なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンデーサンライズ510 明日の約束

2025年03月16日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第510回。令和7年3月16日、日曜日。

 

3月11日を気仙沼清凉院で迎えました。

やはり被災3県は、それ以外とは違う報道がされていたと思います。

たまたま目についた岩手日報の特集記事の一部です。

長いですがそのまま引用します。

 

「最後だとわかっていたなら」

 

あなたが眠りにつくのを見るのが 最後だとわかっていたら

わたしは もっとちゃんとカバーをかけて

神様にその魂を守ってくださるように 祈っただろう

 

あなたがドアを出て行くのを見るのが 最後だとわかっていたら

わたしは あなたを抱きしめて キスをして

そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

 

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが 最後だとわかっていたら

わたしは その一部始終をビデオにとって 毎日繰り返し見ただろう

 

あなたは言わなくても 分かってくれていたかもしれないけれど

最後だとわかっていたら

一言だけでもいい…「あなたを愛してる」と

わたしは伝えただろう

 

たしかにいつも明日はやってくる

でももしそれがわたしの勘違いで 今日で全てが終わるのだとしたら、

わたしは 今日 どんなにあなたを愛しているか伝えたい

 

そして わたしは 忘れないようにしたい

 

若い人にも 年老いた人にも

明日は誰にも約束されていないのだということを

愛する人を抱きしめられるのは

今日が最後になるかもしれないことを

 

「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を

伝える時を持とう

そうすれば もし明日が来ないとしても

あなたは今日を後悔しないだろうから

(ノーマ・コーネット・マレック作 佐川睦訳「最後だとわかっていたなら」)

 

そうですね。明日は誰にも約束されていないのです。

そんなことはもう、みんな分かり切っているのです。

それでも明日は確実に来ると、根拠もなく思い込んでいるだけです。

今日が最後の日であってもいいように、今日を生きる以外ありません。

明日は約束されていないが、今日ここに生きていることは事実です。

今日できること、今日でなければできないこと、今日生きていることを実感するために、躊躇なくやろうじゃないですか。

 

今週の一言

「ああ、愛おしい今日」

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。


サンデーサンライズ509 命の洗たく場

2025年03月09日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第509回。令和7年3月9日、日曜日。

 

明後日11日は、東日本大震災から14年目を迎えます。

被災者ではない人間にとっては遠い昔になるかもしれません。

その違いの差は埋めることのできない大きな溝となって今後も横たわっていくのでしょう。

もちろん私も被災者ではありません。だから、その痛みは実際には分かり様がないのです。

分からないことを分かったように振舞うのは失礼なことですから、静かに見守る以外ありません。

遠くから見守り、近くから見守り、でも今年は近くまで行こうかと思っています。

遠くからでは分からないその空気感というものがあるでしょう。

近くまで行ったからと言って何かできるわけでもありませんが、ただ同じ空気を吸いたいと思います。

 

5日水曜日は松林寺集中講座の企画委員会でした。

毎回この企画委員会を事業のスタートとしています。

原案は私が作りますが、ここで意見をいただき確認の上実施に向かって行きます。

住職がどんなに頑張ってもこの講座が一人でできるわけではないので、企画委員、実行委員のスタッフを運営の主体に置いています。

今回は17回目を迎えます。

毎回、法話と音楽とお笑いの三本柱で実施しています。

今回は、坊さんバンドTHE ZENのコンサート、住職の法話、露の新治師匠の落語です。

THE ZENは息子たちのロックバンドですが、お袈裟姿での演奏が珍しいと話題になっています。もちろん批判もありますが、彼らなりの教化活動だと受け止めて静観しています。

他所での演奏がニュースになったりしたので是非松林寺でもという声があり出演してもらうことにしました。

法話はここ3年住職の私が務めています。予算上の理由です。今回は永平寺修行時代を語りたいと思っています。

落語は上方落語の露の新治師匠をお迎えします。

柳家さん喬師匠と交互にお願いしてきましたが、コロナ過や師匠の都合が合わなかったりして平成29年の第12回以来、8年ぶり6回目の出演となります。

師匠は「お笑い人権講座」というスタイルを確立され、笑いながら人権問題を考え納得させるという切り口で大好評にて全国を飛び回っておられますが、もちろん落語もとてもおもしろいです。

江戸落語とは違う上方落語の滑稽さが何とも言えず笑いを誘います。

1時間15分の時間を取ってたっぷりと楽しませてもらいます。

日時は恒例の、6月第一日曜日の1日。午後1時30分開講。閉講は4時30分の予定です。

当日券は1,500円ですが、前売り券を1,000円で販売します。

毎年好評の門前市では、気仙沼の海産物、地元の山菜野菜などを販売します。

企画委員会のコアのメンバーは6名ですが、それを含めスタッフ数は全部で45名に上ります。

当日欠席のスタッフも出ますが、毎回だいたい40名ほどのメンバーで実施しています。

役割は、実行委員長、会計受付、会場、駐車場、楽屋対応、会場誘導、講師誘導、音響、FM、司会、記録、門前市、講師送迎、控室、打ち上げ進行などに別れ、それぞれが自分の担当を責任をもって務めてくれています。

