狩野一信の五百羅漢図を見て、生き生きしている描写だと思ったもののいくつかに、日常生活での仕事をしているもの、何かの職業を表しているものがある。第77幅から第80幅が堂伽藍を作る大工作業の場面。掲出の図は第78幅だが、そのほかに第46幅から第48幅の羅漢の日常の衣食をつくる場面がこれにあたる。
作者が日常目にしていたと思われる職人の仕草や日常生活の場面が鮮やかに生き生きと活写されていると思われる。
特に洗濯・染織の場面、道具を使った大工の場面は出色ではないだろうか。手足の指先から、筋肉の表情、そして顔の表情まで観察が行き届いている。
大工仕事では顔全体特に口元が引き締まり力仕事であることの描写が勝れている。洗濯の場面などでは逆に会話を楽しむように日常の一こまを活写している。
五百羅漢図は、よく見受けられる石造のユーモアあふれる温厚な羅漢ではなく、日常の我々の仕草をことさら大事に描いているのが魅力と思われた。
作者が日常目にしていたと思われる職人の仕草や日常生活の場面が鮮やかに生き生きと活写されていると思われる。
特に洗濯・染織の場面、道具を使った大工の場面は出色ではないだろうか。手足の指先から、筋肉の表情、そして顔の表情まで観察が行き届いている。
大工仕事では顔全体特に口元が引き締まり力仕事であることの描写が勝れている。洗濯の場面などでは逆に会話を楽しむように日常の一こまを活写している。
五百羅漢図は、よく見受けられる石造のユーモアあふれる温厚な羅漢ではなく、日常の我々の仕草をことさら大事に描いているのが魅力と思われた。