なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンデーサンライズ 番外 穴を埋めるもの 

2025年01月13日 20時06分05秒 | サンデーサンライズ

1月13日

タイで八木澤の葬儀に立ち会いお別れをしてきたことを報告します。

10日バンコクの空港から真っすぐ葬儀会場のお寺に向かいました。

8日、9日、10日と3日間、18:00から読経が行われるとのことで、10日の読経が本葬という位置づけのようでした。

タイの仏式で執り行われるのですが、日本人でもあるし、長く曹洞宗の関係者とかかわってきたこともあるので日本の仏式の読経もさせてもらいたいと思い準備していきました。

頼まれもしないのに勝手に戒名を付けて血脈も準備しました。

戒名は「慈海昌道禅居士」としました。

「慈海」は海のように広大な慈悲心という意味になりますが、師匠ともいうべき有馬実成師の戒名「真海実成」から「海」を一字いただきました。

「昌道」は「克昌」の一字を使い、明らかな道、堂々とした公明正大な生き方をしたという意味になりますが、もう一つ、SVAの初代会長の「大満然道」から「道」一字をいただきました。

そしてもう一字「禅」を加えさせていただきました。

「シャンティ」は「寂静」という意味があります。静けさの意味ですが、それは「禅那」ですから「禅」に「シャンティ」の意味を込めました。

タイ式の読経の後、時間を頂戴し、現理事の僧侶二人と授戒を行い血脈を授けました。

 

11日は、読経、法話の後境内の火葬場で荼毘に付されました。

この日も大勢の方が彼を偲んで参列してくれました。

シャンティの、タイ、カンボジア、ラオス、ミャンマー、ミャンマー難民キャンプの各国事務所スタッフ、元スタッフも日本、カンボジア、ラオスから、彼の活動を取り上げてくれた新聞記者、スポンサー企業、団体等など、本当に大勢の方が集まってくれました。

しかしこんなものではないでしょう。

ここに来られなかったシャンティファミリーのアフガニスタン、ネパールはじめ各国の関係者、友人知人、支援を受けたタイ国内外の人々、また日本の中にも断腸の思いで参列できなかった人々がどれほどいただろうかと思います。

あまりにも急でした。

12日は夜明け前にお骨を拾うのが習慣のようで、収骨の後さらに読経。

そして骨壺に納めました。

病気をした後遺言を遺していたようで、その遺志によりチェンカーンのメコン川に家族で散骨することになりました。

その一部を分骨にして、一つはバーンサワイの有馬さんのストゥーパに納めることと、先に亡くなった野村耕健師のお骨と一緒に静岡に納めることになりました。

八木澤と野村さんは師弟でもあり兄弟でもあるような間でした。その野村さんの葬儀が行われたのは2017年の何と1月10日11日、全く同じ日だったのです。何と奇遇なことか。

おそらく「ビール持ってこい」と呼ばれたのかもしれません。ちょっと早かったですね、野村さん。

日本におけるお別れ会は、日を改めて行うこととなりますが、詳しくは今後情報が流れると思います。

 

ぽっかり空いた心の空虚な部分はしばらく埋まらないと思われますが、くじけそうになったり諦めそうになった時、八木澤の慈悲心を思い出し、行動によって抗っていく、空虚な穴を埋めていくためにはそれ以外にありません。

心より慈海昌道禅居士の冥福を祈ります。ご家族を見守ってくれますように。合掌


サンデーサンライズ501 大切な人との別れ

2025年01月12日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第501回。令和7年1月12日、日曜日。

