昨日菅野村長の話を聴きました。
飯舘村は人口6000人。
公共施設をじゃんじゃん造るような箱物行政はできない。
牛が3000頭いる自然豊かな村で、スローライフを目指そう、と思った。
「スロー」というと、経済的に後退するようなイメージがあって反発があったので、「までい」という方言に注目して「までいライフ」にした。
「までい」とは「真手」からの派生語で、「両手で」「丁寧に」「大切に」「心を込めて」などの意味が含まれている。
までいライフ提唱から7年目だった今年まで、色々な事業を展開してきた。
「までいピンポン大会」。相手の取りにくい球を返して勝ち負けを競うのではなく、相手の取りやすい球を返して、どれだけ長く続けられるかを競う卓球。
「ハーフチケット」制度。文化ホールなどを建設する資金はないが、東京などでの文化施設を利用した時の半券を持参すると、入場料の半額を補助するという制度。施設が無くても文化は養える。
「までい子育てクーポン」。お金そのものを配るのではなく、村内で買い物してもらうことと子育てをセットにした。
などなど、「ないものねだり」から「あるもの探し、あるもの生かし」を目指す事業を行なってきた。それは、大量生産、大量消費の足し算の生き方から、本当に大切なものは何か、を考える引き算の生き方への転換でもあった。
そんな中で原発事故は起きた。
全村避難。避難生活はとてつもなく大変。
知らない土地で痴呆症の進んだ老人。何もすることがないのでパチンコに耽る者。住宅・食事が与えられ、補償金をもらい、働く意欲を失っていく。
避難のストレスの方が放射能汚染より怖いとさえ思える。
でも、国の責任や東電の責任ばかりを追求していても、何も改善されない。
自分たちのことは自分たちで何とかしていかなければならない。
除染で出た土は、自分たちの村内で保管しようと決めた。
そして、最後に、「今回の大事故がきっかけで、日本人が価値観の転換を図り、次の世代の人たちから、あの時の福島の人々の苦しみがあったからこそ、日本は世界から尊敬される国になった、と評価されなければ、今の我々の苦しみはあまりにもつらい」と結びました。
村長と言葉を交わし、「まけないタオル」を飯舘村全世帯、避難している2700軒に配ってもらえるようになりました。
今後の支援活動を模索しています。