例えば駐車場係などは、「これまで一度も事故がなかった」と自負し「お迎えの挨拶と見送りの挨拶を欠かさない」と胸を張ってくれています。

そんなスタッフを慰労するのが住職の役目です。

どうしたら喜んでくれるかと、打ち上げに全力を尽くすことを最大の使命としています。

遠方の方も歓迎です。町の赤倉温泉、瀬見温泉に泊まって最上の地酒「山と水と、」を堪能しながら集中講座を楽しんでみてはいかがですか。何なら打ち上げへの参加もOKです。

前売り券は、町内ゆけむり館、中村商店、NPOやまなみ、森紙店、大黒屋商店で扱います。こちらにメールでお知らせいただければ受付にて取り置きします。

 

今週の一言

「その場でなければ吸えない空気がある」

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

 

 

 

 

 


サンデーサンライズ508 熱い泥

2025年03月02日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第508回。令和7年3月2日、日曜日。

 

3月に入りました。

2月は雪の多い月となりましたが、これからはもうそんなに降ることはないでしょう。

春到来の喜びは、雪国の人をもって一番だと思われます。

 

28日金曜日は、1月に急逝した八木澤克昌氏のお別れ会でした。

東京グランドホテルに220名に及ぶ人々が参列、別れを惜しんでくれました。

それほどに、彼のつき合いが広くその出会いが印象深いものであったのだろうと思います。

日本国内での出会いよりも、スラムや難民キャンプ等の困難な状況の中での出会いは、強烈な印象と共にそこに居た八木澤という人間の存在感が強く感じられたということもあるかもしれません。

更には、夜のつきあいが良かったので、酒を飲んでいる彼の大きな声と笑顔と熱い抱擁が更に印象を深めていることと思われます。

とにかく熱い、熱過ぎる。元々体温が高いのではないかと思われるほどでした。

だいたいにして生きる熱量が大きい。困難な状況にある子どもたちを見つめる視線が熱い。その状況を何とかしたいという思いが熱い。その夢を語るパワーがまた熱い。

大きな手で力強く握手しては抱き合う、その熱苦しさ。

そんな熱さがこれからも続いていくものとばかり思っていました。

熱源を失った心は冷え切ってしまっています。

 

涅槃図では、横たわるお釈迦様の周りを囲んで多くの命が泣いています。

生きとし生ける者、人間ばかりではなく、菩薩や鬼神、動物や昆虫、そして沙羅の樹は葉を枯らして泣いています。

それは、お釈迦様が生前それらの全ての命に、あたたかいまなざしで接したからでしょう。

高いも低いも、大きいも小さいも、貴賤も、言葉のあるなしも、命の区別なく、等しく接してきたからでしょう。

それと同じように、八木澤は、出会った全ての人々にあたたかくというか熱く接してきました。だからこそ、これほど多くの人々が別れにやって来たのだと思います。

会場に足を運んだ人ばかりではなく、来たくても来られなかった多くの日本の方々、タイ、カンボジア、ラオス、アフガニスタン、ミャンマー、ネパール各事務所スタッフ一同、そしてその地で接した多くの困難な人々も、心を同じく熱い涙を流してくれただろうと思います。

彼の心をこんなにも熱くしていたものは何か、それは慈悲心だと断言します。

栃木県に生まれ、東北福祉大に学びました。

山岳部に所属しネパールの山々も登ってきました。その時に、シェルパとして荷を担ぐ少年を見て、こんな子供にこんな苦労をさせて山に登ってもいいのだろうかと自問します。

更に兄を若くして事故で失うという無常に接して、命の儚さ有限さを強く意識するようになります。

そんな時に、カンボジア難民問題が起こり、そのボランティア募集を目にして曹洞宗東南アジア難民救済会議の一員として現地に赴くことになります。

海外の国際NGOスタッフが、専門家として行動し難民に接する中、我が団体のボランティアたちはずぶの素人のために、支援する側される側という彼我の区別を付けられず、ただ共に傍にいるという接し方をしてきました。

そのことは、八木澤が、スラムの問題を考え解決するのにスラムに住まなければ分からないと、団体が大きくなってからもスラムに住み続けたことにつながります。

彼は常に現場からの視点で活動をしてきました。

当時事務局長だった有馬実成師との出会いが大きかったと思います。師と仰ぎ父と慕っていました。

師は「ボランティアなんてものはヒラメのようなものだよ。泥に這いつくばって底辺から社会を見ていくんだ」と言っていました。その通りの生き方をしたと思います。

そして、多くの日本人をスラムに案内し、実際にその目で触れさせ、問題の解決と自らの生き方の見つめ直しに示唆を与えてきました。スラムに住んでいなければできることではありません。

