Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

食についての記述の逡巡

2012年02月19日 19時18分21秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日友人はイカが好みだといって小さなスルメを持ってきてくれた。私はスルメを食べるのが久しぶりで嬉しかった。私は足の部分がコリコリして好きだと言ったら、「好みの部分が違っててちょうどいい」ということで、身とゲソの部分をそれぞれが分けて食べた。

 さてイカ、私は煮込んでも、炒めても、フライも好きだ。刺身をワサビでつついても、おろし生姜でかきこんでもいい。ゲソのから揚げも好きだ。塩辛もうまい。一夜干しを焼いてもいい。ただしイカ墨は遠慮したい。塩辛の黒づくりもイカ墨のイタリアンもだめだ。
 こうしてみるとイカ墨以外は、すべてパクパクと食べてしまうことになる。あえて言えばゲソが好きだという程度だが。
 手が込んだ料理だろうが、そうでなかろうが私は、食べるということについては等価に扱ってしまう。喉で味わうといっていいのか。味もへったくれもなくただ喉に通しているわけではなく、それなりに味は賞味しているつもりなのだが…。

 今はたまたまイカを材料に考え始めたが、他の食材でも同じだ。手が込んで付加価値がついていようがいまいが、どんなものでも他のことは考えず、一心不乱に食べることにしている。
 それがガサツな食べ方に見えようが、集中して食しているように見えようが、私のかまったことではないのだ。妻が「作り甲斐がない」というのはこのような状態で食べることに対する批判であろう。批判はあたっている。それでも食べ方を変えることは結婚して以来変えていない。食べる速度がかなり遅くなったこと以外は。
 そんな私に、食に関する記述ができるだろうか、昨日から考え続けているが、明るい見通しはやはりない。こんなに構えて考えること自体が書けない理由のような気もしてきた。
 だんだん袋小路に入り込んでしまっている。攻め口を変えてみることにしよう。しばらくは「食に関する記述」について考えることは遠慮してみることにしよう。