午前中は、横浜のランドマークタワーでのNHK文化センターの「日本書紀の世界と古代史を考える」講座を受講し、終了後にすぐ傍の横浜美術館で開催している「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家」展を見てきた。
私は、この二人がいわゆる「ロバート・キャパ」という架空の写真家の本当の名前であることなど知らなかった。ロバート・キャパは二人の作り出した幻想の写真家で、女性がなくなって後もその幻想の写真家は男性のカメラマンによって成長、といって語弊があるなら変化していったようだ。このことはチラシを見て始めて知った。その程度にしか写真というものに対する知識はない。そういった意味では少なくとも私にはいい勉強になった企画である。
さらに私は、報道写真というのはなかなかわからなかった。いや今でもよくわかっていない。どうして目の前の人の死や、それが日常という状況でカメラを構えていられるのか、被写体と自分との関係をどのように折り合いをつけるのか、私にはわからないことだらけだ。
絵画やその他の芸術ならばまだ、目の前の自分が目にしたことを表現するのに時間という篩をとおし、時間をかけて感情や思念が発酵するまで待つことが出来る。対象と自分の折り合いがひょっとしたらつくのかもしれない。私にはそうであっても到底無理なのだが。しかも報道写真は瞬間の時間と空間を瞬時に切り取るということで成立する。
そんなことをいっても、報道写真が私の視覚に強烈な印象を与え、私の思念をかき回すほどの衝撃力を持つ場合があることもまた事実だ。ここら辺のことはまだまだ私には解けないことだらけ、ということで私のこれからの宿題とさせてもらおう。
さて、この二人の写真を見ながら次のようなことに気づいた。
27歳でスペインの内乱の現場で事故死したゲルダ・タローという女性カメラマン、この人の写真の視点、要するに撮影する写真家の目は常に動いている。動いている中から被写体を常に流動的に捉えて、そのうちの一瞬を切り取っている。対象に対する思い入れが強い。対象に自分を同値しようとしている。それが写真を取る側の勝手な思い入れに近いという危うい側面も持っている。構図や絵画的な視点は二の次であるような写真が多いみたいだ。それは彼女の持ち味なのか、わざととっているポーズなのかはわからない。
それに対してロバート・キャパという写真家、報道写真ということなのだが、ゲルダ・タローに較べて視点は静的である。どんなに動いている場面の瞬間を捉えていても、キチンと視点を定めて撮影しているのではないかと思った。冷静に対象を観察している。そして構図や写真の効果をキチンと瞬時に計算しているようだ。被写体に対する思い入れはゲルダ・タローのように感じられるがそれでも彼女よりも自覚的にファインダーの中の対象を見つめている感じだ。
この二人の微妙な差がいくつかの同じ瞬間の、同様の構図の写真の比較が行われていて、その似た作品にも現れている。ロバート・キャパの方が、被写体が大きくクローズアップされている。被写体の表情にその意志を汲んで写し取ろうとしている。ゲルダ・タローはチョッと引いて少し広い視野の中で、被写体自身の主張を周囲の状況から浮き上がらせているように感じる。
またロバート・キャパがその晩年、1954年という戦後間もない頃の日本を訪れ、日本の人々を撮影している中に、奈良の東大寺の梵鐘とそれを撞いている僧侶を写した写真がある。これなど、造形写真としてもすばらしい視点と構図だ。上半分で真っ黒に梵鐘を大写しにクローズアップしている。わずかに鐘の縁が写り込んでいて鐘であることがわかる。鐘をつく撞き棒と僧侶を、鐘撞堂の柱を利用して窓枠効果のように遠く小さく写しこんでいる。これなどじっと構えて構図に配慮しながらでないと写せないもののようだ。その他の日本での写真はいづれも報道写真家らしく瞬間瞬間をすばやく、撮影しているカメラマンを被写体が意識するまもなく写しているような躍動感がある。両用の技量を持つカメラマンに思えた。残念ながら、この写真、カードとして販売していなかった。
この二人の時代を画したカメラマンの仕事を見た感想、これ以上うまく表現できないのでとてももどかしい。これを読んで理解してもらえるか自信はとても湧いてこないが、未熟な文章表現として笑ってもらうしかない。