彼の活動の中から、スラムの図書館で学びタイ最難関のチュラロンコン大学に進学卒業して外交官になったオラタイさん、ラオス子どもの家に通い踊りながら学んで今はラオス国営テレビのニュースキャスターになったスニターさんなど、逸材も育ってきました。

まさに、蓮を育てる泥の存在として八木澤は活動を続けてきました。熱い泥でした。

一昨日は、お別れ会というよりもお見送り会として接してもらいたいと思いました。

心配しないでください。あなたの愛息ケンちゃんは立派に親族代表挨拶を務めましたよ。

「お父さんはいつも、自分のためじゃなく人のために生きなさいと教えてくれました。」ちゃんと受け継いでいます。

なので、あたたかく、熱く見送りたいと思います。

ありがとう八木澤、さようなら八木澤。

 

今週の一言

「蓮を育てる泥となろう」

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

 

 

 

 

 

 

 

 


サンデーサンライズ507 新潟にて

2025年02月23日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第507回。令和7年2月23日、日曜日。

 

新潟に来ています。

昨日は新潟県第4宗務所布教師研修会における法話でした。

布教師の研修会ということで、当初それ向けの講演の準備をしていましたが、1週間前によく聞けば檀信徒も加わった「法話会」なのだと分かり急遽内容を変更して臨みました。

たっぷり90分の時間をいただいたので、色々な話をさせていただきました。

盛り込み過ぎと分かってはいましたが、たっぷり時間があるとあれも言いたいこれも言いたいとついついてんこ盛りになってしまいます。聴く側で取捨選択してもらえればと思います。

皆さんに申し上げたのは「聴き流して欲しい」ということ。

ただぼんやり話を聴いて、それでも最後に何か心に引っかかるもの、心に残ったものがあれば、それが今のあなたに必要なもので、それ以外のものはあってもなくてもどうでもいいものだから忘れてもいい、ということ。

メモを取ったとしても、後から読み返すことはほとんどないでしょうし、レジュメを配っているのでそれを見ればある程度のことは思い返せるでしょう。

メモを取ることで話が頭に入らないこともあるので、まずはぼんやりでもいいので顔を見て話を聴いて欲しいと思っています。

そう考えるのは、以前に新聞で読んだコラムが頭に残っているからです。

平成26年4月18日の山形新聞、気炎「講演考」。

「<自分に本当に必要なことは忘れない。忘れるのは自分に必要ではないからだ。だから頭のいい人は講演を聴くときメモを取ったりはしない>ー仕事に就いたばかりの私にある先輩がこう教えた。何もかも忘れたその果てに、それでも残るものこそ教育である、という言葉もある。忘れることを恐れずに「時産時消」の講演を楽しむのがいい。忘れた先に何が残るか、それを楽しみたい。」(天見 玲)

さて、昨日の法話で聴衆に何か残ったでしょうか。何も残っていなくてもそれはそれで「時産時消」「場産場消」「一期一会」の講演なのでしょう。

終ってから宿に泊めていただき、打ち上げというか懇親会というか、懐かしい和尚さんたちも駆けつけてくれて賑やかな新潟の夜となりました。

 

2月に入ってから大雪が降り、除雪に追われる日々が続きました。

留守にしていた期間もあり、その間甥っ子が除雪作業をやってくれました。

屋根から落ちた雪と屋根の雪がくっついてしまい、放っておくと凍る時に軒の垂木を壊してしまうことになるのでどうしても切り離しておく必要があります。

庫裡の裏まで除雪機を回し、切り離して飛ばす作業が今期は3回に及んでいます。

更にどうしても溜って落ちない屋根の合わさり目の雪は手作業でおろすしかありません。

今年は大雪になると予想されながら、1月までの様子ではたいしたことないと高をくくっていましたが、結果的に予想通りとなりました。

仕方ないですね、昨年の雪不足による農作物への影響を考えればこの雪があればこその特産品なのですから、雪国には雪があってのありがたさと受けとめなければなりません。

昨日の新潟までは車で来ようと思っていましたが、やはり雪の峠越えが心配で新幹線にしました。

大宮回りなので時間は多少かかりますが、講演時間に確実に間に合うために安全策を取りました。

今日これから戻ります。

 

そういえば、今日2月23日は中島みゆきさんの誕生日でした。73歳になりましたね。

札幌生まれですが、やはり今年のように雪が多かったでしょうか「美雪」と名付けられました。

中学時代には母の体調不良で実家の山形に身を寄せ、4か月間山形市立第6中学校に籍を置いていました。

どうしてこんな歌詞が書けるのかと不思議に思うほどですが、その観察力の鋭さ、共感力の凄さにただただ敬服するばかりです。よほど自分を深く見つめることがあったのだろうと思います。

