるには至らないだろうと絶望的になります。

そればかりか、戦争などは二酸化炭素の垂れ流し放題で、片方でチマチマ対策を実施しても、その分の効果を一瞬にして消し去ってしまう逆効果に違いありません。

今戦争状態にない国にしても、着々と戦争の準備を進めているように見え、偶発的な小競り合いから本当の戦争、更には世界大戦に至らないとも限らない危機を感じます。

全ては人間の所業ですが、その中でも国のトップの思惑で戦争は始まってしまうという状況を我々は目撃しているように思います。

 

癌は体内に発生しやがてその宿主である体全体を滅ぼしてしまいます。

この地球上の生物にとって人間はいわゆる癌細胞なのでしょうか。

そのことに危機を感じた地球が癌細胞たる人間を排除しようという、これが地球の自己防衛的な意志、免疫作用ならば、人間は甘んじて消滅するしかないのかもしれません。

しかし人間は何と愚かなものかと思わざるを得ません。ほんの一握りの人間の愚かさかもしれませんが、結局その一握りの人間に翻弄され、犠牲になり、人類全体が危機に追いやられるのですから何とも情けないことです。

結局政治家というものは、大統領から田舎の首長まで、自分の名誉と権力のために民衆を利用しているに過ぎないと思ってしまいます。

でも、そうさせているのは民衆ですから民衆に責任がないとは言えません。

想像してみてください、この空から爆弾が降ってくることを、ミサイルが飛んでくることを。

それが今現実にこの世界で起こっている事実です。

それを他人事と傍観することによって自分にもそれが近づいてくるのではないか。

抑止のための軍備などと言いますが、それは「矛盾」の語源の盾と矛のように、矛盾した考えです。

その延長線上に「核抑止」のために「核保有」するようなことになりはしないかと危惧します。唯一の被爆国であるこの国が。

何と愚かなことか。

 

今週の一言

「愚かさの連鎖を止めるのは誰か」

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

 


サンデーサンライズ475 身を施す

2024年07月14日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第475回。令和6年7月14日、日曜日。

 

先週の続き。

考えてみれば、老齢者というのは若者に身を奉げる献体のようなものではないかと思い至りました。

以前青森の和尚さんがこんな話をされました。

師匠、父親を自宅で看取った。

今際の際に父親は自分を枕辺に呼んで、息絶え絶えにこう言った。

「看病は、慈悲の、徳を、養う、最大の、修行なり」と。

お前はよく看病してくれた、これは慈悲の徳を養うお前の修行だった。

そのために、私はこの身を提供してきたのだ。ということだろう。

 

私もわずかばかり父親の介護のまねごとをさせていただいた。

父が、要介護状態にならず、元気なままコロリと逝ってしまっていたら今頃どんなに後悔していただろうかと思う。

「父親は敵だ」とばかり思って、体に触るどころかまともに声もかけずに過ごしてきた。

パーキンソン症候群になり、次第に体が思うように動かせず、介助が必要となった。

仕方なく、小学生の時以来に体に触れ、抱き上げたり、座らせたり、トイレでお尻を拭いたり、風呂で背中を流したりさせてもらった。

親孝行とまではいかなくとも、わずかばかり世話をさせてもらったことで自分なりにやったと、自分を許せることができている。

もしかしたら父親は、死んでから息子が後悔して自分を責めないようにと、あえて病気になってくれたのではないかとさえ思う。

 

そのように、老人が身を晒し身を委ねるのは若い者に慈悲心を養わさせるための捨身施なのだろうと受け止めます。

なので「若い者に迷惑はかけたくない」と思うのは間違いです。

多少苦労はしても、苦労から学ぶことはたくさんあるのだし、苦労しないことが幸せだとも言えません。

だいたいにして、親の介護や看病を迷惑だと思わせるような社会はおかしい。

親の世話を人任せにしてしまって後悔している人もいるのではないですか。

わざわざ望んで介護状態になる必要もありませんが、たとえなったとしても、それは若い者に我が身を提供しているんだ、この体を使ってどうか徳を養ってくれよと、思ってみたらどうでしょう。

