なあむ

やどかり和尚の考えたこと

チャイティーヨー

2015年11月26日 15時20分40秒 | ふと、考えた


前回のサンサンラジオで報告しましたが、先日のミャンマー旅行で訪れた観光地チャイティーヨーについてもう少し詳しくお伝えしたいと思います。

これまで東南アジアの何カ国かを訪れ、それぞれの観光地を見てきました。
世界遺産登録第1号である巨大寺院遺跡カンボジアのアンコールワット。
古都の街全体が世界遺産のラオスのルアンパバーン。
タイとカンボジア国境の落差500メートルの断崖絶壁に立つ天空の遺跡寺院プレアヴィヒア(カオ・プラビハーン)。
それぞれ素晴らしい名勝だと感動してきました。
一生のうちに一度は訪れたいところと推薦するところです。



しかし、今回チャイティーヨーを訪れ、申し訳ないですが、これまでの感動が薄れてしまうようでした。
ここが他の遺跡と違うと感じたのは、強烈な信仰の対象としてのパワーです。



ミャンマー語で「チャイ」はパゴダ(塔)、「ティーヨー」は石を意味していて、断崖絶壁の上に落ちそうで落ない絶妙なバランスで乗っかっている石そのものをパゴダとして信仰の対象にしています。



上から下から、石の周りを一周できますが、男性のみ石のそばに行って金箔を貼ったり触ったりすることもできます。



私もそばまで行き、みんなと同じようにお祈りを捧げました。
祈りたいことが次々浮かんできて、手を合わせて心から祈っているうちに気持ちが昂ってくるのを感じました。
そっと石に触れたとき、得も言われぬ感動を覚えました。
涙が盛り上がってもきました。
参拝者はそれぞれ投地のお拝をし、お経を読んだり、お唱えごとをしています。
手に手にお盆に載せた花や供物を供えて線香をたきます。



夕方に登ってきた参拝者はこの山の上に泊まりますが、ホテルや簡易宿泊所に泊まるばかりではなく、山頂の広場にゴザを敷き、あるいはテントを張って、毛布や防寒具で身を包んで野宿します。
家族連れ、仲間同士、カップルが、もうピクニックのように、弁当を持ち、あるいは露天で食事を調達し、お祭りのように楽しそうに一夜を過ごしていました。





ここまでの経路は、首都ヤンゴンから車で4時間半。
麓で車を降り登山トラックに乗り換えます。
砂利を積むような大型トラックに腰掛ける座面と手すりが7列固定されており、その1列に必ず6名ずつ座るように促されます。立錐の余地もないほどギュウギュウ詰めです。
この状態で約1時間、曲がりくねった急な坂道をすごいスピードで登って行きます。
もうほとんどスプラッシュ・マウンテン状態です。
はじめ、どうしてバスではなくトラックなのだろうと不思議に思いましたが、こんな急な坂道を42名(運転席を入れれば45名か)の人間を載せて登るには、やはりトラックのパワーが不可欠なのだろう納得させられました。



とにかくすごいところです。
行くまでに時間と体力を要しますが、そんな苦労はすっ飛ぶような価値はあります。

私が到着したのはちょうど日没前でした。
チャイティーヨーの浮いた隙間から覗く夕陽が撮れました。
天気はいいし、最高のタイミングでした。



一生のうちに何としても一度は訪れていただきたいと、心からお勧めします。


誉められれば、うれしい

2015年09月02日 09時46分55秒 | ふと、考えた
子どもも大人も、いくつになっても、誉められればうれしい。叱られれば悲しい。
結局そういうことなのだろうと思います。
誉められて腹立つ人はまずいないのではないでしょうか。
叱られたことを、後から感謝することはあっても、その場ではやはり傷つき、悲しくなり、腹を立てたりするでしょう。
人を誉める人間になりたい。ニコッと笑顔になるような言葉を発する人になりたいと思います。

それは、他人に対してだけでなく、家族に対してもです。
「外面がいい」という言葉があるのは、他人に対してはいい顔やいい言葉を使うのに、家族に対しては仏頂面で、荒い言葉を発する人が少なからずいるからでしょう。自分もその一人です。

「苦労してこの子を育ててきたのは、こんな仕打ちを受けるためだったのか。親なんて、なんて悲しい存在なのだ。」
親にそう思われた瞬間、子どもは地獄に堕ちるでしょう。
後悔することは分かっていながら、なかなか優しくできない。口の効き方を変えられない。
多くの人がそうだからそれでいいということではないでしょう。