歌詞だけであれば詩集でいいわけですが、その詩によりそう曲をまとわせ、その人間になり切って歌えるという、これはもう特別な能力という他はありません。

単なる歌手ではないと私は受け止めています。

こういう人とこの同じ時代に生きることができることを、本当に幸せに思います。

誕生日おめでとうございます。

 

今週の一言

「不要なものは残らない」

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。


サンデーサンライズ506 無常を学ぶ

2025年02月16日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第506回。令和7年2月16日、日曜日。

 

先週日曜日に上京し、昨日戻ってきました。

令和6年度曹洞宗布教師養成所の3回目で、研修道場に缶詰めで1週間を過ごしました。

今年度は主任講師を務めたため、1年間365日、養成所のことが頭から離れませんでした。

自分の持っているものしか出せない訳ですから、どうやったら全てを出し切ることができるか考えて考えて務めてきました。

ほぼ出し尽くして抜け殻のようになったつもりでしたが、自分が出した以上にいただいて受け取ったものが多く、一回り大きくなったかもしれません。もうこれ以上は増えなくてもいいのですが。それは体重の話です。

年間テーマを「法が良薬ならば」として、①根本苦、②社会苦、③生きがい苦に分類して3回学んできました。

現代社会の苦悩に仏教は「役に立つのか」という命題を立てて取り組んできましたが、それは現代に生きる僧が「役に立てているのか」を自らに問い、怠惰を恥じ、自らを鼓舞することでした。

50名の養成所員が、その人々の苦悩に向き合う法話作成に真剣に取り組んでくれました。

様々な場面を想定し、その救いとしての法、良薬を施そうとしてくれました。

大いに刺激をもらいました。

この歳になってこれほど学べることは幸せなことだと感じています。

全ての日程を終え、ようやく肩の荷が下りて、ため息をつきつき帰ってきたところです。

 

そして昨日2月15日は、お釈迦様のご命日涅槃会でした。

いつものように梅花講の皆さんに前日大量の涅槃団子を丸めてもらい、お供えして法要を勤めました。

涅槃図には、沙羅の林に横たわるお釈迦様を取り囲み、大勢の人々、菩薩、鬼神、動物、昆虫、いわば生きとし生けるものが泣いています。

 涅槃図の みな泣いていて あたたかし (阿部月山子)

2600年ほど前のこの場面はおそらく実際にこのような光景であったのだろうと思います。

お釈迦様は、聖人だとか立派な人だとかの前に「あたたかいお人」であったのだろうと想像します。

そのお人柄に接したすべての命が、あたたかい涙を流しているのだろう。

虫魚や草花に至るまで、そのあたたかいまなざしに触れたのに違いないと思います。

生まれた人は必ず死ななければなりません。

我々の最期も、お釈迦様のように、その人生を讃え、寿ぎ、あたたかく見送られる、そんな葬儀でありたいと思います。

現在の仏式の葬儀はお釈迦様の最期のお姿に真似て勤められます。

お釈迦様は生前から、頭寒足熱として頭を北にして休まれました。沙羅の林でもその通りでした。

ご遺体を「北枕」にするのはそこに由来します。

最期に弟子阿難に「水が飲みたい」と言われたことから「死に水」という風習に続いています。

お釈迦様が亡くなるのを悲しんで沙羅の樹の林の半分が葉を白く枯らしたと言われます。それが「四華(花)」となりました。

一番弟子の迦葉尊者は説法の旅に出ていて臨終に間に合いませんでした。旅先で一輪の枯れた花を持つ人に出会いお釈迦様が亡くなられたことを悟ったと言われます。それが「一本華」の由来です。

お釈迦様が誕生して7日目に亡くなられたとされる実母のマーヤ夫人が、天上から妙薬を投下したけど間に合わず、それを団子にして供えたとされる故事により「枕団子」となりました。

すべて、お釈迦様のお別れの様子を再現したいという思いから、行われ続けてこられたことでしょう。

死は悲しいことではあるけれど、あたたかい別れでありたいとのことだと受け止めています。

そこに仏教のありがたさを感じます。

 

「世は無常」であることを、徹底して腹落ちするからこそ、志を強くすることができます。

怠けてはならぬ、精進しなければならぬという志です。

その志を以て修行を続ければ、どんな人も悟りに至らないということはない、と仏祖は教えています。

涅槃図を拝む度に無常を観じなければなりません。精進せよ、弁道せよ。

 

今週の一言

「学ぼうとしなければ学べない」

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

 

 

 

 


サンデーサンライズ505 雪に耐える

2025年02月09日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第505回。令和7年2月9日、日曜日。

 

