Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

思いがけない知らせ‥M君の回復を祈る

2013年02月17日 20時12分29秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 私のブログにいつも目を通してもらっていたM君が、昨年の12月12日に心筋梗塞の発作で、入院していることが判明した。
 講演におもむく途中、最寄の駅で心筋梗塞の発作に襲われ、緊急搬送されたものの心肺停止状態だったとのこと。30分後に蘇生したが、自律呼吸が出来なかったそうだ。現在呼吸は出来るようになったものの意識が回復していないとのこと。転院先をご家族は探しておられるとのことであった。できるだけ早くお見舞いに行きたい。

 M君とは中・高一貫教育の私立中高等学校で同期であった。中学1年の時から3年間、O君と私と三人で同じ駅から学校まで一緒に通った。私が中学3年の終了間際に転居するまで毎朝、駅のホームで一緒になり、共に二本の鉄道を乗り継ぎ、学校の最寄り駅から学校まで遅刻間際の時間にふうふういいながら上り坂を一緒に駆けて登校した。
 M君は中一の頃から一貫して美術部に在籍し、絵の研鑽をしたと思う。大学が違ったのでその間は音信はなかったが、私が横浜市に就職した後、経過は忘れたが、連絡を再び取り合うようになった。そしてその母校に労使紛争が生じたとき、私とおなじ横浜市に採用された久保田和尊君に対し、一緒に支援してもらえないかと連絡をしてきたのもM君であった。
 久保田和尊君と私は一緒に労働運動にかかわっていたので二人でおっとり刀で会合に参加し、最終的な勝利の場面まで精一杯かかわった。その久保田和尊君はガンで60歳になる前に無念の死をとげた。その葬儀には今回病気で倒れたM君も駆けつけてくれた。

 M君は色彩論の専門家として、横浜市や川崎市などの行政にも関わり厳しい指摘を私にもしてくれたことを思い出す。同期会で顔をあわせると、中田宏市政のひどさについて意見を盛んに述べておられた。私にはとても心強い意見で、勉強になりかつうれしかったことを覚えている。
 私がブログで美術館巡りの記事を載せると、よく意見を寄せてくれた。ブログに直接コメントはなかったが、メールで「いい感想だね」とか「こんな視点があってもよかった」「こんな展覧会もあるよ」などといってくれた。

 60歳を期に開いた個展には私もうかがった。親しく話をして展示された絵の解説をしてもらった。得てして展示作品の苦労話や自慢話をとうとうとしたがる作者もいるようだが、M君はそんなことはなく、控えめに「せっかくきてくれたのだから」ともの静かに少しだけ語ってくれた。
 そして同期会での会話やメールでの意見の中で「学生に色彩論で講義をしているが、最近の学生は美術館に足を運ばない。行けば勉強になるのに本当にもったいない」と盛んに息巻いていた。また「「あるけあるけ協会」にもかかわっているので、ウォーキングで運動をしないといけない、とは思っているが、かなかかな実行できない。お前さんのジョギングは過激すぎていけない」と意見もされた。

 実は昨年11月の末に同期会があったときは席が離れていてあまり話が出来なかったが、帰りがけにまたゆっくり二人で会いたいと話したばかりであった。さらに12月に入ってすぐのとき、たまたま横浜駅から京浜東北線に乗車したら目の前にM君が乗っていた。私は石川町駅で下車したので5分ほど話をしただけだった。そして年末以降、私のブログへの感想が送られてこないのでどうしたのかと思っていた。倒れたという駅はM君・O君と中学生の時いつも一緒に乗車した駅だ。M君のお母上にもよくしてもらった。

 12歳のときから61歳の今日まで、付き合いが続いていることはとてもうれしい。少しでも早い回復を祈っている。

久しぶりのサウナ

2013年02月17日 11時40分24秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日は、午後から夜にかけて楽しい時間を過ごさせてもらった。生ビール1杯と日本酒1合、二次会に焼酎1杯。外で飲むには程よい量だったようだ。横浜についてそれほど酔っていないのを実感して、明日行く予定だった銭湯に行こうと決めて、30ほど歩いた。
 実に久しぶりの銭湯、サウナは結構込んでいたので、ぬるめの浴槽とこれもぬるめの露天風呂に30分ほど。外のベンチで涼んでからサウナをのぞくとちょうど空きはじめたので、10分間のサウナを3回繰り返した。

 冷たい風に当たりながら帰ったのが23時過ぎ。実に心地よい酔い覚ましとなった。問題は8人で決めたことをこれからまとめなくてはならない。私の記憶がちゃんとしていればいいのだが‥。自信はないが、言いだしっぺの一人としてはちゃんとまとめなくてはいけない。それなりのプレッシャーだが、「無職」の私にはちょうどいいストレスとして対処しなくてはいけないと思う。

 40数年前と今の自分たちのありようを皆が平等に語り合える心地よい時間と場をどう設定するか。40数年前よりも「今」の方が、人のさまざまな意見を聞くゆとりと楽しみをみんなが獲得している。意見を述べるスタイルは昔も今も変わっていないのが懐かしいと感じると同時に、そのスタンスには40数年の時間の堆積も感じられた。

 誰かが主役ではなく、みんなが主役のあつまり、わざわざ仙台を訪れるという意欲を裏切らないものになるようにしたいものだ。
 一度下見を兼ねて、仙台にでも遊びにいくのもいいかなと、銭湯に入りながら思い始めた。下見を目的とするというより、ついでに下見ができるような旅行を考えればいい。そう、東北の地はやはりいつも私には魅力的な地である。