若い者もきっと後から、よくやったと自分を褒め、許し、楽に呼吸ができ、自信を感じることにもなるでしょう。

お世話させていただいたことを感謝するに違いないと私は経験上思います。

 

さて、本日から大相撲名古屋場所です。

佐渡が嶽部屋の琴櫻は大関3場所目となります。

優勝、横綱への足掛かり、と期待が膨らみますが果たしてどうでしょうか。

ファンには申し訳ないですが、私は若干懐疑的です。

体も大きい、柔らかさもある、技もある、しかし優勝、横綱にはそれだけでは足りないと思っています。

相撲はいわば格闘技です。

その中で勝ち上がっていくには、強い気持ちが不可欠です。

琴櫻は父親似で性格が優しい。

立ち合いの最後の塩で鬼のような形相をするのも弱い心の表れで、自分を奮い立たせているのでしょうが、あんなことをしたらかえって体にいらぬ力が入って自然体でとれないでしょう。

体が自然に反応するためには意識がどこかに集中していてはダメです。

心の重心を下げて腹の座った相撲をとればいいのにと思うところです。

あの顔をやめれば自然に勝てるようになるかもしれません。

ですからむしろ、私は琴櫻には、勝っても負けても相撲ファンに愛される心の優しい人格者の大関として長く務めてもらいたいと願っています。

たとえ横綱にならなくてもです。

そうは言っても、観ている方は力が入るんですよね。

私の予想など大外れであることを心のどこかで祈りながら。

 

今週の一言。

「勝つことだけが相撲じゃない」

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。


サンデーサンライズ475 老いの自覚

2024年07月07日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第474回。令和6年7月7日、日曜日。

 

日曜日から金曜日まで東京でした。

令和6年度曹洞宗布教師養成所の第1回目。

合計50名の若き僧が布教師の勉強のために年3回集います。

今年度年間テーマに掲げたのは、「法が良薬ならば」。

「我は良医の病を知って薬を説くがごとし」と『遺教経』にあります。

仏法、仏の教えは衆生を苦悩から救う「良薬」だとしています。

であるならば、現代社会の苦悩に対して、仏教はどんな救いー薬を処方することができるのか。

苦悩には数々の種類があります。

それを以下の3つの種別に分類しました。

①根本苦ースピリチャル・ペイン 

 生老病死に代表される人間が生きている限り離れることのできない根本的な苦悩。

②社会苦ーソーシャル・ペイン

 社会的な問題に起因する苦悩。人権、差別、貧困、いじめ、戦争、災害、LGBTQ、DV、などなど。

時代によってその種類は広がりまた増え続けています。

③生きがい苦ーライフプラン・ペイン

 価値観の多様化が進む現代社会の「生きがい」の模索。

やりたいことが見つからない、生きづらさ、ひきこもり、自殺願望、存在感の喪失、仕事上の悩み、生きがいの喪失、引退後の人生。などなど。

それらの苦悩の中にいる人々に向き合い、寄り添い、語りかける言葉として、どんな教えが有効なのか。それを学ぼうとしています。

 

第1回目の今回は、生老病死の苦悩に寄り添い、その痛みに対する法の処方箋を互いに出し合って学びました。

テーマの関係で、数々の別れの例話が出てきました。多くの死の場面に立ち会ったような感じです。

悲しみに出会うほど自らの慈悲心を呼び戻すことができるでしょう。

その場合自分だったらどんな話ができるだろうかと考えながら学びます。

朝の5時30分から夜9時まで、坐禅、朝課の後はひたすら人の話に耳を傾け講評用紙を記入する時間です。

それだけでかなりの頭の重労働ですが、テーマがテーマだけに心も疲れた感じです。

 