今季最大の寒波がやって来てドカッと降りました。

一晩に50㎝ほど積もるとなかなかのものです。他所では6時間に85㎝積もった所もあるとのことでその大変さが想像されます。

春になれば消えるとは言え、一時期でも大量に積もればその処理に難儀することは雪国でなければ分からないことでしょう。

ただ、雪に慣れていない地域に降られるのもそれはそれで大変だと思います。

テレビ報道を見ながら雪国の人は「それぐらいの雪で」と鼻で笑うことがありますが、大変なのは雪の量ではなくて慣れていないということなのですから、苦労はそれぞれなのだということです。

雪による事故も多発しますから、お互いに十分気をつけましょう。

 

何にしても他人の苦労というものはなかなか分からないものです。

他人の体の痛みも、どこが、どんな風に、どれだけ痛いのかは実際は分かりません。

痛みに強い人もいれば弱い人もいる、それぐらいでと言われても痛いと感じるのはその人ですから、誰かと比べて大したことないと判断されるべきものではありません。

昔あるテレビドラマで観たシーンを覚えています。ケガか何かで病院に入院している孫娘を見舞ったおばあちゃん、確かミヤコ蝶々だったと思いますが、「痛かったか、それは良かったなあ」と言う。

孫が「こんなに痛いのに何で良かったの?」と聞くと、おばあちゃんが「これからの長い人生には痛いことや辛いことがぎょうさんある。その時に、私はあの痛みに堪えられたんだから大丈夫、乗り超えられる、と思えるやろ」と教えるシーンです。

妙に納得した記憶があります。

他人の痛みは分からないけれど、自分の痛みは記憶として残り自分の中で比べることはできますね。

また、痛い思いをしたからこそ、他人の痛みを想像することもできます。「あの人の痛みは自分のあの時の痛みよりもっと痛いだろうか」と想像することができるものです。痛い思いも決して無駄ではありません。

 

永平寺で坐り詰めの坐禅をしていた時、朝から晩まで何日も坐っていると、もう足が痛いというよりも体全体で痛みを感じるようになってきます。

その時に頭に浮かんだのは「カンボジア難民の当時の痛みはこんなものだったろうか」という問いでした。

もちろん痛みの種類は違います。

食べ物がなくて餓死していく人、ケガや感染症で死んでいく人、強制労働で体が痛めつけられる人、暴行を受ける人、拷問を受ける人、目の前で親を殺される子どもたち。

どれほど血の涙を流しただろうか、どれほど体も心も痛かっただろうか。

それを想像すると、今のこんな痛みなどと比べようもないに違いないと、歯を食いしばり「痛みよ、もっとやって来い!」と奮起したことでした。

痛い経験をしたことのない人には、痛みそのものを想像することができません。

他人の痛さや辛さは分からないことではあるけれど、想像できて共感することができます。

その能力を我々は備えています。

脳内にミラーニューロンという細胞があり、それが共感や慈悲の元となると言われています。

なので、痛みを知る人ほど他人に優しくなりましょう。

自分と同じ痛みを味わわせたいと思うのは智慧のない考えです。

相手が痛い思いをしたからといって自分の痛みが軽減されるわけではないのです。

お釈迦様は「恨みは恨みによって解消されない」と教えました。

周りの楽しそうな人を見ると「何で自分ばかりこんな目に遭うんだ」と思ってしまいがちですが、よくよく見れば、誰しもそれぞれの悩みを抱え、苦労を乗り越えてきた人ばかりです。

自分の辛さや痛みを分かってくれる人も必ずいるはずです。

「禍福はあざなえる縄の如し」とは古いことわざですが、良いことや悪いことは縄目が表になったり裏になったりするように、現れたり消えたりするものだという意味です。

今楽しそうに見える周りの人にも辛い時期があったでしょうし、今辛い思いをしている自分にも楽しい時があったじゃないですか。

自分が辛い時は相手の楽しさが憎らしく見え、自分が楽しい時は相手の辛さに気がつかないものです。

みんなそうなのですから、「何で自分ばかり」と思うのは間違いです。

今の痛さ辛さは慈悲を養うエネルギーだと受け止めてジッと耐えていきましょう。

ということで、この大雪も自分を鍛えてくれる恵みの栄養ですから頑張って除雪しましょう。でも大変だよね。気をつけてね。

 

今週の一言

「耐えなければならないときは耐えた方がいい」

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

 

 

 


サンデーサンライズ504 サンセット

2025年02月02日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第504回。令和7年2月2日、日曜日。

 

あっという間に1月が過ぎ、2月に突入しました。

2月も短いのであっという間に過ぎるのでしょうね。

しかし、うるう年の日数調整を2月にしたのは何故でしょうか。しかも、平年が28日でうるう年でも29日という短い月になったのは何故でしょう。きっと理由があるのでしょうねと思います。

 