親に誉められれば子どもがうれしいように、子どもから誉められた親もうれしいに違いありません。
誉めることなど何もない、というのは子どもと比べるからかもしれません。
子どもは成長の過程で次から次へとできることが増えていくので誉められることも多いでしょう。親は、どんどんできることが減っていくので、叱られることはあっても誉められることは見つけにくいかもしれません。
でも、たとえば、昔の話を聞いて能く覚えているときとか、ちょっとした家事を手伝ってくれたときとか、ご飯をきれいに食べたときとか、いいうんちが出たときとか、衰えの中でできることはあるのではないでしょうか。
寝たきりであっても、着替えをさせてくれるのを楽なようにちょっと体を浮かせるとか。そういう気持ちの表れを誉めることはできると思います。

誉められればうれしい、叱られれば悲しい。
みんなそうです。

元気な大人も同じです。
当たり前のことを当たり前にやって、普通だということでも、自分にできないことは誉めてもいいのではないか。
宅配のお兄さんが、重い荷物を軽々と運んできたとき、「すごいねさすがプロだね」と声をかけたら、それはうれしいでしょう。次の家に行くときに笑顔になるかもしれません。
うれしさは連鎖するものです。

この世をうれしさの連鎖で包んでいく。悲しみの連鎖は断ち切っていく。
それが自分の言葉から始まります。そんなすごいことが自分にもできるのです。

このブログ読んでくれてありがとうございます。読もうと思ってくれたことがすごいですね。あなたは物事を感じる力がありますね。そして伝える力があると思います。


てづまり

2015年08月14日 17時47分50秒 | ふと、考えた
運動不足のためにウォーキングマシンで歩いているという話は以前に書きました。
お盆前、いつものように朝のお勤めを終えて30分のウォーキングをはじめました。
途中から左のふくらはぎに痛みを感じ、それでも何とか30分歩きました。
一日おいて翌日歩き出すと途端に前よりも強い痛みで、すぐに中止を余儀なくされました。
この痛みの具合はスキーで肉離れをしたときと同じような感じです。
歩く度に痛みを感じるので、整骨院に行きました。
症状を話すと、筋肉に傷がついたということで、やはり軽い肉離れという診断。
2週間ぐらいはおとなしくしてとのこと。

運動不足で体重が増え、膝も痛いし体が重くて仕方がない、せめて少しでも体を動かすようにとはじめたウォーキング。その軽い運動で筋肉を痛めて歩くことも出来ないと。
おまけに膝の痛みも増してきました。
お盆中のお勤めが20件ほど入っていて、正座をするのがつらく、椅子席を用意せざるを得なくなりました。
何とも面目ない。
もうどうすればいいのか。もう手詰まり状態。

諸悪の根源は体重。この体はいつまで成長を続けるのか。
いやいや根源は食事。食べるのが好きですね。
昨晩は納豆餅を二合ほどご馳走になってしまいました。
法事の席でも、供養を受けるのも役目と思うことからアルコールを飲み、かつ食事をいただきます。
連日そのような状態のお盆中は、益々成長の一途。
このままいくと、自分の体重でつぶれてしまうのではないかという恐れがあります。

左のふくらはぎに湿布に包帯、右の膝にモーラステープ。ガタガタの下半身です。
何とか体重を減らす方法はないものか。
お盆が終わってくれれば何とか。
だめだ、お盆が過ぎて秋風が吹いてくると食べ物が旨くなってくる。

ラジオの他

2015年07月31日 05時42分36秒 | ふと、考えた
「ラジオ番組もっているんですか?すごいですね」と真面目に聞かれることがあります。
サンデーサンサンラジオというのを始めてから、もしかして、本当にこういうラジオ番組があるのかと信じている方がいらっしゃるのかもしれません。
失礼しました。
どこかの放送局で実際に放送しているわけではありません。
このブログ上だけの仮想ラジオです。
それなりの意図をもって始めたものですが、ある方から「もう少ししっかりしたものが読みたいな」という感想をいただきました。
確かに、ラジオを想定している分、内容が話し言葉、聴きやすさ、短い話、を意識しているところはあります。
その分、ガッツリした話というものからは少し離れてしまったかもしれません。
過去のブログを読み返してみると、自分でいうのも何ですが、しっかりしたまとまった文章を書いていたなと我ながら思うところがあります。
それを楽しみにしてくださっていた方には物足りなかったのかと思います。

そこで、サンサンラジオはせっかく始めたのでもう少し続けますが、その合間に、思いついたことを単独で文章にしてみたいと思います。

中には定期購読のように毎日このブログをチェックしてくださっている方もいるようで、定期的にアップしないと申し訳ないという思いからラジオは始めたのですが、それはそれとして、不定期に思いを綴ってみようと思います。

