近くの駅の傍の喫茶店、といっても安価なチェーン店で、少しのんびり読書タイム。15時半から17時くらいまでの時間であった。
昨日の午後とは違って、静かに読むことが出来た。またメガネのレンズも直してもらったので、フレームから外れることもなかった。
当たり前のことであるが、メガネというものは不具合になるとその存在を貴重なものとしてあらためて認識する。何事も無く具合の良い状態が当たり前である。それこそ零か百かの存在である。普段からその状態をきちんと把握しておきたいものであるが、なかなか難しい。
本日の喫茶店では、大声を出す客はおらず、電話で会話をする人もなく、パソコンのキーボードを叩く音もなかった。近くの塾に通う小学生の帰りを待つ親が3人ほど待機していた。この寒い日に外で待つのはつらいはずである。
私の小学生の頃は男女とも、どの子も迎えに来る親はいなかった。冬の時期、暗くなって迎えに来る親がいると、とても恥ずかしがって次の日からは来なくなっていた。子どもの意識も時代も変わった。親の危機意識も高まっている。
喫茶店では、「大人のための残酷童話」(倉橋由美子)と「鬼の研究」(馬場あき子)の二冊を交互に読んだ。
帰りの時間は気温も下がり、北風が強まりダウンのコートの襟を立てて歩いた。歩道に植えられているプラタナスの大きな枯葉が風に舞い、時折り顔や頭に当たった。