久しぶりに劇場で映画を観てきました。

『サンセット・サンライズ』。

監督の岸義幸さんの実家が松林寺の檀家ということで観ておかねばならないと思っていました。

主演の菅田将暉が、リモートワークのお試し移住で震災9年後の三陸地方の空き家にやって来るというところからストーリーは始まります。

その大家の井上真央がきれいだった。

2020年、コロナ過の真っただ中。首都圏から人が来るというだけで大騒ぎになる田舎のあるある。

そこに震災後の人口減少、空き家の増加で疑心暗鬼が加わる。

津波で大切な人を失った人々がどのように前を向いていくのか、そこまでにどれほどの葛藤があるのか。

他所の人は被災地の人とどうつきあえばいいのか。

古民家の再生も絡めて、一度沈んだ太陽がまた昇るというテーマに結んでいく。

「サンセット・サンライズ」の順序が重要な意味を持っています。

ただ、正直に言えば若干期待外れでした。宮藤官九郎の脚本ということに期待しすぎたかもしれません。方言や演出がベタ過ぎて自然に楽しめなかったきらいがあります。

それにしても三陸の海の幸はどれも旨そうだった。今度塩辛を白ワインで試してみよう。

 

先日東京からの帰り、迎えに来てくれたカミさんと食事することがありました。それ自体は珍しいことではありませんが、入ったのは初めての「まるまつ」というファミレスでした。ファミレスにほとんど入ったことがありません。

疲れてもいたのでパッと目に就いたものを注文し待っていました。

メニューは麺類から定食類、居酒屋メニュー、デザートと豊富に揃っています。もちろんアルコールもあります。

それを眺めていたカミさんが一言、

「古希の祝いここでいいんじゃない」。

「・・・」。

私、今年数え年の古希を迎えます。

娘たちが家族で温泉でも行きたいと提案しているようです。財布はこちら持ちですが。

それを踏まえた一言です。

そうねえ、安いしねえ、好きな物食べられるし、安いし・・・

だけど、そうなの?

彼女は、よく考える前に浮かんだことを口に出してしまう傾向があります。

別にいいけどね。子どもたちのメニューもあるし。

 

思い出すのは、結婚何周年目かのときに、「どこかへ行こうか」と言うと、

「そうだね、どこがいいかなあ、あなたも行く?」と。

「・・・」。

どうも娘とどこかへ行くことを頭で考えたらしい。

つまらないこの人と何十年も一緒に暮らした自分へのご褒美、てなところでしょう。

いいけどね。でも、結婚記念の旅行って、そういうもの?という感じ。

結局そのままになってしまいました。

今年は実は結婚40周年になっています。

懲りずに「どこかへ行こうか」。

「九州へ行ったことがない」というので、早速観光地を調べてどこへ行くか、泊まりたい宿の検索、飛行機のルートも調べて、3月頃ならとスケジュールも考えて、費用も計算して、エクセルにまとめました。こういう作業が大好きです。

私としては行く気満々でした。

ところが、ちょうどその頃娘の里帰り出産とかぶってしまい、他の日程の予定が立ちません。あえなくお蔵入り、意気消沈してしまいました。

ま、二つ併せてファミレスでの豪華食べ放題の大盤振る舞いが関の山かもしれません。

 

今週の一言

「沈んでいる時間も無駄ではない」

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

 

因みに、東北管区教化センターのテレホン法話「心の電話」は今月1日から10日まで私が担当しています。

タイトルは「うぐいす餅」よろしければ、022-341-1531 まで電話してみてください。


サンデーサンライズ503 トランプ占い

2025年01月26日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第503回。令和7年1月26日、日曜日。

 

先週は屋根の雪下ろしをした話をしたばかりですが、あの後気温が上がり更に雪ではなく雨が降り、屋根の雪はすっかり融け、参道も地面が露わになりました。

気温も降雪も乱高下している異様な冬です。

昨年は小雪により農作物に影響が出ました。今年も続くのかと心配されます。

地球温暖化は、人間が気づいている以上に深刻化しているのかと思われます。

 

アメリカの大統領が就任早々、パリ協定からの離脱、WHOからの撤退など、大きな政策転換令をいくつも発令しました。

さほど影響のない小国であればまだしも、世界トップの国の決定が地球レベルで未来に大きな禍根を残さないか、とても心配されます。

特に地球環境は、一旦壊れてしまえば元に戻すことはほとんど不可能ともいえるもので、目の前の経済のために犠牲にされるべきことではありません。

この状態を例えて言えば、1階が火事になっているのに2階で宴会をしながら儲け話をしているようなものです。

とにかくまずは早く宴会をやめて酔いを醒まし、1階の火を消さなければ、やがてみんなが焼け死んでしまうでしょう。

アメリカの黄金時代をつくるだとか。アメリカ国民にとってはそれは歓迎されることかもしれませんが、アメリカ一国のために地球環境を犠牲にし、弱い国、弱い人々を犠牲にすることになることは間違いありません。

それが近い将来、全世界の人々にどんな形でしっぺ返しとして現れてくるか、怖ろしさを感じます。

生きとし生けるもの、全ての命はつながっていて互いに影響し合っているのだから、一部の人間の幸せのために犠牲になっていい命などあるはずもなく、一部の命を不幸にすることはやがてすべての命の不幸につながります。