これまでのブログの記事は、2008年から2013年までの分を「なあむ やどかり和尚の考えたこと」として1冊にまとめましたが、その後の分と大震災のものをまとめてみたいという思いが湧き上がっています。
来年の還暦を一区切りとして活字にしようかと考えています。

ということで、今後もどうぞよろしくお願いいたします。

グレートトラバースな日々

2015年04月11日 17時30分20秒 | ふと、考えた
4~6日、永平寺参拝の旅。
8~10日、特派布教師協議会で東京。
本日葬儀と、慌ただしく過ごした。

永平寺の旅は、予想通りの賑やかさだった。中でも我が愛する同胞たちは相変わらず超人的な体力で三日間飲み続け、食べ続け、しゃべり続けのバスの旅だった。
しかし、心配していた永平寺での夜は、隠れ酒も呑まず、9時前には消灯するという予想外のいい子ぶりで驚いた。
メリハリが大事。竹の節のように、締めるところは締めるから解放される喜びが味わえるというもの。
雨模様なのに、金沢兼六園や国上山五合庵では傘要らず、満開の桜も楽しめた。
 お酒飲む人 花ならつぼみ 今日もさけさけ 明日もさけ
などという都々逸もあるが、まさにそんな感じの三日間だった。


東京での協議会は、毎年この時期の恒例だが、研修道場に40人が雑魚寝の二泊三日。
缶詰状態で畳に座りっぱなし。
正座をしてもあぐらをかいても、膝が痛くて苦労した。
もちろん無呼吸の治療器具シーパップを持参。お陰で日中ほとんど寝ることなく話が聴けた。
地方にいると、周囲の環境に慣れてしまって、こんなモンでいいかなと甘えてしまうが、やはりたまには勝れた人々と邂逅して刺激を与えてもらわなければならないと実感。
怠惰な生活を見直さなければならない。

明日は檀務が6件、他寺の大般若会が1件、その後やなせななさんのコンサートへ仙台まで。
明後日とその次の日は仙台で布教資料撮影の監修、と、慌ただしさはまだまだ続く。
何だかグレートトラバースのような展開。

浪花節だよ人生は

2015年04月03日 09時45分10秒 | ふと、考えた
浪曲、浪花節は義理と人情を歌ったものが多い。
しかし、こういうものが流行っていた頃には、現代のような人を人とも思わぬような所業は少なかったように思う。浪曲の影響もあったのではないだろうか。
その中でも大好きな一曲は、初代春日井梅鶯の『天野屋利兵衛』。

忠臣蔵の仇討ちの道具を密かに揃えた大坂商人天野屋利兵衛だが、公儀に知られるところとなり、何のための道具かと拷問するが白状せず、息子由松が引き立てられ、焼けた鉄板の上を渡れと責められる。
自分のことならともかくも、まだいたいけな子どもまで責めるとは何事ぞと思うが、ここで白状すれば、見込んでたのまれた甲斐がない、天野屋利兵衛は男でござる、「由松、死んでくれ」と哀願する。
そこへ離縁した女房のスエがやってくる。夫と息子の姿を見て、日頃取引のあった赤穂藩のことを話し始めた。その時、取調役河内守は、核心を話そうとするスエの言葉を遮り、「黙れ黙れ~、天野屋、そちの言うとおり女房は気がふれておる」と言って取調をやめてしまう。
そこで河内守の台詞

~さては浅野の城代家老、大石殿にたのまれたるか夜討ちの道具、命に替えても白状せぬは、見込んだりやな内藏助、見込まれたりや天野屋利兵衛、いずれ劣らぬ~花菖蒲。
くど~く、調べるあかつきは、大石殿に縄かかる。さすれば長の艱難も、みな一夜の水の泡。
武士は束先三寸のよしみ、後日公儀におとがめあれば、三千五百石禄返納すればそれで良し。
それで足りないその時は、河内守がただ一人、腹切り死ねば事足れり。
義を見てせざるは勇みなし、人は一代名は末代。
何で惜しかろう~ア~ア~ン、この命~。

泣けるね。

中島みゆきも、『本日、未熟者』で、次のように歌う。
 野望はあるか、義はあるか、情(なさけ)はあるか、恥はあるか
 あいにく本日、未熟者 わたくし本日、未熟者

義理と人情、そんな臭い価値観も、人の道としての教えになっていたのだと改めて思うこの頃。
浪曲、浪花節に涙を流しながら、男としての生き方の参考とし、子どもたちを導いてきた、そんな昭和の社会に郷愁を覚える。

