三ちゃんのサンデーサンサンラジオ、第283回。10月11日、日曜日。
まずは報道部から1週間の動きをまとめて。
5日月曜日、生涯学習最上地区大会講演
7日水曜日、新庄市報恩寺慶弔会法要解説取材
8日木曜日、和田みさ子さんを偲ぶ会実行委員会
その他法事が5件。
というような1週間でした。
本当にめっきり寒くなってきました。
今はまだ我慢していますが、これでいったんストーブを点けると、もう点けずにはいられなくなって、一段と寒さを感じることになります。
まだ10月初旬ですからねえ、さすがにまだ早いでしょう。でもそれぐらい寒く感じます。
5日は久しぶりの講演でした。何と1月以来、今年2回目です。
山形県の地区大会と郡の大会を合わせた形の生涯学習で、最上町が会場当番の大会でした。
さすがに出だしは少し緊張がありましたね。
とにかく今年は人の集まりが全滅で、講演や法話の会場も全部キャンセルでしたから、そちらの用事がないとこんなにも暇なのかという時間を過ごしました。
そのためにできたこともありましたから、決して無駄ではありませんでした。
演題は「ここで生きる」として話しました。
「ここで」というのは、自分が住んでいる市町村、集落という意味での「ここ」ですが、その前に、会場になった最上町中央公民館の中の「ここ」について話しました。
自分の命は「今ここ」にしかない。しかし、心はどうだろうか。
畑の仕事をしたいと思っていて、既に心は畑に飛んでいる人、帰りに買い物をしようと思って、何を買うんだっけと思い出して心がスーパーの売り場にいる人、パチンコ屋やテレビの前など、心は体を離れてどこへでも飛んで行きます。
こんなところに本当は来たくなかったけど、責任上仕方なく来た、という人もいるでしょう。
子どもが用事を言いつけられると「自分の時間が無くなる」というけど、実際には、おしっこを誰かに代わってもらうことができないように、自分の人生の時間は自分以外には使えない。
なのに、嫌な時間だつまらない時間だと思って、自分の時間ではないと思ってしまうと、その時間が人生の時間から削除されることになるでしょう。
どんな時間も全て自分の時間として、主体的に向き合うべき、そうでなければ短い人生の時間が実にもったいない。
会社で働いている時間も、使われているのではなく自分の時間として向き合う。家事の時間も嫌々やるのと自分の時間として向き合うのでは違ってくるでしょう。
そして「ここで」ですが、寺の長男に生まれて、和尚の仕事が人が死んでからの専門のように受け止め、なぜ自分で自分の道を選べないのかと悩みました。
さらに、田舎の農村社会の、今でいえば同調圧力、相互監視というような閉塞感にも嫌気がさし、「こんな町早く出たい」と思っていました。
大学生活で都会に出た時の解放感は忘れられません。こんなに人が居ても誰も私を知る人がいないのだ。どんな格好をしても、どんなことをしてもいいと思いました。
大学の後、教化研修所というところに入って2年目にカンボジア難民問題が発生し、ボランティアとして現地に赴任することになりました。
そこで初めて「難民」と呼ばれる人々を目の当たりにし、その困難な状況に胸を痛めました。
そして、こういう現実と向き合い、その傍に身を置き、共に涙し、共に解決の道を考える、そういうことも僧の仕事だったんだなと気づいたのです。
和尚の仕事は死んでからの専門ではなかった。生きている人と共に歩む道だった。そういう仕事ならば和尚として生きてみたい、と初めて自覚的に思いました。
私が出家したのは難民キャンプであったと今では思います。
その後、あちこちに身を置いて、故郷に戻ってきたのは49歳の時、実に30年ぶりに最上町民となりました。
その時にこう思いました。
「ここで生きていくのであれば、ここでよかったと思えるような生き方をしなければならない。そう思えるような町にしていかなければならない」と。
ここで生きるのが嫌ならば他所に出ていけばいいのです。どんな理由であれ、ここで生きるならば楽しくなければ損でしょう。
そこで始めたのが「松林寺集中講座」でした。
どんな田舎でも、少し頑張れば一流のお話と音楽とお笑いを聞くことができる、という実験をしてみたのです。
幻となりましたが、今年は第15回目を迎えるはずでした。
それ以外にも、今、地酒造りやエネルギーの地産地消など、ここで生きることを楽しむことを仕掛けています。
「随処に主となる」という禅語があります。
自分の人生を自分が主人公として主体的に生きることを言います。他人に委ねることもなく使われることもない、自分の時間を自分が使う。
結論。
いただいてきた自分の命をこれでいいと引き受ける覚悟と、「ここで生きる」覚悟で人生は変わってくる。そんな話をしました。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