GAFAと呼ばれる世界を牛耳るような大きな企業が全て大統領に随う姿には、経済のために魂を売る卑屈な醜さを感じます。

経済が悪いわけではありません。すべきことの優先順位の問題です。

きっと、他の国々もおこぼれにあずかろうと尻尾を振って追随していくのでしょう。

地球環境の悪化は益々スピードを上げるでしょうね。

現大統領が代わるまでの間に危機がどれほど増大するのか、ああ怖ろしい。

高齢のあの人はそう遠くない年に死ぬでしょう。華々しい人生を自己賛美しながら。

そして取り返しのつかない地球でこれから生きていく若い命がその犠牲になるのです。

 

地球温暖化の危機は待ったなしですよ。

考えてもみてください。

雪が降らなければ農作物に影響が出ることはちゃんと知ったじゃないですか。

さくらんぼも米もキャベツも、適地でなければ育ちません。適地を追いやっているのは人間です。自分たちです。

海水温上昇により漁業にも大きな影響が出ています。

毎年各地で局地的な豪雨が降り大きな被害が出ることはもう痛いほど分かったじゃないですか。

異常な他人事ではありません。全ての人に明日起こることです。

大きな山火事、砂漠化、海面上昇。地球は悲鳴を上げて荒れ狂っているのです。

やがて水不足、食糧不足が広がり、その争奪による紛争や戦争が起こるのではないでしょうか。

なのにまだ2階で宴会を続けますか。自分だけよければそれでいいですか。

自分はもう将来がないと無責任なお年寄りを決め込みますか。

子どもたちに安全な環境を残すのは大人の責任です。

いつからこんなに我利我欲が大手を振って偉そうにするようになったのでしょうか。

公序良俗が社会の指針でなければ人間は我欲のために滅んでいくでしょう。

人間ばかりではありません。人間が環境を破壊することで地球上のすべての命が危機にさらされるのです。

現地球において最も後に生まれた人間という種族が、それまでのとてつもなく長い時間をかけて環境を整えてくれたありとあらゆる生命を一瞬にして葬り去るのです。

言ってみればそれは、先祖を殺すことです。

命の根源を殺して子孫が生きていけるはずがありません。

恐竜の時代を終わらせたのは隕石の衝突と言われますが、人間は外的な原因ではなく自らの行為によって絶滅していくのです。

人間は地球にとっての癌細胞にすぎないと言われる所以です。

バカですねえ。そこまでバカならば仕方ありません。滅びるしかないでしょう。

その方が地球にとっては健康体なのでしょうから。

もしかしたら、人間をこの星から振るい落そうという地球の免疫作用なのかもしれません。

 

久々に毒を吐いてしまいました。

 

今週の一言

「まずは1階の火を消そう」

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

 


サンデーサンライズ502 人生は短いのだ

2025年01月19日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第502回。令和7年1月19日、日曜日。

 

喪失感をかなり引きずっています。

単なる仲間ではなかったんだと改めて感じます。

 

13日山形に帰って、14日はお寺の「おさいど」。16日は小正月と、正月行事が続きました。

出かける直前からまとまった雪が降り、水分の多い雪のため重くて難渋しています。

屋根の雪が落ちず、茶の間の障子戸が開かなくなりました。

昨日は何とか雪下ろしを決行しました。

息子と甥っ子が手伝ってくれて何とか難儀なところは終わしました。

甥っ子がネットオークションで20万円で購入したという30年物の中古除雪機を持ってきました。

彼は自分で整備もできてしまうので、こんな年代物でも使えるようにしてしまいます。

寺のガソリン16馬力よりも大きい30馬力ディーゼルなので力が強く、重い雪もよく飛ばすので十分に使えます。

今除雪機がなければ雪国は立ち行きません。

 

昔の冬を思い返してみると、私が高校生の頃まで参道は踏み固めていました。

踏み俵と呼んでいたのか、藁で作った俵のような大きな履物で一歩一歩踏み固めて道を作るのでした。

降って踏み降って踏みなので、道はどんどん高くなります。

国道から参道に階段を作って上がり、山門で階段を下りてまた上がり、玄関でまた下りるという道でした。

車という考えは全くありませんでした。

春になると踏んだところだけが馬の背のように高くなり、踏み外すと大きくぬかってしまうのでした。

いつの頃からか車対応になり、地下水の消雪設備を備えて対応していました。

しかし、長い参道を水できれいに消すのは難しく、消え残った雪の島を車が通るとそこがだんだん固く高くなり車の通行にも支障を来します。またそれを処理するのに苦労していました。

ということで、私が住職して数年経ってから除雪機になりました。

雪が降ると朝1時間半は除雪にかかります。

雪国でなければこんな苦労も経費も必要ないのにとは思いますが、ここで生きている者にとってこれが当たり前だと思えば何とかなるものです。

他所と比べても詮なきことです。

タイのような常夏の国であればと考えても、そこにはそこの苦労があるでしょう。

 