東京からの帰り、鳴子温泉駅で、キャリーケースを持ってホームの跨線橋の階段を登ろうとしたら後ろから「荷物持ちましょうか」と声がしました。

振り向くと、高校生と思しき笑顔のさわやかな青年でした。

とっさに「大丈夫、ありがとう。」と答えました。

遠慮したのか強がりだったのか。

今までそんな経験はないので単に驚いたのかもしれません。

そんなに辛そうに見えたのか、いたわってあげなければならないと思わせる年齢に見えたのか。

確かに世間的には高齢者と呼ばれる年齢ではある。疲れているようにも見えたでしょう。実際に疲れていました。

それにしても、そうなのか、と老いを自覚せざるを得ない出来事でした。

しかし、彼の、善行を積む功徳を奪ってしまったかと後悔しました。

次からは、老いの自覚のもとに力を借りたいと思います。

ああ、あのさわやかな笑顔。いいなあ、若いって。

 

今週の一言。

「若いってすばらしい!」

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。


サンデーサンライズ474 出会いは必然

2024年06月30日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第474回。令和6年6月30日、日曜日。

 

今年も早や半年が過ぎようとしています。

私の最も業務多端な季節の一山も間もなく終わります。何とか体力ももちそうです。

後は11月までのんびりした日々が送れそうです。

『獺祭』は酒の名前で有名になりましたが、その意味をご存じの方も多いと思います。

獺(カワウソ)は獲った魚を岸に並べる習性があって、それがお供えしているように見えることからその名前が生まれ、詩人や学者が枕元に書物を並べている様子を「獺祭」と呼ぶようになりました。

正岡子規も自らの号の一つとして使っていたようです。

今私の机もしばらく前から獺祭状態で、明日から始まる布教師養成所の準備で参考の書物を積み上げていました。

付け焼刃は否めませんが、少しでも切れ味を良くしようとあれもこれもと渉猟してきました。

 

それとは関係なく、新聞の書評を見て思わず買ってしまった本もあります。

木村聡著『満腹の惑星 誰が飯にありつけるのか』(弦書房)。

難民キャンプ、内戦の国、ゴミの町、世界各地の問題を抱える場所で、現地の人々と同じ「ご馳走」を食べてきたフードドキュメンタリー。

「空腹と満腹の間を漂い、胃袋で発見する未知の天体の数々」。

「おふくろの味」についてこんな記述がありました。

「生まれたばかりの無垢は100%他人から与えられる食に依存しなければならない。その食の提供者であり、最大の庇護者である”おふくろ”の存在は命を保つ前提であり、”おふくろ”に食べさせられるものからは無条件に安心、安堵していいというメッセージを受け取っている、はずだ。だから無垢たちはその味を心地よい=「美味い」と認識し、成長し、今度はその”おふくろの味”によって刷り込まれた「美味い」を使って、脳と舌は知りうる安全な食にありつこうとする。人は生きるために「美味い」を追い求める。」

なるほど、「美味い」は安全に命を保つためのリトマス試験紙だったのだ。

それだけを知れば、あえて食の冒険をしなくてもいいと知りました。

 

もう一つ、布教師の先輩から「この本読んだか」と尋ねられ、まだと答えるとすぐに送ってくれました。

南直哉著『苦しくて切ないすべての人たちへ』(新潮新書)。

実に面白い。

『正法眼蔵全新講』はなかなか読み進みませんがこういうのであればすぐに読めますね。

「仏教が手を伸ばそうとするのは、苦しくて切なくて悲しい思いをしている人たちで、その人たちのためだけに、仏教はある」。

「ためだけにある」とズバッと言い切られると気持ちがいいですね。

私が今年度布教師養成所で学ぼうとしていることもそれに近く、「この混沌とした社会に仏教は役に立つのか」を学びのテーマにしています。

さっさと読んで片付ければいいのですが途中で次のに手を伸ばすものだから、読み止し読み止しで獺祭の魚はまた一つ積み上がるのでした。

 

何度か経験していることですが、「そうかこの本を読もうと思ったのは今の自分に必要だからだったんだ」と感じることがあります。

本ばかりではなく、出会う人、出会う言葉、情報、あるいは出来事など、今の自分に足りないもの、それが必要だからこその出会いだったんだという気づきです。

そう考えれば、その時の出会いは必然だったと受け止めることができます。

以前自然農法の本で「土は植物や土の中の生物が死ぬことでできる、その土壌に足りない養分を補うために必要な草が生えて土壌を調える、自然はそのようにできている」というような記述を読んだ記憶があります。

