昨日は「ルオーと風景」を汐留ミュージアムに見に行く。昨年は「ユビュおやじ」のシリーズで肖像画を中心に見たが、今回は風景画を中心に。カタログは購入しなかったが、黒い色調に桜を咲かせた「春」が心に響いた。初期の絵の孤独と静謐が画面にあふれる絵、救済がどこかで断念されている絵が心惹かれる。晩年の「救済」が前面に出てくる絵も孤独な魂の彷徨がともなう静謐さが感じられ、決して安易な救済ではない。
現実とはかけ離れた風景が、心の風景として眼前に出てくるようで懐かしい感じの絵だ。一つの絵に人は幾人か登場するが、それぞれが孤独に見える。他者との関係が希薄な、それでいて関係が途絶しているとは言えない微妙な感覚を私は覚える。この感覚が私には好ましい。
掲出の絵、「キリストと漁夫たち」ど題され、聖書の一場面だが、私には一般的には冷たい色としての青を記帳としているが救いを拒否した絵ではなく、人々は関係を結ぼうとして、きっかけをどのようにしようか逡巡しているようにも見える。決して冷たい関係の絵ではなくどこかで救いを模索しているように感じられる。2から3人ずつの4つのグループが互いに関係を模索しあっているような微妙な関係に見える。ルオーの絵にはこんな感じが付きまとう。
現実とはかけ離れた風景が、心の風景として眼前に出てくるようで懐かしい感じの絵だ。一つの絵に人は幾人か登場するが、それぞれが孤独に見える。他者との関係が希薄な、それでいて関係が途絶しているとは言えない微妙な感覚を私は覚える。この感覚が私には好ましい。
掲出の絵、「キリストと漁夫たち」ど題され、聖書の一場面だが、私には一般的には冷たい色としての青を記帳としているが救いを拒否した絵ではなく、人々は関係を結ぼうとして、きっかけをどのようにしようか逡巡しているようにも見える。決して冷たい関係の絵ではなくどこかで救いを模索しているように感じられる。2から3人ずつの4つのグループが互いに関係を模索しあっているような微妙な関係に見える。ルオーの絵にはこんな感じが付きまとう。