ところが、展示の解説文書の中で次のようなくだりがあった。
「人物の表情に焦点を合わせる傾向があるキャパと、奥行きを強調したダイナミックなアングルなど、構図に対してより意識的なタローというそれぞれの特徴を垣間見ることができる」
(スペインのバレンシア爆撃でのタローの)死亡した市民のアップの写真などにその特質をみるとの指摘があった。(まだノルマンディー作戦以降のキャパの写真について)、「単なる一方の側から見た戦争とは一線を画した「引いた視線」、同時に奥行きのある「人間への凝視」を認めることが出来る」と記されてあった。
前半は、私の評価とずいぶんと違うところがあると感じた。「構図に対してより意識的なタロー」は私としてはとても同意できなかった。
後半のキャパに対する評価は全面的ではないにしろ肯定は出来た。しかしそれもあくまでも、戦争の捉え方の変化も、あくまでも萌芽であって、キャパの死という終焉を迎えてしまったように思う。戦争そのものを相対化するということでは、未完の方向だったのではないか。1945年に終了した戦争の勝者の視点、勝者の理論を、どのようにキャパが把握していたか、それが知りたくなった。戦争全体をキャパがどのように把握したのか、知りたい。
それはディエンビエンフーの敗北目前のフランス軍と共にベトナムの戦場を巡って撮影したベトナム人の死体らしきものが転がっている写真や、ベトナム人の無表情な写真、これからは欧米人の視点が強く感じられた。またイスラエル建国で屈託なく明るいイスラエル入植者の表情なども、当事者の一方しか把握していないような気がした。後世の私たちからはある種の違和感も感ずる写真という印象だ。あくまでも後世の私たちの視点なので、それだけで彼の業績を否定するつもりはさらさらないが‥。
そして「ひいた視線」というのはあくまでもキャパの対象を把握する視線であって、実際に撮影する場合は「引かず」に「迫ってく迫力」があるということを私は感じた。
さてチラシとは違うが、この企画展に即した「ロバート・キャパジャーナル」というチラシのようなものがあった。そこで長島有里枝という写真家がこんなことを書いていた。
「写真には、製作過程に横たわる身体性を示唆するもの、完成に向けて作家が費やしたであろう膨大な時間、労力、試行錯誤の「しるし」が欠如している。「しるし」はときにそれ自体が鑑賞者を圧倒して、感動に導くにもかかわらず。写真は始から「瞬間」と親和するメディアだ。写真家の中にはそのような身体性の欠如に対する負い目がある気がする。」
なかなか面白いと思う。写真家の中に私と同じような思いをもたれる方がいて惹かれた。私も最近、写真を見て心が惹かれる場合が多くなってきたが、どこからこんな問題意識を持っている。こんな問題意識を持ちつつ、写真展をしばらく注視してみようと思う。
話はまったく変わるのだが、私は年間5000円で横浜美術館協力会の会員なので企画展・常設展すべて交付された会員証を見せるだけで幾度でも入ることができる。といっても今でも年間3回から5回程度なので、プラス・マイナスだけの計算ではマイナスである。友人から元が取れていないのだから、止めたらといわれた。しかし私にはこだわりがある。
これを会員制度が始まった当初から20年を越えて継続している。現役の頃はそれこそ年に1回か2回くらいしか訪れることが出来なかったので、トータルではまったく元は取れていない。しかしこれはあくまでも、そしてどんなにささやかであっても協力費としての私の思いで継続してきた。
年に4回、私の自宅に会報や企画展のチラシを送ってきてくれていて、送付代と手間を考えれば、美術館にとっても赤字であろう。しかしこのような施設に対する期待感のほんの一部にでも参加することには意義がありそうだ。
関西方面の政令指定都市の分割を主張する市長が「市に二つの美術館はいらない」などと公言したとのこと、伝聞であるが伝わってきた。この人は文楽という芸能にも喧嘩を吹っかけたようで、文化を自分の基準で裁断しようとするなどの野蛮に近い行政を推進しているとしか思えない。美術館・博物館が保存、収蔵、展示、普及、教育・啓発、発信、創造の場の提供という極めて大切な役割を果たしていることなど鼻から理解する気がないようだ。
