Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

小糠雨

2013年02月15日 19時30分46秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 午前中のジョギングの途中から細かな冷たい雨が降ってきた。小糠雨という言葉があたっているのか自信がないが、霧雨のような雨である。小糠雨は季語にはないので、季節に関係なく細かい雨のことを言うのだが、それがどの程度なのかわからない。最近まったく聞くことのない言葉だ。こういう言葉は使うのがますます難しくなる。下手に使って違うイメージであったりするととても恥ずかしい。
 ネットで検索したら「こまかい雨。ぬかあめ。《広辞苑・第五版》」という解説と共に私のよく参照するホームページに、
「音もなく降る細かな雨の事ですから季節に限定はされない言葉ですが、私のイメージでは春または秋の頃に降る雨です。夏や冬といった強い性格の季節にその柔らかな感触がそぐわないと思うためでしょうか。また、春と秋とではまたその性質が違うように感じます。春に降る小糠雨はほんのりと暖かく、秋のそれは薄寒いといった違いです。傘を差しても傘に落ちかかる雨音も聞こえず、またいつの間にか衣服がしっとりと湿ってしまうような雨でもあります。「親爺の小言と小糠の雨は後で効く」なんていう諺もある」(一部省略)
という説明があった。なかなかいい文章だ。

 ジョギングに特に支障はなかったものの、それでも500メートルも走ると眼鏡に水滴がつき、見にくくなる。そして雨が頭について汗と共に垂れてくる。髪の毛を切ったばかりなので、というよりも正直に言うと薄いので、髪の毛の間にとどまる水滴はほとんどない。ただちに皮膚をつたって顔や首筋に垂れてくる。眼鏡の水滴よりも不快だ。夏に陽射しよけに被る野球帽を被ってくればよかったと思ったが、気づくのが遅すぎた。

 午後になって本降りになり、何となく外に出そびれて一日が暮れてしまった。本降りといっても音もなく降り続け、立春を過ぎたのに冬の寒さに押し込められたような午後であった。
 私は、明日の懐かしい友人たちとの集まりに向けた資料を印刷しているうちに夜を迎えた。
 18時半過ぎに外を見たが、すでに雨は上がっていた。明日はおだやかな1日になってほしいが‥。
 

1ヶ月に1度の散髪

2013年02月15日 08時27分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日1ヶ月ぶりに散髪をしてもらった。ここ10年近く1回1000円の店にしか行ったことがない。月に1回、1年で12回ぐらい。左右と後ろはバリカンで刈り上げてもらい、残ったところは調髪程度か、長くても5センチくらいに切る。
 髪型は10年変わらずだとおもう。変わらずというよりも、これだけ髪の量が少なくなると変えようがない、と言った方が正しいかもしれない。

 この1000円のお店、「10分の身だしなみ」がうたい文句。土日祝日は満員の盛況だ。だから昨年の退職後は、平日の午後に行くことにしている。10分ということで、シャンプーも顔剃りもない。髪を切り整えるだけに徹している。というか、悲しいかな、特に私の場合は左右と後ろ以外に髪をいじる必要があまりないと言った方が正しい。結構女性も来ている。

 女性や髪の長い、或いは髪の多い人は10分では終わらないこともあるがおおむね平均では10分のようだ。ということは、そう、私のように髪がかなり薄い場合は時間が短い。
 私なんかは5分くらいで終わってしまう。実に寂しい。働いている人はおそらく刈った人数に応じた歩合制、ないし出来高払いだとおもう。かなり安い報酬額と思われる。だから、5分で終わったら500円にしてくれとはとても言えない。
 
 そんなことをしていたら採算など取れずに店の経営も成り立たず、雇用も危ういと思う。でも5分で終わってしまう寂しさに変わりはない。出来れば5分で終わってしまわず、せめて7から8分位は椅子に座っていたい。

 何かやっている風に時間をのばしてもらいたい気もする。客の回転を高めるにはそんなことやってられないのはわかる。でも残念ながらこの寂しさを何とかして貰いたい。