まずは報道部から1週間の動きをまとめて。
5日月曜日、生涯学習最上地区大会講演
7日水曜日、新庄市報恩寺慶弔会法要解説取材
8日木曜日、和田みさ子さんを偲ぶ会実行委員会
その他法事が5件。
というような1週間でした。
本当にめっきり寒くなってきました。
今はまだ我慢していますが、これでいったんストーブを点けると、もう点けずにはいられなくなって、一段と寒さを感じることになります。
まだ10月初旬ですからねえ、さすがにまだ早いでしょう。でもそれぐらい寒く感じます。
5日は久しぶりの講演でした。何と1月以来、今年2回目です。
山形県の地区大会と郡の大会を合わせた形の生涯学習で、最上町が会場当番の大会でした。
さすがに出だしは少し緊張がありましたね。
とにかく今年は人の集まりが全滅で、講演や法話の会場も全部キャンセルでしたから、そちらの用事がないとこんなにも暇なのかという時間を過ごしました。
そのためにできたこともありましたから、決して無駄ではありませんでした。
演題は「ここで生きる」として話しました。
「ここで」というのは、自分が住んでいる市町村、集落という意味での「ここ」ですが、その前に、会場になった最上町中央公民館の中の「ここ」について話しました。
自分の命は「今ここ」にしかない。しかし、心はどうだろうか。
畑の仕事をしたいと思っていて、既に心は畑に飛んでいる人、帰りに買い物をしようと思って、何を買うんだっけと思い出して心がスーパーの売り場にいる人、パチンコ屋やテレビの前など、心は体を離れてどこへでも飛んで行きます。
こんなところに本当は来たくなかったけど、責任上仕方なく来た、という人もいるでしょう。
子どもが用事を言いつけられると「自分の時間が無くなる」というけど、実際には、おしっこを誰かに代わってもらうことができないように、自分の人生の時間は自分以外には使えない。
なのに、嫌な時間だつまらない時間だと思って、自分の時間ではないと思ってしまうと、その時間が人生の時間から削除されることになるでしょう。
どんな時間も全て自分の時間として、主体的に向き合うべき、そうでなければ短い人生の時間が実にもったいない。
会社で働いている時間も、使われているのではなく自分の時間として向き合う。家事の時間も嫌々やるのと自分の時間として向き合うのでは違ってくるでしょう。
そして「ここで」ですが、寺の長男に生まれて、和尚の仕事が人が死んでからの専門のように受け止め、なぜ自分で自分の道を選べないのかと悩みました。
さらに、田舎の農村社会の、今でいえば同調圧力、相互監視というような閉塞感にも嫌気がさし、「こんな町早く出たい」と思っていました。
大学生活で都会に出た時の解放感は忘れられません。こんなに人が居ても誰も私を知る人がいないのだ。どんな格好をしても、どんなことをしてもいいと思いました。
大学の後、教化研修所というところに入って2年目にカンボジア難民問題が発生し、ボランティアとして現地に赴任することになりました。
そこで初めて「難民」と呼ばれる人々を目の当たりにし、その困難な状況に胸を痛めました。
そして、こういう現実と向き合い、その傍に身を置き、共に涙し、共に解決の道を考える、そういうことも僧の仕事だったんだなと気づいたのです。
和尚の仕事は死んでからの専門ではなかった。生きている人と共に歩む道だった。そういう仕事ならば和尚として生きてみたい、と初めて自覚的に思いました。
私が出家したのは難民キャンプであったと今では思います。
その後、あちこちに身を置いて、故郷に戻ってきたのは49歳の時、実に30年ぶりに最上町民となりました。
その時にこう思いました。
「ここで生きていくのであれば、ここでよかったと思えるような生き方をしなければならない。そう思えるような町にしていかなければならない」と。
ここで生きるのが嫌ならば他所に出ていけばいいのです。どんな理由であれ、ここで生きるならば楽しくなければ損でしょう。
そこで始めたのが「松林寺集中講座」でした。
どんな田舎でも、少し頑張れば一流のお話と音楽とお笑いを聞くことができる、という実験をしてみたのです。
幻となりましたが、今年は第15回目を迎えるはずでした。
それ以外にも、今、地酒造りやエネルギーの地産地消など、ここで生きることを楽しむことを仕掛けています。
「随処に主となる」という禅語があります。
自分の人生を自分が主人公として主体的に生きることを言います。他人に委ねることもなく使われることもない、自分の時間を自分が使う。
結論。
いただいてきた自分の命をこれでいいと引き受ける覚悟と、「ここで生きる」覚悟で人生は変わってくる。そんな話をしました。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。