それ以前に、人間というものの理解があまりに薄っぺらで、こんな人が政治に携わってはいけないのである。野蛮で無知な軍人や政治家が文化統制に乗り出したあのかつての時代の轍を踏んではならない。政治が文化統制に口を挟んではならない。それは右も左も、政治体制の在り様を問わずに求められることである。えてして「左」の国家なら許されるという勘違いも横行している。赤字で垂れ流しでもすべて許されるなどと私は主張しているのではないが、赤字であればそれだけですべてゆるされない、あるいは逆に黒字であれば何でも許されるという経営の側面でしか評価できない人々もいる。
横浜市でもそんな市長がいて、市が関係するすべての施設の価値を収入と支出という面からしか評価しようとしなかった。社会に対する理解が実に薄っぺらで底の浅い人であった。あの市長は結局のところ、横浜からはトンズラした。それも自ら提唱した開港150周年事業の数十億円の赤字を後任者と市民に押し付け、その責任を取らずに逃亡した。赤字を切れ、といっていた張本人が膨大な赤字を新たに作ってその責任を取らずに‥。しかも先ほどの関西の市長を支えながら野心丸出しにまたぞろ先の総選挙で国会議員に返り咲くという。わが国にとってはとても悲しむべき事態が起きている。
確かにいまでも経営的側面が強調されることには変わりはなく、厳しい状況にあることは市の各種施設に共通だ。私はたかだか年間5000円であっても会員になることで、枯れ木も山の賑わい程度には美術館に対する期待になるかもしれないと、一般会員であり続けている。
今多くの美術館や各種博物館をはじめ多くの施設が市の財政の厳しいことを背景にその活動が大きく制限され、あるいは閉館などの措置をこうむっている。収蔵品の整理・分類もままならない状況であるという声は私にはとても切実に聞こえる。またそれらは誇張でも偽りでもない。
存続を求めるなら経常で黒字体質になるよう責められ続けている。それを声高に主張する人間が議員選挙や首長選挙で高位得票となる。このブログで処方箋を出せるほど簡単なものではないが、せめてこれを記すことで何かの提起になればうれしい。
私は、この二人がいわゆる「ロバート・キャパ」という架空の写真家の本当の名前であることなど知らなかった。ロバート・キャパは二人の作り出した幻想の写真家で、女性がなくなって後もその幻想の写真家は男性のカメラマンによって成長、といって語弊があるなら変化していったようだ。このことはチラシを見て始めて知った。その程度にしか写真というものに対する知識はない。そういった意味では少なくとも私にはいい勉強になった企画である。
さらに私は、報道写真というのはなかなかわからなかった。いや今でもよくわかっていない。どうして目の前の人の死や、それが日常という状況でカメラを構えていられるのか、被写体と自分との関係をどのように折り合いをつけるのか、私にはわからないことだらけだ。
絵画やその他の芸術ならばまだ、目の前の自分が目にしたことを表現するのに時間という篩をとおし、時間をかけて感情や思念が発酵するまで待つことが出来る。対象と自分の折り合いがひょっとしたらつくのかもしれない。私にはそうであっても到底無理なのだが。しかも報道写真は瞬間の時間と空間を瞬時に切り取るということで成立する。
そんなことをいっても、報道写真が私の視覚に強烈な印象を与え、私の思念をかき回すほどの衝撃力を持つ場合があることもまた事実だ。ここら辺のことはまだまだ私には解けないことだらけ、ということで私のこれからの宿題とさせてもらおう。
さて、この二人の写真を見ながら次のようなことに気づいた。
27歳でスペインの内乱の現場で事故死したゲルダ・タローという女性カメラマン、この人の写真の視点、要するに撮影する写真家の目は常に動いている。動いている中から被写体を常に流動的に捉えて、そのうちの一瞬を切り取っている。対象に対する思い入れが強い。対象に自分を同値しようとしている。それが写真を取る側の勝手な思い入れに近いという危うい側面も持っている。構図や絵画的な視点は二の次であるような写真が多いみたいだ。それは彼女の持ち味なのか、わざととっているポーズなのかはわからない。