最近ね、運動不足解消のためウオーキングマシンで30分歩くのだが、何もしないと時間が長いので、浪曲、落語を聞きながら歩いている。涙を流しながら。

記憶の釣り堀また

2015年03月27日 10時06分06秒 | ふと、考えた
記憶の底に潜んでいた魚を釣り上げてしまい、その醜さにギョッと(さかな君か)する、ということをずいぶん前に書いた。
何気ないきっかけで古い記憶を釣り上げることはこれまでもしばしばあったのだが、ここのところ、もう何十年も浮かび上がってこなかった古い記憶を釣り上げることがあって、振り払おうと頭(かぶり)を振るだけでは足らず、うーと唸り声まで発する始末。
どれも醜い。
醜いのは、過去の出来事のシーンではなく、またその出来事に登場する自分以外の誰かではなく、自分自身の行いとその顔だ。
誰からも思い出されたくない記憶を、自分が思い出して自分を苦しめる。
あの時のあの人は、あのことを覚えているのだろうか、思い出すことがあるのだろうか。
自分自身はどうだ。
嫌なことの思い出には、もちろん思い出したくない相手の顔もある。思い出し未だに怒りがフツフツと湧き上がってくることもないわけではない。
しかし、自分自身の醜い思い出とは違う記憶のように感じる。
相手には怒りを感じるが、自分には醜さを感じる。
どちらが自分を苦しめるかといえば、それは自分の行為と言葉であるのは間違いない。
もちろん、相手を責めるか自分を責めるかの違いではあるが、苦しみの強さは自分自身の行いに対する記憶の方が勝ると思うのだ。
しかし、何十年も忘れていたものがなんで今頃、と思うのだが、ヒョッとしたきっかけで記憶が連鎖して浮かび上がってくる。
それも年齢のせいなのか。
この記憶の釣り堀には、はたして何尾の深海魚が潜んでいるのか。
これからも、底知れない暗闇の中から、思いがけず釣り上げてしまった醜い顔に、何度頭を振り唸り声をあげなければならないのか。
たとえば認知症になればこの記憶からも解放されるのか。
それとも、死ぬ間際まで、醜い記憶だけは残って自分を苦しめるのか。恐ろしいことだ。
全部、自分が産み落としてきた魚に間違いない。どんなに醜い魚でもつきあっていくしかない。

中島みゆき「友情」の一節
救われない魂は、傷ついた自分のことじゃなく
救われない魂は、傷つけ返そうとしている自分だ


マッサンと仏教

2015年03月18日 20時25分57秒 | ふと、考えた
マッサンからの1シーン。

マッサンの甥、悟がシベリア抑留から復員しマッサンの家に身を寄せている。
悟は抑留中地獄を見たと語る。
本物のウィスキーを日本に根付かせたいマッサンは、最近出回っている原酒がほとんど入っていない三級酒のウィスキーを「偽物」だと言う。
その言葉が悟には引っかかった。「本物の酒って何ですか」と悟は言う。
その言葉の陰には、極寒と裏切りの地獄の中で命を救ってくれたのは酒だった、酒がなければ生きて戻ってこられなかった、という思いがあった。
「酒は命の水だ」との悟の言葉にマッサンはハッとする。
「ウィスキー」の語源はまさに「命の水」だったことに思い至った。
本物を目指すことも大事だが、何のための酒か、という根本的な意味を、悟はマッサンに悟らせてくれた。

こういう問題は仏教にもあるなと思った。
インドから中国を経て日本に渡ってきた仏教が、元々の仏教の原点からズレてきているのではないか。
また、道元禅師の純粋な教えが、時代とともに、社会に迎合するようなかたちで薄まってきているのではないか。
というような主張があるのだ。
マッサンが求めていた本場モンの本物志向からすれば、確かに社会や民族、風習に寄り添って変化していく仏教は「偽物」になるかもしれない。
しかし、悟の言うように、「本物の仏教」って何ですか。という問いもある。
仏教は、哲学や学問ではなく人々を生かし救いを与える「命の教え」なのではないか。そういう考え方からすれば、その人が救われる教えは偽物ではない。

どちらも間違いではないと思う。
酒も仏教も人を救うためのものと考えれば、三級であろうが本物と言えるだろう。
ただし、人をまどわせ悪酔いさせるようなものであればそれは偽物と言わなければならない。
本物は何かという問いを失うことなく、その時々で、その地その場所で、その人の救いになるような変化であれば、偽物と呼ぶべきではないのだろう。

人は、たとえ安酒でも、飲み慣れた酒を旨いと思う。
しかしそれは、本物の味を知らないからだとも言えるかもしれない。
本物の酒を飲み安く、敷居や堅苦しさをなくし、口当たりの良いように、提供する側の努力も求められるだろう。

