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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。
2月4日、日曜日。
2月ですね。昨日は節分、今日は立春です。
節分というと思い出すことがあります。
河北町宿用院に住職したてのころ、町はずれの仏性寺さんと何年か寒行托鉢をしたことがあります。
寒行は、1月5日の寒の入りから節分までの約1か月間、毎晩2時間ほどかけて集落を回るのでした。
仏性寺さんが10年以上も前から寒行をしているという話を聞いて、自分もやってみたいなと思っていました。
その年、仏性寺の方丈さんが訪ねてきて、寒行を手伝ってくれないかと言われました。
毎年寒行スタートの時は、お米をくれる方が多いのだが、胃の手術をしなければならなくなったので体調が不安で、ということでした。
回ってみると、おっしゃる通り、一升マスでドンとくださる方もいて、首から下げた托鉢箱がすぐにいっぱいになるような状態でした。
はじめは大変でしたが、だんだん体も慣れてくるし、毎晩10円玉を握りしめて出てきてくれる子どももいて、やりがいを感じながら歩いていました。
2月が近づいたある晩、村の外れまで歩いて托鉢を終え、二人で歩く帰り道、方丈さんは途中のお菓子屋で立ち止まり「ちょっと待ってくれ」と言って店に入って行きました。
ガラス戸には「うぐいす餅売り始めました」と張り紙がしてあります。
「お茶飲んでいきなよ」と誘われて寺に上がりました。
火鉢の炭で凍えた手をあぶっていると、方丈さんは茶箪笥の中をのぞいて何か探しています。
「これだこれだ」と何とか焼の皿を一枚出してきました。
「別にそんな立派な皿でなくともいいのに」と気遣いを恐縮していました。
すると方丈さんは、うぐいす餅を2個載せたその皿を持って部屋を出て行かれました。
どこに行くのかと思っていると、本堂で鐘の音がしました。勝手に恐縮した自分を恥じました。
そして、部屋に戻ってこられた方丈さんは「陰膳陰膳」とおっしゃいました。
その言葉を聞いて私は、ハッとして方丈さんの心を理解しました。
方丈さんが寒行托鉢を始められた時、当時小学5年生だった息子さんんも一緒に歩いたのだそうです。
雪道の中を、鈴を鳴らしてお経を読みながら歩く親子にとって、毎年心待ちにしていることがありました。
それは、毎年決まってこの時期に売り出されるこの店のうぐいす餅だったのです。
張り紙を見ると、店に飛び込み、寺に帰ってお茶を飲みながら「うまいね、ここのうぐいす餅はやっぱりうまいね」と言って食べるのが親子の寒行の楽しみになっていました。
その息子さんは今永平寺の修行に行っている。
永平寺の冬も寒いから修行が厳しいだろうけど、間もなく節分にもなるし、暦の上では春となる、もう少しの辛抱だから何とか頑張ってもらいたい。
ここに息子がいれば、このうぐいす餅を「やっぱりうまいね」と言って食べるだろう。食べさせたいな。
そんな思いが「陰膳」という言葉と、とっておきの皿に盛られていました。
厳しい修行の中にも楽しみを見つけることはできます。そして希望があります。
「節分」という言葉には、厳しい寒さの中にいながら、暖かい季節はきっとやってくることを確信して耐える、希望を感じさせてくれる力があります。
春はもうすぐそこまで来ています。終わらない冬はありません。もう立春なのですから。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。
2月4日、日曜日。
2月ですね。昨日は節分、今日は立春です。
節分というと思い出すことがあります。
河北町宿用院に住職したてのころ、町はずれの仏性寺さんと何年か寒行托鉢をしたことがあります。
寒行は、1月5日の寒の入りから節分までの約1か月間、毎晩2時間ほどかけて集落を回るのでした。
仏性寺さんが10年以上も前から寒行をしているという話を聞いて、自分もやってみたいなと思っていました。
その年、仏性寺の方丈さんが訪ねてきて、寒行を手伝ってくれないかと言われました。
毎年寒行スタートの時は、お米をくれる方が多いのだが、胃の手術をしなければならなくなったので体調が不安で、ということでした。
回ってみると、おっしゃる通り、一升マスでドンとくださる方もいて、首から下げた托鉢箱がすぐにいっぱいになるような状態でした。
はじめは大変でしたが、だんだん体も慣れてくるし、毎晩10円玉を握りしめて出てきてくれる子どももいて、やりがいを感じながら歩いていました。
2月が近づいたある晩、村の外れまで歩いて托鉢を終え、二人で歩く帰り道、方丈さんは途中のお菓子屋で立ち止まり「ちょっと待ってくれ」と言って店に入って行きました。
ガラス戸には「うぐいす餅売り始めました」と張り紙がしてあります。
「お茶飲んでいきなよ」と誘われて寺に上がりました。
火鉢の炭で凍えた手をあぶっていると、方丈さんは茶箪笥の中をのぞいて何か探しています。
「これだこれだ」と何とか焼の皿を一枚出してきました。
「別にそんな立派な皿でなくともいいのに」と気遣いを恐縮していました。
すると方丈さんは、うぐいす餅を2個載せたその皿を持って部屋を出て行かれました。
どこに行くのかと思っていると、本堂で鐘の音がしました。勝手に恐縮した自分を恥じました。
そして、部屋に戻ってこられた方丈さんは「陰膳陰膳」とおっしゃいました。
その言葉を聞いて私は、ハッとして方丈さんの心を理解しました。
方丈さんが寒行托鉢を始められた時、当時小学5年生だった息子さんんも一緒に歩いたのだそうです。
雪道の中を、鈴を鳴らしてお経を読みながら歩く親子にとって、毎年心待ちにしていることがありました。
それは、毎年決まってこの時期に売り出されるこの店のうぐいす餅だったのです。
張り紙を見ると、店に飛び込み、寺に帰ってお茶を飲みながら「うまいね、ここのうぐいす餅はやっぱりうまいね」と言って食べるのが親子の寒行の楽しみになっていました。
その息子さんは今永平寺の修行に行っている。
永平寺の冬も寒いから修行が厳しいだろうけど、間もなく節分にもなるし、暦の上では春となる、もう少しの辛抱だから何とか頑張ってもらいたい。
ここに息子がいれば、このうぐいす餅を「やっぱりうまいね」と言って食べるだろう。食べさせたいな。
そんな思いが「陰膳」という言葉と、とっておきの皿に盛られていました。
厳しい修行の中にも楽しみを見つけることはできます。そして希望があります。
「節分」という言葉には、厳しい寒さの中にいながら、暖かい季節はきっとやってくることを確信して耐える、希望を感じさせてくれる力があります。
春はもうすぐそこまで来ています。終わらない冬はありません。もう立春なのですから。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。