人が大勢集まることがいいことではないだろう。
同じ意見の人が大勢いることがいいことでもないだろう。
なぜ集まりたがるのか。なぜ同調したがるのか。
みんなと同じだと「変わった人」と思われないから安心するのか。
考える必要がないから楽なのか。
最近の酒蔵は「ただの酒」だけでは売れない時代だから、どこもみんな頑張っていい酒を造っている。
それぞれの好みにあえば極上の味を味わうことができるいい時代だ。
今売れている銘柄はあるけれど、それが特別旨いのかと言われればどうだろうか。
その程度の酒は本当にたくさん存在する。
ではなぜ、一つの酒だけが人気なのか。
それは、旨いという判断ができない人が、他人が旨いと言っているものを自分の判断にしてしまうからだろう。
自分が旨いと思ったものが旨い酒なので、それに素直に従えばいいのに、自分の価値観を他人に委ねていることが問題なのだと思う。
都会に集まる人も同じではないか。
みんなと同じ価値観で、みんなに合せて、みんなと同じことをしていれば安心だというのは、あまりにも空しくはないか。
自分の舌で、自分の好みで判断する価値観。それが弱くなっていないか。
田舎が都会のマネをしてどうする。
都会には都会にしかない価値があり、田舎には田舎にしかない価値がある。比べられるものではない。
田舎に大勢人を集めようとするのは経済的な価値のためか。
都会のマネをするならそれは都会の価値観だろう。
田舎に住む人が、田舎の価値を感じるような価値観をもつことが先決ではないか。
それは何か。
放っておけばすぐに草ボウボウとなる自然の力の強い土地。
種をまけば植物が育つ。放っておけば勝手に木が伸びる山々。それは燃料となる。
雪は必ず融けて必ず春がやってくる。その美しさ。
広大な土地、湧き出ずる水と温泉。
それでも学校はあり病院はある。
線路があり国道がある。
世界の情勢が知りたければテレビでもインターネットでも知ることができる。
選挙権があり、銃を持たされる恐怖はなく。
子どもが売られることも、自由が束縛されることもない。
これ以上何が必要なのか。
誰かと比べて価値観をもつのはやめよう。無駄であり無意味だ。
自分の舌で旨いものを旨いと思う価値観を育てていこう。
この土地には縄文時代から人が住み続けてきた。
人が生きるには充分な自然があったからだろう。
明治10年の最上町の人口は今の半分4613人だった。
人が少なくなれば少なくなったように生きればいい。
そこに価値観を見いださなければ、子どもたちがここで生きることを選択することはないだろう。
都会の人が田舎で暮らすのは大変だろう、しかしそれが都会の勝ちではない。
田舎の人間は都会では暮らしにくいだろう、しかしそれは田舎の負けではない。
それぞれにあった場所で生きるのがいいのであり、自分の住む場所を「ここぐらいいい所はない」と思えることが勝ちに違いない。
ここに住む人々が自ら勝ち組になれればいい。
経済的格差を人や土地の価値的格差と錯覚してはならない。
自らの生き方を他人の価値観に委ねてはならない。
同じ意見の人が大勢いることがいいことでもないだろう。
なぜ集まりたがるのか。なぜ同調したがるのか。
みんなと同じだと「変わった人」と思われないから安心するのか。
考える必要がないから楽なのか。
最近の酒蔵は「ただの酒」だけでは売れない時代だから、どこもみんな頑張っていい酒を造っている。
それぞれの好みにあえば極上の味を味わうことができるいい時代だ。
今売れている銘柄はあるけれど、それが特別旨いのかと言われればどうだろうか。
その程度の酒は本当にたくさん存在する。
ではなぜ、一つの酒だけが人気なのか。
それは、旨いという判断ができない人が、他人が旨いと言っているものを自分の判断にしてしまうからだろう。
自分が旨いと思ったものが旨い酒なので、それに素直に従えばいいのに、自分の価値観を他人に委ねていることが問題なのだと思う。
都会に集まる人も同じではないか。
みんなと同じ価値観で、みんなに合せて、みんなと同じことをしていれば安心だというのは、あまりにも空しくはないか。
自分の舌で、自分の好みで判断する価値観。それが弱くなっていないか。
田舎が都会のマネをしてどうする。
都会には都会にしかない価値があり、田舎には田舎にしかない価値がある。比べられるものではない。
田舎に大勢人を集めようとするのは経済的な価値のためか。
都会のマネをするならそれは都会の価値観だろう。
田舎に住む人が、田舎の価値を感じるような価値観をもつことが先決ではないか。
それは何か。
放っておけばすぐに草ボウボウとなる自然の力の強い土地。
種をまけば植物が育つ。放っておけば勝手に木が伸びる山々。それは燃料となる。
雪は必ず融けて必ず春がやってくる。その美しさ。
広大な土地、湧き出ずる水と温泉。
それでも学校はあり病院はある。
線路があり国道がある。
世界の情勢が知りたければテレビでもインターネットでも知ることができる。
選挙権があり、銃を持たされる恐怖はなく。
子どもが売られることも、自由が束縛されることもない。
これ以上何が必要なのか。
誰かと比べて価値観をもつのはやめよう。無駄であり無意味だ。
自分の舌で旨いものを旨いと思う価値観を育てていこう。
この土地には縄文時代から人が住み続けてきた。
人が生きるには充分な自然があったからだろう。
明治10年の最上町の人口は今の半分4613人だった。
人が少なくなれば少なくなったように生きればいい。
そこに価値観を見いださなければ、子どもたちがここで生きることを選択することはないだろう。
都会の人が田舎で暮らすのは大変だろう、しかしそれが都会の勝ちではない。
田舎の人間は都会では暮らしにくいだろう、しかしそれは田舎の負けではない。
それぞれにあった場所で生きるのがいいのであり、自分の住む場所を「ここぐらいいい所はない」と思えることが勝ちに違いない。
ここに住む人々が自ら勝ち組になれればいい。
経済的格差を人や土地の価値的格差と錯覚してはならない。
自らの生き方を他人の価値観に委ねてはならない。