大切な人が亡くなりました。

八木澤克昌、シャンティ国際ボランティア会理事、66歳。

改歳を祝ったばかりの7日、訃報が飛び込んできました。

急遽タイに飛び、10日11日、葬儀並びに火葬に参列しました。

出会いは年が明けたので45年前、1980年8月でした。

サケオ・カンボジア難民キャンプの近くバンキャンに借りていたボランティアの宿舎。

22歳の八木澤青年でした。

以来人生の3分の2を同じ方向を向いて歩いてきました。

同志、仲間、心友、真友、畏友、善友、悪友、同胞、師匠、兄弟・・・・・・

どれも当てはまる相手でした。

例えば中島みゆきの『二隻の舟』のような。

以下は彼が還暦を迎えた時のお祝い会に寄せた文章。

ミパドの男

「八木沢克昌23歳ボランティア」と、カンボジア難民キャンプの活動記録映画『祖国なき人々』に紹介された青年は、還暦を過ぎて尚社会の底辺に暮らす人々と共に生きている。

この男を動かすのは、熱い思いと、酒。口にするのは「ミパド」。ミッション・パッション・ドリームの略だが、この男こういうキャッチフレーズがすこぶる好きだ。酒を飲んでは永遠に握手を繰り返し熱い思いで体当たりする。時には熱苦しいほどだ。

絶滅危惧種のようなこんな男と同じ時代に生きてこられたことを生涯の喜びと感じる。

この男を評するエピソードや功績は枚挙にいとまはないが、その一つとして「アジア子ども文化祭」を挙げたい。

タイのバンコクスラムで始まったこの事業。普段は底辺に埋もれて浮かぶことのない子どもたちにスポットライトを当て、ステージに上げて主役に仕立てていく。

私が初めて立ち会ったのはラオス開催の時だった。

タイ、カンボジア、ラオス、ベトナム、ミャンマーからやってきたそれぞれ困難な事情を抱える子どもたち。国籍をシャッフルしてグループ分けされ、言葉も通じないまま音楽を共通言語にして数日間を過ごす。

ステージではそれぞれの国を代表した伝統舞踊を嬉々として披露する。その晴れやかさ。どれほど誇らしく自信につながったことだろう。

フェアウェルパーティでは、「また会おうね」と言い合うのだが、自分の環境を考えればそれがほとんど不可能だと分かっている。だから、涙を流し、抱き合い、いつまでも別れを惜しむ子どもたち。

八木沢は言った「虹は別々の色が集まり一つになるから美しいのだ」と。

自らの根差した文化を大切にするからこそ、他の存在も大切なのだと気づいていく。平和の礎はそこにあるのではないか。それを肌で感じさせ、気づかせてくれるのが「アジア子ども文化祭」だった。

こんな発想ができ、実行ができるのはこの男しかいない。ミパドの男。

草創期から現在まで、自分の嗅覚で発見し、自分の肌で感じ、自分の体で動く。まさに、SVAシャンティの体現者。八木沢克昌の足跡がそのままシャンティの足跡となるだろう。

ただ心配なのは、男の体調だ。酒を飲まない八木沢の魅力は半減するが、ほどほどということもそろそろ身に着けて長持ちするように願いたい。まだまだ杯を交わしたいからだ。

三部義道(八木沢の還暦を祝う会パンフレット用)