それに対してロバート・キャパという写真家、報道写真ということなのだが、ゲルダ・タローに較べて視点は静的である。どんなに動いている場面の瞬間を捉えていても、キチンと視点を定めて撮影しているのではないかと思った。冷静に対象を観察している。そして構図や写真の効果をキチンと瞬時に計算しているようだ。被写体に対する思い入れはゲルダ・タローのように感じられるがそれでも彼女よりも自覚的にファインダーの中の対象を見つめている感じだ。
この二人の微妙な差がいくつかの同じ瞬間の、同様の構図の写真の比較が行われていて、その似た作品にも現れている。ロバート・キャパの方が、被写体が大きくクローズアップされている。被写体の表情にその意志を汲んで写し取ろうとしている。ゲルダ・タローはチョッと引いて少し広い視野の中で、被写体自身の主張を周囲の状況から浮き上がらせているように感じる。
またロバート・キャパがその晩年、1954年という戦後間もない頃の日本を訪れ、日本の人々を撮影している中に、奈良の東大寺の梵鐘とそれを撞いている僧侶を写した写真がある。これなど、造形写真としてもすばらしい視点と構図だ。上半分で真っ黒に梵鐘を大写しにクローズアップしている。わずかに鐘の縁が写り込んでいて鐘であることがわかる。鐘をつく撞き棒と僧侶を、鐘撞堂の柱を利用して窓枠効果のように遠く小さく写しこんでいる。これなどじっと構えて構図に配慮しながらでないと写せないもののようだ。その他の日本での写真はいづれも報道写真家らしく瞬間瞬間をすばやく、撮影しているカメラマンを被写体が意識するまもなく写しているような躍動感がある。両用の技量を持つカメラマンに思えた。残念ながら、この写真、カードとして販売していなかった。
この二人の時代を画したカメラマンの仕事を見た感想、これ以上うまく表現できないのでとてももどかしい。これを読んで理解してもらえるか自信はとても湧いてこないが、未熟な文章表現として笑ってもらうしかない。
ところが、展示の解説文書の中で次のようなくだりがあった。
「人物の表情に焦点を合わせる傾向があるキャパと、奥行きを強調したダイナミックなアングルなど、構図に対してより意識的なタローというそれぞれの特徴を垣間見ることができる」
(スペインのバレンシア爆撃でのタローの)死亡した市民のアップの写真などにその特質をみるとの指摘があった。(まだノルマンディー作戦以降のキャパの写真について)、「単なる一方の側から見た戦争とは一線を画した「引いた視線」、同時に奥行きのある「人間への凝視」を認めることが出来る」と記されてあった。
前半は、私の評価とずいぶんと違うところがあると感じた。「構図に対してより意識的なタロー」は私としてはとても同意できなかった。
後半のキャパに対する評価は全面的ではないにしろ肯定は出来た。しかしそれもあくまでも、戦争の捉え方の変化も、あくまでも萌芽であって、キャパの死という終焉を迎えてしまったように思う。戦争そのものを相対化するということでは、未完の方向だったのではないか。1945年に終了した戦争の勝者の視点、勝者の理論を、どのようにキャパが把握していたか、それが知りたくなった。戦争全体をキャパがどのように把握したのか、知りたい。
それはディエンビエンフーの敗北目前のフランス軍と共にベトナムの戦場を巡って撮影したベトナム人の死体らしきものが転がっている写真や、ベトナム人の無表情な写真、これからは欧米人の視点が強く感じられた。またイスラエル建国で屈託なく明るいイスラエル入植者の表情なども、当事者の一方しか把握していないような気がした。後世の私たちからはある種の違和感も感ずる写真という印象だ。あくまでも後世の私たちの視点なので、それだけで彼の業績を否定するつもりはさらさらないが‥。
そして「ひいた視線」というのはあくまでもキャパの対象を把握する視線であって、実際に撮影する場合は「引かず」に「迫ってく迫力」があるということを私は感じた。
さてチラシとは違うが、この企画展に即した「ロバート・キャパジャーナル」というチラシのようなものがあった。そこで長島有里枝という写真家がこんなことを書いていた。