うれしい出会いもうれしくない出会いも、今の自分のために必要だったからとすれば、全ての出会いをありがたく受け止めることができるでしょう。

今その時にはそのように受け止めることができなくとも、やがて振返ってみてそうだったと考えることもできるかもしれません。

あるいは、そう受け止められるような生き方をする以外にないということかもしれません。

ですから、全てを縁に任せて、求めなくてもやって来る出会いに真っすぐ向き合えばいいのだと思います。

それは、あなたに必要なことなのです。

 

今週の一言。

「それは必要だからだ」

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

 


サンデーサンライズ473 参不得

2024年06月23日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第473回。令和6年6月23日、日曜日。

 

隣のアスパラ畑の先に熊が出たようです。

黒い動くものが現れて、猪でもないし、歩き方から犬でも猫でもない、よく見たら熊だったと。

山から線路を越えて来たのでしょう。

そこは私の朝の散歩道です。

次の日からアスパラ畑では熊除けの鈴が鳴っています。

他人事ではなくなりました。

 

19・20日、旧友に誘われて千葉県君津の師のもとへ。

思えば初めて師のところへ訪ねて行ったのも彼と二人で、今から36年前のことになると思います。

以来、羅針盤の点検のように時折訪ねては進路確認をしてきました。

ちょうど一回り12年上の師は、年々体の衰えが見え、視力も虫眼鏡でようやく字が読める程度に落ちてきています。

それでも懐かしい顔が揃ったということで心から喜んでくれ、「私にも注がせてくれよ」と酒瓶を持ってお猪口に酌をしてくれました。

「見えなくても座頭市のように酒はちゃんと注げるんだよ」と嬉しそうに。

そして、和尚としての生きる姿勢について、いつものように熱く、時に「バカたれが」と叱りながら語ってくれるのでした。

「これが最後になるかもしれない」と思いながら毎回一言一句漏らさないよう聞き耳を立て心に刻んできます。

その薫りに包まれ、少しばかり身に沁み込ませて帰ってくると、しばらくは穏やかな幸せに包まれます。

 

光陰は矢よりもすみやかなり、身命は露よりももろし、師はあれども、われ参不得なるうらみあり。参ぜんとするに、師不得なるかなしみあり。(『正法眼蔵行持』)

 

混雑する東京駅で、行きかう人々を眺めていました。

この大勢の人々それぞれにその人の歴史、太古からの連綿たる命の流れ、そしてそれぞれに幾多の人のつながりがあるんだなとしみじみと眺めていました。

みんな何も気づかずにすれ違っているけれど、もしかしたら先祖のどこかでこの中の誰かと誰かがつながっているかもしれないし、この時にすれ違ったことでやがて次の人生に何らかの影響を及ぼさないとも限りません。

命のありようがジグソーパズルのようであれば、この中の誰一人かけてもパズルは完成しないわけで、お互いがお互いの足りないところを埋め合いながら存在しているのです。

一つも足りないピースはなく、一つも余るピースはありません。しかも境もない溶け合った一枚の動画です。

人の少ない田舎では感じることのできない、混沌としたような人の波だからこそ感じる心象でした。

 

その帰りの新幹線の中で、ばったりと檀家のご夫妻と出会いました。

亡くなった分家の葬儀に向かうところでした。

19日、出かける直前に不幸の連絡が入り、枕経を勤めてから千葉へ向かったのでした。

亡くなったのは私の二つ上、同じ中学校で野球部の先輩でした。

私がこの寺に帰って来てから、いろんな場面で一緒になりました。

東日本震災の支援も連携して行いました。

寺の役員をお願いして務めてもらいました。

集中講座の実行委員長を務めてもらいました。

最上の地酒を創る会の副代表でもありました。

何度も共に夢を語り、共に酒を酌み交わし、共に呵々大笑しました。

体調が悪いと聞いてからあっという間のことでした。

戒名は、禅語「明歴々露堂々」から「明歴正堂居士」とし、昨日涙と共にお見送りしました。

正さん、お世話になりました。ありがとうございました。

 

今週の一言。

身命は露よりももろし」

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。