この限られた自分の命、もちろん自分の持ち物ではありませんが、自分の意思で使えるこの命。

住みたいところに住むという選択もありますが、ここに生まれここで育ったという抗えない経過があります。

今さら他所で暮らすという煩わしさを選択するより、ここでこの中でどう生きるのかという生き方に注力した方が楽なように思えます。

後わずかの残り時間、環境の条件ではなく、毎日のルーティンの中でどう生きるのか。

他所と他人と比べるよりも、自分の生き方を調えていく。

環境を変えたいと強く思うことはありますが、年齢とともに思いが自分に向かっているように思います。

時間を自分を調えることに使っていく、もうそれぐらいしか有効な時間の使い方は残されていないのではないか、と思います。

まず起きたら顔を洗う、歯を磨く、仏様に手を合わせる。

手を合わせることができることがとても大きな宝だと言えます。

合掌は、他を敬い、感謝し、自らの慈悲心を養い、自らを装う美しい姿です。

合掌して食事をいただきます。食べられることは当然のことではありません。

自分の仕事、役割があることはありがたいことです。誰からも必要とされないことは悲しいことです。

今日自分が使える命がここにあることを感謝していきましょう。

人生は実に短い。いつ終わりが来るか分からない実に儚い命です。

 

今週の一言

「人と別れる度、命について考える」

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

 

 

 


サンデーサンライズ 番外 穴を埋めるもの 

2025年01月13日 20時06分05秒 | サンデーサンライズ

1月13日

タイで八木澤の葬儀に立ち会いお別れをしてきたことを報告します。

10日バンコクの空港から真っすぐ葬儀会場のお寺に向かいました。

8日、9日、10日と3日間、18:00から読経が行われるとのことで、10日の読経が本葬という位置づけのようでした。

タイの仏式で執り行われるのですが、日本人でもあるし、長く曹洞宗の関係者とかかわってきたこともあるので日本の仏式の読経もさせてもらいたいと思い準備していきました。

頼まれもしないのに勝手に戒名を付けて血脈も準備しました。

戒名は「慈海昌道禅居士」としました。

「慈海」は海のように広大な慈悲心という意味になりますが、師匠ともいうべき有馬実成師の戒名「真海実成」から「海」を一字いただきました。

「昌道」は「克昌」の一字を使い、明らかな道、堂々とした公明正大な生き方をしたという意味になりますが、もう一つ、SVAの初代会長の「大満然道」から「道」一字をいただきました。

そしてもう一字「禅」を加えさせていただきました。

「シャンティ」は「寂静」という意味があります。静けさの意味ですが、それは「禅那」ですから「禅」に「シャンティ」の意味を込めました。

タイ式の読経の後、時間を頂戴し、現理事の僧侶二人と授戒を行い血脈を授けました。

 

11日は、読経、法話の後境内の火葬場で荼毘に付されました。

この日も大勢の方が彼を偲んで参列してくれました。

シャンティの、タイ、カンボジア、ラオス、ミャンマー、ミャンマー難民キャンプの各国事務所スタッフ、元スタッフも日本、カンボジア、ラオスから、彼の活動を取り上げてくれた新聞記者、スポンサー企業、団体等など、本当に大勢の方が集まってくれました。

しかしこんなものではないでしょう。

ここに来られなかったシャンティファミリーのアフガニスタン、ネパールはじめ各国の関係者、友人知人、支援を受けたタイ国内外の人々、また日本の中にも断腸の思いで参列できなかった人々がどれほどいただろうかと思います。

あまりにも急でした。

12日は夜明け前にお骨を拾うのが習慣のようで、収骨の後さらに読経。

そして骨壺に納めました。

病気をした後遺言を遺していたようで、その遺志によりチェンカーンのメコン川に家族で散骨することになりました。

その一部を分骨にして、一つはバーンサワイの有馬さんのストゥーパに納めることと、先に亡くなった野村耕健師のお骨と一緒に静岡に納めることになりました。

八木澤と野村さんは師弟でもあり兄弟でもあるような間でした。その野村さんの葬儀が行われたのは2017年の何と1月10日11日、全く同じ日だったのです。何と奇遇なことか。

おそらく「ビール持ってこい」と呼ばれたのかもしれません。ちょっと早かったですね、野村さん。

日本におけるお別れ会は、日を改めて行うこととなりますが、詳しくは今後情報が流れると思います。

 

ぽっかり空いた心の空虚な部分はしばらく埋まらないと思われますが、くじけそうになったり諦めそうになった時、八木澤の慈悲心を思い出し、行動によって抗っていく、空虚な穴を埋めていくためにはそれ以外にありません。

心より慈海昌道禅居士の冥福を祈ります。ご家族を見守ってくれますように。合掌