「写真には、製作過程に横たわる身体性を示唆するもの、完成に向けて作家が費やしたであろう膨大な時間、労力、試行錯誤の「しるし」が欠如している。「しるし」はときにそれ自体が鑑賞者を圧倒して、感動に導くにもかかわらず。写真は始から「瞬間」と親和するメディアだ。写真家の中にはそのような身体性の欠如に対する負い目がある気がする。」
なかなか面白いと思う。写真家の中に私と同じような思いをもたれる方がいて惹かれた。私も最近、写真を見て心が惹かれる場合が多くなってきたが、どこからこんな問題意識を持っている。こんな問題意識を持ちつつ、写真展をしばらく注視してみようと思う。
話はまったく変わるのだが、私は年間5000円で横浜美術館協力会の会員なので企画展・常設展すべて交付された会員証を見せるだけで幾度でも入ることができる。といっても今でも年間3回から5回程度なので、プラス・マイナスだけの計算ではマイナスである。友人から元が取れていないのだから、止めたらといわれた。しかし私にはこだわりがある。
これを会員制度が始まった当初から20年を越えて継続している。現役の頃はそれこそ年に1回か2回くらいしか訪れることが出来なかったので、トータルではまったく元は取れていない。しかしこれはあくまでも、そしてどんなにささやかであっても協力費としての私の思いで継続してきた。
年に4回、私の自宅に会報や企画展のチラシを送ってきてくれていて、送付代と手間を考えれば、美術館にとっても赤字であろう。しかしこのような施設に対する期待感のほんの一部にでも参加することには意義がありそうだ。
関西方面の政令指定都市の分割を主張する市長が「市に二つの美術館はいらない」などと公言したとのこと、伝聞であるが伝わってきた。この人は文楽という芸能にも喧嘩を吹っかけたようで、文化を自分の基準で裁断しようとするなどの野蛮に近い行政を推進しているとしか思えない。美術館・博物館が保存、収蔵、展示、普及、教育・啓発、発信、創造の場の提供という極めて大切な役割を果たしていることなど鼻から理解する気がないようだ。
それ以前に、人間というものの理解があまりに薄っぺらで、こんな人が政治に携わってはいけないのである。野蛮で無知な軍人や政治家が文化統制に乗り出したあのかつての時代の轍を踏んではならない。政治が文化統制に口を挟んではならない。それは右も左も、政治体制の在り様を問わずに求められることである。えてして「左」の国家なら許されるという勘違いも横行している。赤字で垂れ流しでもすべて許されるなどと私は主張しているのではないが、赤字であればそれだけですべてゆるされない、あるいは逆に黒字であれば何でも許されるという経営の側面でしか評価できない人々もいる。
横浜市でもそんな市長がいて、市が関係するすべての施設の価値を収入と支出という面からしか評価しようとしなかった。社会に対する理解が実に薄っぺらで底の浅い人であった。あの市長は結局のところ、横浜からはトンズラした。それも自ら提唱した開港150周年事業の数十億円の赤字を後任者と市民に押し付け、その責任を取らずに逃亡した。赤字を切れ、といっていた張本人が膨大な赤字を新たに作ってその責任を取らずに‥。しかも先ほどの関西の市長を支えながら野心丸出しにまたぞろ先の総選挙で国会議員に返り咲くという。わが国にとってはとても悲しむべき事態が起きている。
確かにいまでも経営的側面が強調されることには変わりはなく、厳しい状況にあることは市の各種施設に共通だ。私はたかだか年間5000円であっても会員になることで、枯れ木も山の賑わい程度には美術館に対する期待になるかもしれないと、一般会員であり続けている。
今多くの美術館や各種博物館をはじめ多くの施設が市の財政の厳しいことを背景にその活動が大きく制限され、あるいは閉館などの措置をこうむっている。収蔵品の整理・分類もままならない状況であるという声は私にはとても切実に聞こえる。またそれらは誇張でも偽りでもない。
存続を求めるなら経常で黒字体質になるよう責められ続けている。それを声高に主張する人間が議員選挙や首長選挙で高位得票となる。このブログで処方箋を出せるほど簡単なものではないが、せめてこれを記すことで何かの提起になればうれしい。