45年間、アジアの子どもたちに寄り添い続け、スラムの中に住み、「共に生き、共に学んで」きた生涯。

その姿は日本の道徳の教科書に載り、外務大臣賞も受賞しています。

大学の時は山岳部で、ヒマラヤの山も登ってきた体力に自信のある男でした。

ところが、2021年に脳の痙攣のような症状で倒れ数日間意識のない状態が続き、家族には「覚悟しておいてください」と告げられました。


八木澤ももうダメかと半分あきらめかけましたが、驚異的な回復で全く病気を忘れてしまうような状態まで戻っていました。

もしかして、この男不死身なのではないかと思わせるほどでした。

しかし、それは外見で、体の内部では静かに病気が続いていたのだと思われます。

7日朝、バンコクの自宅で倒れたままの状態で発見されました。亡くなったのはその前の晩かもしれません。

昨日の葬儀にはタイの要人、日本大使、アジア各国、日本からもたくさんの人々が参列し別れを惜しみました。

シャンティファミリーの中心にあなたはいました。

彼の関係の広さ、つき合いの深さ、人を感動させる熱意を、改めて肌で感じました。

年齢とともに別れが増えるのは当然のことであり、仕方のないことですが、それにしても大きな存在、心の支えを失ってしまいました。

しばらくは放心状態が続くと思われます。

ヤギちゃん、ありがとうございました。楽しい想い出をたくさん作りましたね。これからもあなたと一緒に生きていきます。さようなら。

今週の一言

「別れは突然にやって来る、だから今日」

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。


サンデーサンライズ500 改歳を祝う

2025年01月05日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第500回。令和7年1月5日、日曜日。

 

新年明けましておめでとうございます。

2025年、令和7年という年を迎えました。

そして、このサンデーサンライズがついに500回目となりました。

 

ブログの書き始めは、2008年9月。16年前のことになります。

紙で出していた月刊寺報、松林寺の『いちょう』宿用院の『なあむ』をブログとして転載したのが始まりです。

やがて寺報は止めてしまい、こちらのブログのみとなりました。

左の欄にあるような(PCの場合)色んなカテゴリーに分けてその時その時の思いを書き綴ってきました。

これ以外のカテゴリーもありましたが公開をやめたのもあります。

2015年4月からは「三ちゃんのサンデーサンサンラジオ」と題して、毎週日曜日の朝に書くようになりました。

あえてラジオの態をなしていたので「このラジオはどこで聴けるのですか」と問い合わせをいただいたこともありました。

単に語呂合わせで思いついたタイトルでした。

地元の商店を勝手にCMのように流したり、今週の歌というような感じで音楽を挿入しました。それは全て中島みゆきの曲でしたが、著作権に引っかかるという理由で公開停止処分となりました。

仕方なく、全ての楽曲(歌詞だけですが)を削除した経緯があります。

そんなこともあり、その後、タイトルを「サンデーサンライズ」に変更しました。

そしてその通算が500回を迎えたということです。

 

1週間がこのブログを中心に回っていたという感があります。

次は何を書こうかと、常に探しているのが日常になっています。

下書きしてから何度も読み直して校正するので、早い時は木曜日あたりから書き出したりします。

その場でスッと書き上がることもあれば、難産することもあります。

出先で書くことも度々です。タイやブラジルから送ったこともありました。

困るのはWiFiが通じない宿で日曜日の朝を迎えた時です。

仕方なく、携帯電話からテザリングで送ったりしました。

それでも毎週何とか継続していけば500回という大台にも乗るのだと実感しています。

 

尊敬する秋田の亀谷健樹老師がはがき伝道を始められたのがいつの頃か、定かではありませんが40年は経過しているものと思われます。

昨年特派巡回で秋田を回らせていただいた時の教場の一つが太平寺様、亀谷老師が東堂を勤めるのお寺でした。

何十年かぶりにお目にかかり、失礼ながらご存命とも思っていませんでした。96歳におなりのはず。

初正見の頃、「はがき禅」と題した伝道はがきを毎月2回発行されているとお伺いし、素晴らしいと敬服していました。当時はガリ版刷りでした。

昨年お訪ねすると元気にお迎えいただき、茶室でお茶をいただくことができました。

その際、「あのはがき伝道はいつまで続けられたのですか」と過去形でお尋ねすると、何と「今も続いている」と。

大変失礼なことを聞いてしまいました。

以来月2回送られてくる「はがき禅」は、最終12月15日号で1096信を数えています。

それから考えれば半分にも到達していません。まだまだです。

 

それはそれとして、一つの区切りとしての500回。

先週お約束したように読者プレゼントを準備しました。

以下の写真の手ぬぐいと刺繍シール(5×7㎝)です。

ご希望の方は、メールshorin@cup.ocn.ne.jpまでお報せください。

先着10名様まで、なくなり次第終了となります。

今週の一言

「継続は力なり。めざせ1000回!」

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。