人生はカーリング

2015年03月17日 07時18分42秒 | ふと、考えた
現在北海道月寒で世界選手権が行われているカーリングを楽しんでいる。
もちろんテレビでだが。
この競技は、頭脳と体力を駆使する奥深いスポーツだと思う。
カーリングをよく知らない向きもあろうかと思うので説明しよう。
4人ずつのプレイヤーによる2チームの対抗戦。
氷の上をストーンを投げて滑らせ、目標のサークルの中に相手よりどれだけ中心近くに石を残すかというゲーム。
1エンドに4名が2投ずつ投げ合い、10エンドの合計で決着をつける。
4人が一人ずつ投げるわけだが、他の3人は一人が目標を指示し、後の二人でスイープと言って、ブラシのようなもので氷を擦りながら石の方向と距離をコントロールする。

氷の状態は気温や氷温、観客の数、時間の経過などでも刻々と変わってくる。その状態によって石は曲がる(カーリングの由来とも)ので、目標に近づけられるかどうかは氷の見極めが左右する。
投げた石の向き、スピードだけではなく、スイープによって氷を少し溶かし、曲がりや距離を調整していくチームワークの競技だ。

人生にも目標があったり、計画があったりする。
しかし、自分の意志だけでは目標を達せられない。
色々な環境の変化があり、人間関係の中でも色々な障害が待ち受けている。
目標を持ち計画を立てながら、時々刻々と変化するその状況に応じ、見極め、瞬時に対応していかなければならない。
A案がうまくいかなければB案、C案と次善の策を講じていかなければならない。
自分一人ではないので、仲間と相談しながら、協力しながら目標に近づけていく。

そして、この競技のおもしろいところは、必ずしも10エンドの最後まで競技するとは決まっていないことだ。
それまでの点数の合計によって、相手の勝利を確信すると、相手を讃え、感謝の握手をしてゲームは終了する。
ギブアップと呼んでいるが、むしろリスペクトだろうと思う。
こんな競技は他にないのではないか。

我々にもいつか必ずゲームを終了する時が来る。
しかし、それは敗北ではない。
自然環境や社会に対して、関わった一人ひとり全ての人々に対して、リスペクトし、感謝して去っていく。それでいいのだ。

石も意志も曲がりながら目標に近づけていく。
人生はカーリングだ。

背中を見せる

2015年03月11日 16時46分18秒 | ふと、考えた
「背中で導く」とは、言葉ではなく、生きる姿勢で教えるということだろう。
しかし、子どもは文字通り親の「背中」を見て学ぶのではないか。
赤ん坊の頃から、おんぶされた大きな背中を見て、そのぬくもりと大きさに安心感と威厳を感じ、あてた耳から振動とともにその声を体全体で聞いてきた。
どんなことに笑い、どんなことに怒り、どんなことに涙を流すのか。それを肌身で教えられてきたのではなかったか。
長じて、働く父の背中、台所に立つ母の背中。自分以外のところに向けられた視線に、社会というものを感じ取ってきただろう。

前向きでなければ背中で導けない。
明るいところを向いた背中はまぶしく、誇らしく感じられたろう。

神仏を拝む。
人間以外の不思議な存在に手を合わせる背中を見て、人間を超えた大いなる存在があることを知っただろう。
大好きだったおじいちゃんやおばあちゃんもそこにいると感じられるようになるだろう。
見守られていると思うようになるだろう。
自分もやがて、家族を見守る存在になりたいと思うようになるだろう。

しかし、もし、
もし、おぶられた経験も、肌身で声を聞いたこともなく、働いている姿や家事をする姿を見たこともなく、神仏に手を合わせる姿も見たことがないとすれば、その子は何を見て育つのだろうか。

大震災の日、親はどんな背中を見せただろう。
これほどの大きな出来事は、一生のうちに何度もないだろう、ないように願う。
2万人の人々の死が教えているものをくみ取らなければ、命を落とされた方々に相済まない。
今苦しむ人々を見て見ぬ振りするならば、そのような心で過ごすならば、おそらく真の安らぎと幸せを感じることはないのではないか。
社会は縁によって成り立っているのだから、自分一人の幸せを求めても得られるものではないのだと思う。

ひとの幸せを喜べる人は幸せな人
ひとの幸せを喜べない人は幸せになれない人
ひとの不幸を喜ぶ人は不幸な人

この国の子どもたちを導くために、大いなる存在に手を合わせることから始めよう。
言葉ではなく、その背中を見せていこう。
前向きに、前向きに、明るい方へ向いていこう。